第五話
店内に戻ったアレナは、スタスタと食堂を通り抜ける。
そのまま、厨房との間にある通路を抜けてドアを開け、裏口を出た。
店舗の裏側は中庭になっていて、奥には小さな邸宅が見える。
アレナが購入したここは、お店と住宅が一体になった物件だった。
もともとは商会のオーナーの住まいと店舗だったらしい。
商会自体は本店も本拠地も別にあって、この物件にある店舗部分はオーナーの趣味だったとか。
侯爵家からすれば小さすぎる建物だが、平民にとっては豪華な邸宅だ。
「あ、あの」
ましてや、親もなくその日暮らしの兄妹にとっては。
戸惑って声をかけてきた兄を、アレナはチラッと一瞥する。
「まったくもう。汚い格好で食事しては、美味しいものも美味しくいただけませんわよ?」
「えっ。そ、その、すみません、おれたち、服はこれしか」
「お嬢様は『お風呂に入ってキレイにしてきなさい。服はひとまずダリアのものでいいわね』と言っています」
「あいかわらずわかりにくいですねお嬢様!?……え? わたしの!?」
「えっ? えっ?」
「にいたん? どうしたの?」
「あら、私が支給した服ですのに、文句でもありますの、ダリア?」
「いえとんでもないです、驚いただけで! わかりにくいけど、お嬢様はやっぱり優しいです。ほらほら二人とも、行きますよー」
「お待ちなさい、ダリア。二人はベルタに任せて、ダリアは『ころっけ』を作るんですのよ!」
「はーい。じゃあベルタ先輩、よろしくお願いします」
「お嬢様の申し付けであれば」
「えっ? おふろ、ふく、えっ?」
戸惑う兄妹の手を引いて、ベルタが邸宅に消えていく。
無表情のままに、まるで「こんなこと何度も経験してきた」と手慣れた様子で。
「さあ、私たちは『ころっけ』を作りますわよー!」
「はいっ!……その、ころっけってどんな食べ物なんですか?」
「くふふっ。『美味しくて安い、庶民&こうこうせいの味方』だそうですわ!」
「まずは芋を茹でるんですのよ。『潰した芋を使う』って書いてありましたもの!」
「クズ芋……お腹はふくれるんですけど、味がしないんですよねえ」
「潰すときに味付けすればいいのではなくて?……あら? お肉はどうするのかしら?」
「えーっと、これも『あげる』んですよね? ならそのときに火が通るんじゃないですか?」
「うーん……その辺りは書いてありませんわね……」
「心配なら先に焼いて火を通しておきましょうか」
「あっ! 初代さまのご家庭では『冷蔵庫にある野菜を細かくして適当に入れる』と書いてありましたわ!」
「『れいぞうこ』が何かわかりませんけど……じゃあ、このあたりのお野菜を切って、肉と一緒に焼いちゃいますね」
揚げ物屋の厨房に戻ったアレナは、『異世界転生日記』の記述をもとにダリアに指示を出す。
貧乏貴族時代は自ら料理していたダリアは、「なんとなく」でほぼ正解を叩き出している。天才か。
まあ、とんかつで『あげる』工程を理解していれば、『コロッケ』再現の難易度は高くないかもしれない。
「ゆでた芋を潰す」というヒントがあるなら、なおさら。
試行錯誤する二人の足元ではカロリーナがぶんぶん尻尾を振っている。
料理=美味しいものを食べられる、という方程式が小さな脳味噌に刻まれたらしい。
肉の焼ける匂いにカロリーナがヨダレを垂らしているうちに、芋も茹で上がった。
あち、あち、と言いながらダリアが木の棒で芋を潰していく。
「あの、お嬢様。これ、どれぐらい潰したらいいんでしょうか?」
「さあ? 私はわかりませんわ!」
「あっはい。潰し切ったのと、ちょっと残ってるのと、少ししか潰してないのを用意しますね」
頼りにならない指示役を前に、ダリアは3パターン準備した。
とんかつの試作で慣れたものである。
「焼いたお肉とお野菜は……」
「それも書いてありませんわねえ」
