第二話
王都を西に出て、最初の宿場町。
そこは、かつて王都へ農作物を供給する農村だったが、王都が発展するにつれ宿場町へと変化していった歴史を持つ。
王都の閉門に間に合わない商人や旅人を泊めていくうちに、農村から宿場町へ役割を変えていった村だ。
つまり、もともと「宿場町」として造られた街ではなく、規模も大きくない。
貴族や大商人は無理のないスケジュールを組んで王都に入るので。
貴族ともなれば、王都に着けば閉門後でも通用門を通るなど、多少の融通は利くので。
そんな小さな宿場町で一番大きな宿に、場違いなほど立派な馬車が停まっていた。
アレナ・マリーノ侯爵令嬢ご一行である。
普段は商人同士の情報交換や冒険者たちで騒がしい宿の食堂は、いつになく静かだった。
原因は言うまでもない。
明らかに位の高い貴族令嬢が、堂々と席についているせいだ。
「私、今日は疲れましたの」
「お嬢様は『肉料理が食べたい』とおっしゃっています」
「ええ? ベルタ先輩、よくわかりますね?」
「ウチの料理がお貴族さまの口に合うかねえ」
「このような宿ですもの、期待していませんわ」
「お嬢様は『急な宿泊ゆえ、かしこまらなくていい』とおっしゃっています」
「ベルタ先輩? それほんとにお嬢様が言ってます?」
「はあ……とにかく、肉料理を持ってくるよ」
侍女見習い・ダリアの戸惑いをよそに、女将さんらしき恰幅のいい女性はどすどすと調理場へ向かう。
先輩侍女のベルタは静かに控え、アレナはのんびりとお茶を飲んでいる。
そんな三人を、ほかの宿泊客が遠巻きにチラ見してひそひそ話をすることしばし。
アレナの元に料理が運ばれてきた。
「はいよ、お待たせ! これがウチで一番の肉料理、ホーンラビットのシチューだ!」
テーブルの上に、ドンっと木の深皿が置かれる。
湯気を上げるブラウンシチューの中には、ごろごろと肉や野菜が見える。
手のひらサイズのパンはテーブルに直置きされた。
「わっ、美味しそうです!」
「黙っていなさい、ダリア。お嬢様は静かにお食事されることを好まれます」
「いただきます」
侍女と見習いの会話をよそに、アレナは手を合わせて料理に向かって一礼する。
そして。
木のスプーンをわしっとつかみ、シチューをすくう。
大口をあけてシチューを口に突っ込む。肉の塊ごと。
「くくっ、お貴族さまなのに豪快だねえ」
よく煮込まれた肉はほろりと崩れて口内に旨みを残す。
時間をかけて骨からダシを取ったのだろう、シチューは深い味わいだ。
銀のナイフとフォークを用意して、具材を切り分けようとしたダリアは背後でオロオロしている。
先輩侍女のベルタは慣れたものなのか、水とハンカチを準備している。
アレナはそのままシチューを食べ進め、ときおり固いパンをぐっとちぎってはガシガシかじる。
侯爵令嬢らしからぬ豪快な食事が続き、最後にパンで木の深皿を拭ってそのパンも食べ切って。
「ごちそうさまでした」
また一礼すると、アレナはふうっと一息ついた。
すかさずベルタがお嬢様の口元を拭いて、手も清めていく。
「料理長を呼んでくださる?」
「はあ? ウチに『料理長』なんて洒落たヤツはいな——」
「その料理を作ったのは俺だ」
女将の横に、どっしりした体格にもっさり顎髭の熊のような男が並ぶ。
貴族令嬢に呼びつけられても怯えた様子はなく腕組みしている。
むしろ、周囲の客が青い顔をしていた。
料理長を呼び出してケチつけるのか叱責するのか、あるいは言葉だけではなく暴力を振るうのか、などと客たちがヒソヒソ話をする中で。
「ホーンラビットのシチュー。貴族にはありえない色合いの料理でしたわ」
