第三話
「お待たせしました、お嬢様」
ベリンツォにほど近いフィールドダンジョン『魔の森』。
ダンジョンらしからぬタープの下、アレナが座るイスに侍女のベルタが近づいてくる。
手にひと皿の料理を持って。
アレナは、皿の上の料理を一秒でも早く覗きたい気持ちを必死で抑えている。
待ち遠しい時間が過ぎて、ついに料理がサーブされた。
「まあ! まるで黄金色に輝く麦穂のようですわ!」
最初にアレナが試作した「とんかつ」らしき何かの色合いとはまったく違う。
あれが「限りなく黒に近い茶色」なら、これは「限りなく黄金に近い茶色」だ。この世界になかったという意味では、その価値もきっと。
「いただきます!」
手を合わせ、目を輝かせたアレナが箸を取る。
一度目の試食はフォークだったのに箸に変えたのは、さきほどまで読んでいた『異世界転生日記』の影響か。
ベルタの手によりあらかじめカットされた「とんかつ」は、衣は黄金色に、中の肉はピンク色になっていた。
なお使用した肉はオークキングのロースだ。
端にはなかば溶けかけた脂身も見える。
ごくりと唾を飲み込んで、アレナはとんかつにかじりついた。
サクッ。
小気味いい音とともに噛み切る。
ぶた肉——オーク肉——の旨みが口いっぱいに広がる。
調理がよかったのか、肉質がよかったのか、噛みしめた肉から肉汁が漏れてくる。
目を閉じたアレナはサクサクと噛み締め、飲み込んで。
カッと目を見開いた。
「これが『とんかつ』! 美味しすぎますわぁー!」
爛々と目を輝かせて、次の一切れをパクつく。
その次は『異世界転生日記』にあった『通はいい塩で食べるらしい』の記載通り、高級岩塩を振りかけて食べる。
なお、マリーノ侯爵家で研究は進められているものの、いまだに『そーす』は再現できていない。
まあ、転生者である初代がいない以上、それっぽいソースが完成したところで『そーす』ができたかどうか判定できないのだが、それはそれとして。
アレナは、残り三切れとなったところで箸を置いた。
「ベルタ! ダリア! カロリーヌ! みなも味わってくださいませ!」
「ありがとうございます、お嬢様」
「お、お嬢様、気持ちは嬉しいんですけど、わたし、試食でおなかが」
「ダリア?」
「た、食べます! お優しいお嬢様の気持ちをないがしろにする侍女見習いなんてありえません!」
「わ、わふぅ…………」
ついに再現した「とんかつ」を、美味しい料理をみんなに味わってほしい。
アレナの気遣いである。
ただ、午後から日が傾くまで試作と試食を繰り返したダリアとカロリーナはしんどそうだったが。
それでもひと切れならと、二人と一匹が口にする。
全員、目を見開く。
「美味しい……『とんかつ』とは素晴らしい料理ですね、お嬢様!」
「うわ、成功するとこうなるんだ……すごい……お嬢様の努力も、わたしたちの苦労も、報われました……」
「あぉーーーーんっ!!」
いつも無表情なベルタが微笑み、ダリアは涙を流し、カロリーナは美味しさのあまり遠吠えしては駆けまわる。
とんかつ。
揚げ物の魔力に、三人と一匹が屈した瞬間である。
「も、もう食べられないですぅ……」
「わふぅ……」
「食べすぎましたわね……。けれど! これこそ、『だいえっと』をしなくてよくなったおかげですわぁ!」
「あの頃のお嬢様はごく少量のお食事で……感無量です」
とんかつの再現に成功したアレナたちは、その後も試作と試食を行った。
現状で満足しない、飽くなき挑戦——ではなく、とんかつが美味しすぎてもっと食べたくなったので。
結果、三人と一匹は食べすぎた。
アレナはテーブルに突っ伏してお嬢様らしからぬ醜態を見せている。
ベルタは立っているが、かろうじて立っているだけだ。
カロリーナにいたっては地面に仰向けに寝転がっている。へそ天である。
ダリアはカロリーナのお腹をさするという名目で、主人を差し置いて地面に座っている。しかもお腹を伸ばす斜め座りで。
日は傾いてまもなく夜になるというのに、一行が動ける様子はない。
いかに若くても、お腹がはちきれそうになるまで「とんかつ」を食べたら仕方のないことなのかもしれない。
そんなリスクも、「とんかつ」の再現に成功して初めてわかったことだ。
しばらくそのままゆっくりとした時間が流れて。
最初に動き出したのは、ベルタだった。
常になくゆっくりと歩き、空のお皿や調理器具を片付けていく。
侍女の鑑である。
いや、侍女であればいくら主人が勧めてもその場で食べることはないだろう。澄ました顔をしているが鑑ではなかった。
次に動けるようになったのはアレナだ。
鍛えた『身体強化』で内臓機能を強化して、むんっと体を起こす。なお通常の『身体強化』魔法ではそんなことはできない。能力の無駄遣いである。
余韻を味わっているのか、アレナは恍惚とした顔で虚空を見つめ——
「初代さまが渇望した『とんかつ』がこれほど素晴らしいものなら! 民に教えてあげなくてはなりませんわ!」
決意の火を瞳に灯して。
「私、決めましたわ! ベリンツォの街で、『とんかつ』を食べさせるお店をはじめますわよぉー!」
——叫んだ。
アレナの魂の叫びに反応して、カロリーナがくるんと体を起こす。ひょいっと顔を上げる。
「あおーんっ!」
失敗作だけでなく、「本物のとんかつ」を味わった子狼も賛成らしい。
まあ、店をはじめたところでカロリーナに手伝えることはない。看板犬?になるぐらいか。
「お嬢様の仰せのままに」
お嬢様ラブなベルタは聞くまでもない。
重い体を折り曲げて一礼して、アレナの宣言に賛意を示した。
「わたしも、がんばります! 回復魔法が使えてもお嬢様は怪我ひとつしなくて……料理なら、お役に立てますから!」
とんかつの試作を主導した今日の立役者、ダリアも乗り気だ。
冒険者として活動しても、ダリアができることは少なかった。
索敵はベルタとカロリーナがこなし、戦闘になればアレナが圧倒する。
採取さえベルタとアレナに先を越されて、稀少な回復魔法を使う場面はほとんどない。
ダリアは引け目を感じていたのかもしれない。
「はっ! そういえば『異世界転生日記』には、ほかにも『あげる』料理の記載がありましたわ!」
「そちらも再現なさいますか?」
「いいえ、まずは民に『とんかつ』を伝えなくては。けれど、そうですわね」
「お嬢様?」
「店名は! 『とんかつ屋』さんではなく! 『揚げ物屋』にしますわぁ!」
「将来の発展を見据えるとは、さすがお嬢様です」
「これ以外にもあるんですね! 教えてくださいお嬢様、わたし、いろいろ作ってみたいです!」
突き進むアレナを止めるものはいなかった。
ただ一人。
いや、ただ一匹。
カロリーナだけは、首をかしげてきゅるんとアレナを見つめていた。
揚げ物? それも美味しいの? 食べたい! カロ、食べたい! とばかりに。
……けっきょく誰も止めていない。
婚約破棄されて国外追放を言い渡され、ルガーニャ王国へと、自由へと突き進むアレナを誰も止めなかったように。