「……とりあえず、一緒にしてみますね。あ、ひとつはまわりにくっつけてみようかな」
手際よく数パターンの種が用意される。
いくつかのパターンを用意した結果、偶然にも、ひとつあたりの種の量はいわゆる「小判形」サイズになった。
「なんだかそれっぽいですわ! さあダリア! あげますわよぉー!」
うしろで口を出すだけだったアレナが勢いよく宣言する。
自分に料理の経験も才能もないことを自覚して以来、アレナが自ら調理することはない。
ダリアは苦笑しながら、とんかつと同じ工程を踏んでいく。
じゅわっといい音をさせて、黄金色になったところで油からあげる。
参考にしたのは「とんかつ」の色味だ。
「完成ですわぁ!」
「これは……油は『とんかつ』で使うからもともとある。クズ芋は安いし……肉は端切れで、お野菜はちょっと。本当に、安く売れるかもしれないですぅ……あとは、味がよければ」
作ったのはダリアであり、お皿に載せたのも、塩とマリーノソースを準備したのもダリアである。
だが、アレナは誇らしげに胸を張っていた。まるで自分の手柄のように。……部下がしたことであり、主の手柄であることは間違いではない。
「あっ、おいこら待て!」
「にいたん! おいしそうなにおいがする、あっ!」
お風呂で体をきれいにして、いままで着たことのないような新品に近い服に着替えて、ご機嫌だったのだろう。
たたーっと走ってきた幼い妹が、長い裾を踏んでつまづく。
兄の手も間に合わず転ぶ、と思った瞬間。
カロリーヌが、さっと体を滑り込ませて妹を受け止めた。できる男である。
「慌てても『ころっけ』は逃げませんわ! さあ、みんなで食べてみますわよー!」
身綺麗になった兄妹をニコニコと見つめてアレナが誘う。
うしろからついてきたベルタも含めて、五人と一匹の試食タイムである。
「おいしー! はじめてたべた! おいしーね、にいたん!」
「そっか、おいしいか、よかった……うん、おいしいな……」
「わっ! お嬢様、これスゴイです! マリーノソースをかけたらすごくスゴイです!」
「ほーっほっほっほっほ! 初代さまの求めた料理ですもの! 美味しくて当然ですわぁ!」
「うぉうーんっ!」
「これは……外はかりっと、中はホクホクで……さすがです、お嬢様」
「でもベルタ先輩、この料理の一番ヤバイところは、値段なんです。とんかつにも使う油や衣を別にすれば、クズ芋と肉の端切れとちょっとの野菜だけで……」
とんかつと違って、「コロッケ」の試作は最初から成功した。
いくつかのパターンを用意したダリアの勝利である。
もっとも、優劣はあれどどれも美味しかった。芋がなめらかな食感を残しているか、ひき肉や野菜を混ぜ込んだか覆ったか程度の違いしかなかったので。
「くふふっ、これでお金のない民にもマリーノの、初代さまのすごさが伝わりますわね!」
「お嬢様、せっかくお安くできるんですから、いっそ持ち帰り販売してはどうですか? 『ころっけ』は持ち帰りでお安く、店内は『とんかつ』を高級志向で……」
「高級? とんかつもお安いですわよ?」
「あっ。お嬢様は『お嬢様』でした……と、とにかく、価格帯を分ける感じで」
「ふふ、わかっていますわ。ないすあいであですわよ、ダリア!」
再現に成功した「コロッケ」は、無事にアレナの揚げ物屋さんで販売することが決定した。
それも、これまでの店内営業にプラスして、テイクアウト用に売り出す方向で。
つまり。
「忙しくなりますわね! お父様から人手を借りようかしら……あら?」
仕事量が増える。
いまでさえ人員はいっぱいなのに。
コネを頼るか、冒険者でも雇うか。
増員を考えていたアレナが、ふと動きを止める。
アレナがニンマリ見つめる視線の先には、はぐはぐとコロッケを食べる二人の人員がいた。
それも、一人はその日暮らしの冒険者で、もう一人は働いていない二人が。





