第二話
ベリンツォの近くにあるフィールドダンジョン『魔の森』。
その一角では、ダンジョンらしからぬ光景が展開されていた。
馬車の幌を利用したタープ、その下にはテーブルとイスが置かれている。
イスには動きやすい格好をした令嬢が座り、足元の犬——ではなく、子狼のカロリーナをかまいながらサーブを待っている。
「ベ、ベルタ先輩、これ……いいんですか?」
「判断なさるのはお嬢様です」
侍女のベルタと侍女見習いのダリアがごにょごにょ揉めながらも、一皿の料理を運んできた。
令嬢の前にすすっと皿が置かれる。
「んふふっ! これが『とんかつ』ですのね!…………ですわよね?」
ついに再現された「とんかつ」を前に、アレナ・マリーノは満面の笑みを浮かべて——首をかしげた。
隣でカロリーナも同じ角度で首をかしげている。
なにしろ初代さまの『異世界転生日記』をもとに再現しようとした「とんかつ」は黒に近い焦げ茶色で、とても美味しそうな見た目ではなかったので。
ともあれ、初めて食べる料理だ。
きっとこういうものなのだろう。
そう自分に言い聞かせて、アレナは手を合わせた。
「いただきます!」
すすっとフォークを手にする。
見た目こそひとかたまりに整えられているが、侍女の手によりひとくちサイズに切られているのでナイフはいらない。
アレナは「とんかつ」らしき物体にフォークを突き立てた。
刺さらない。
思ったより硬い。
「……サクサクでじゅわぁ、らしいんですけれども」
ぼそっと言いながらあらためて力を込める。
今度こそフォークが刺さる。
「初代さまの悲願だった『とんかつ』……この世界で、初めて私が食べますのね!」
夢に見た自称「とんかつ」を前にアレナが口を開く。
かぶりつく。
がりっと、食べ物らしからぬ音が響いた。
噛み切れない、どころか歯が立たない。
「ふんぬぅ! ですわぁ!」
口やアゴ、歯にピンポイントで『身体強化』をかけて噛みちぎる。
ごりごりっ、ごりごりっ、と、お嬢様としてはありえない強烈な咀嚼音を立てる。
目を閉じて、渇望した他称「とんかつ」を味わって、飲み込んで。
アレナは、カッと目を開けた。
「なんですのこれは! 外はごりごり硬くて! 中もなかなかの硬さ! でも肉汁どころか中心部には火が通ってませんわ!」
フォークを置いて、キッと侍女を見据える。
「こんなの食材への冒涜ですわ! 料理長を呼んでくださいませ!」
ビシッと言い切って腕を組んだ。
が、忠実な侍女ベルタの反応はない。
侍女見習いダリアはあわあわしてる。
カロリーナはアレナの足に前脚をかけて、きゅるんとした瞳でアレナを見つめている。
ダンジョン『魔の森』に涼やかな風が吹く。
誰も動かない。
ついに、カロリーナが全身を伸ばして、鼻先でアレナの手をちょんちょんと突ついた。
見下ろしたアレナとカロリーナが見つめ合う。
アレナがハッと目を見開く。
「料理したのは! わたくしでしたわぁー!」
魂の嘆きが、『魔の森』に響き渡った。
「申し訳ありません。お嬢様が張り切っていたもので」
「謝る必要はありませんわ、ベルタ。料理したがったのは私ですもの」
すっかり気落ちしたアレナは、ベルタの給仕でお口直しのお茶を飲む。
それでもさきほどの「とんかつもどき」の食感は消えない。
「硬いお肉は、包丁を入れると柔らかく食べれるんです」
「わふ?」
「カロくんには関係ないかもしれませんけど! これも貧乏貴族の知恵なんですよ?」
慰め合う主従をよそに、マリーノ家特製馬車を変形させた調理スペースにはダリアが陣取っていた。あと、黒くて硬くて一部ナマっぽかったダークマターを食べ切った英雄・カロリーヌ。
骨まで噛み砕けるモンスター子狼にとってソレの硬さは「いい歯応え」で、生肉も料理も美味しく食べられるカロリーヌにとって一部ナマなのは問題にならない。
マリーノ家には、初代が定めた「お残し厳禁」の家訓がある。
謎の黒塊を前に頭を抱えていたアレナを救ったのはカロリーナだ。
まさに英雄、救世主である。
他人にあげるのが「お残し厳禁」ルールをクリアできているかは別として。まあ「欲しがる者に分け与えた」と考えたら貴族的にはOKかもしれない。
「できないことはできる者に任せる。いなければ連れてくればいい。私、貴族として当然なことを忘れていましたわ」
「一度の失敗で学ぶとは、さすがお嬢様です」
さっき「とんかつ」再現に失敗した一番の理由はシンプルだ。
アレナ・マリーノは、これまで一度も料理をしたことがなかった。
そんなアレナが、レシピもあやふやな料理を作ったところでうまくいくはずがない。
一度の失敗でこりたアレナは、大人しく侍女と侍女見習いに試作を任せることにした。
「小麦粉のタイミング……ここじゃないかなあって思うんですよねぇ。お肉やお魚に小麦粉つけて焼く料理もありますし」
「わふぅ?」
「いいんです、お肉がちっちゃくても。ちょっとずつ、いろいろ試していかないと」
「あぉん!」
「パン粉を衣にするって考えたら、卵が次。それからパン粉」
「ダリア。けれどそれでは、さきほどとほとんど同じでは?」
「あっ、ベルタ先輩。わたし、さっきの失敗は油の温度が高かったんじゃないかって思ったんです。明らかに焦げちゃってましたから」
「お嬢様の調理が失敗だったと?」
「ひえっ! そそそそんなことはなくて! お嬢様が試してくださったからわたしはそう思うことができて! つまりお嬢様のおかげで!」
「ベルタ、なりませんわよ。私は確かに失敗したのです。そこから目を背けるつもりはありませんわ」
「かしこまりました、お嬢様」
「ありがとうございますぅ……うう……お嬢様が止めてくれなかったらわたしどうなってたんでしょうカロくん……『なりませんわ』ってなにされるところだったんですかね……」
「わふ……」
カロリーナがきゅっと眉毛?を寄せる。
その困り顔は、いやそんな、カロに聞かれても……とでも言いたいのか。たしかに。
「その、ベルタ先輩。いろいろ試してみてもいいですか? 今回がうまくいくって決まったわけじゃないので」
「もちろんです。お嬢様に食べていただく以上、完璧な『とんかつ』を作らねばなりません」
「はいっ、がんばります!…………あれ? 『異世界転生日記』に残ってるだけで、『完璧なとんかつ』って誰も知らないような……」
「ぁおんっ!」
「そ、そうだよね、カロくん! がんばるしかないよね!」
静かに本を——『異世界転生日記』の該当箇所を——読みだしたアレナの横で、ダリアはふんす、と気合いを入れ直した。
なおカロリーナは侍女見習いを励ましたのではなく、美味しい料理! よろしく! とリクエストしただけである。とんかつもどき一個では、子狼のお腹は満たされなかったらしい。育ち盛りなので。