「ウチはお貴族サマ向けの宿じゃねえからな。満足できねえってんなら——」
「お嬢様は『見た目は洗練されていないけれど、食欲をそそった』と言っています」
「お、おう? 褒められてんのか?」
「王都では考えられないほど濃い味付けで驚きましたわ!」
「お嬢様は『きちんとダシが取られて濃厚な味わいだった。見事ですわ』と言っています」
「お、おう、自慢の料理だ。ありがとな」
「次に来る時までには美しい盛り付けを学んでおいてくださいませ」
「『また来たくなるほど美味しかった。盛り付けを学べば貴族も満足するだろう。惜しむらくは国外追放された身ゆえ、また来ることがかなわないことですわ』だそうです」
「ベルタ先輩、それほんとお嬢様が言ってます? いまそんな長くなかったですよね?」
ベルタの通訳を聞いて、女将もその旦那の料理人にも笑顔が浮かぶ。
女将はわかりにくいアレナの褒め言葉に、「素直じゃないねえ」とでも言いたげだ。
「さあベルタ、ダリア。部屋に参りますわよ!」
「はい、お嬢様」
ともあれ、宿場町に滅多に泊まらない高位貴族の令嬢は満足して、何のトラブルも起こらなかった。
宿の女将夫婦はにこやかに、周囲の客はホッとして、階段を上っていくアレナたちを見送るのだった。
なお、アレナたちが消えた食堂ではホーンラビットのシチューの注文が殺到した。シチューが品切れになって、ほかの肉料理も売り切れるほどに。
宿場町の中で一番大きな宿、と言っても、元が農村に毛が生えた程度の宿場町だ。
宿の三階にある「最もいい部屋」も、たいした部屋ではない。
「まあ!? こんな粗末な鍵しかかからないんですの!? 二人とも、夜番は頼みますわね!」
「わ、わかりました、がんばります! ベルタ先輩、どちらが先に寝ますか?」
「いいえ、ダリア。お嬢様は『こんな鍵じゃ危ないから私の部屋で一緒に寝なさい』と言っています」
「ええ……? 本当ですか……?」
扉には閂と簡素な鍵しかない。
部屋の奥には二人は寝転がれそうな大きなベッドとソファ、テーブルセットがあるだけだ。
商人や冒険者にとっては立派な部屋であっても、「貴族が泊まる部屋」としてはありえなかった。
だが、アレナは口では不満を述べながらも何やら楽しそうだ。
二脚しかないイスのひとつに腰掛けてニマニマしている。
「お嬢様、そろそろお聞かせください。即座に王都を出立されて、どこに向かわれるつもりですか?」
「えっ? マリーノ侯爵領に行くんじゃないんですか?」
「ふふ、ダリア。私は国外追放されたんですのよ?」
「でも、あれは王子が言い出したことで、侯爵や王様は知らないはずで……あんなの許されないと思います!」
「ダリアはまっすぐですのねえ」
「申し訳ありません、お嬢様。きちんと教育しておきます」
「いいえ、そのままでかまいませんわ」
アレナに求められて、ベルタがテーブルにロンバルド王国の地図を広げる。
目的地と、そこまでの道を確かめるために。
チラッと眺めると、アレナは指をすうっと動かす。
王都から出て北西へ、街道沿いにいくつかの領地を通り過ぎて、マリーノ侯爵領で指を止める。
「領地へは向かいますわ。お父様に報告しなければなりませんもの」
「かしこまりました。その後は——」
マリーノ侯爵領からふたたび指を動かす。
すぐに指が止まる。
「目的地は、ここですわ!」
「ええーっ!? そんな何もないところに行くんですか!?」
アレナの宣言に、ダリアが思わず声を漏らした。
ベルタはただ頷いて了解を示す。
アレナが示したのは地図の空白部分。
ロンバルド王国の国外だった。