第一話
ルガーニャ王国の国境にほど近い街、ベリンツォ。
街をぐるりと囲む農地を抜けてしばらく行くと、フィールドダンジョン『魔の森』が広がっている。
さまざまな素材が採れる『魔の森』だが、ダンジョンとしての稼ぎはイマイチで、稼ぎたい冒険者はなかなかベリンツォに居つかない。
結果、『魔の森』は地元民や冒険者が浅層をうろつく程度の、人気のないダンジョンとなっていた。
試したいことがあるアレナ・マリーノにとっては幸いなことに。
「くふっ、くふふふ。ほーっほっほっほ!」
「ご機嫌ですね、お嬢様」
「もちろんですわぁ! ついに! 初代さまが渇望した『とんかつ』を試作できるんですもの!」
マリーノ侯爵家の初代が書き記した『異世界転生日記』はアレナのバイブルだ。
その中には、男子高校生だった初代に知識がなく再現できなかった料理の数々も記されている。
幼い頃から「小さく細い体型こそ至高」という価値観に沿うべく過酷なダイエットを行なっていたアレナにとって、幻の料理は強烈な憧れとなっていた。
だが、「王子の婚約者」だったアレナがダイエットを断念するわけにはいかない。
料理は「貴族令嬢」がやるべきことではない。
ゆえに、アレナは憧れを押し込めて粛々と生活していた。
王子の婚約者にふさわしく。
ロンバルド王国の貴族令嬢らしく。
だが。
アレナは解放された。
よくわからない理由で婚約破棄されて、「王子の婚約者」という立場から。
国外追放されて、「ロンバルド王国の貴族令嬢」という肩書からも。
もうアレナを、アレナの強烈な憧れを、抑える必要はない。
「ベルタ先輩、用意できましたぁ! それにしてもすごいですね、この馬車……」
「わ、わふっ!?」
そして今日、アレナたち三人と一匹はフィールドダンジョン『魔の森』にやってきた。
念願だった『とんかつ』を試作するために。
ちなみに、泊まっていた宿の厨房を借りる案はアレナが却下した。
人払いしてもどこから情報が漏れるかわかりませんわぁ! と。
同じ理由で、ベリンツォ内のレストランや空き地も却下された。
そのためのダンジョン行きである。
ここなら、侍女のベルタと子狼のカロリーヌ(オス)が、周囲数百メートルレベルで誰もいないか確認できるので。
しかも、侯爵家謹製の特製幌馬車は、側壁を下ろせば作業台になるうえ、かまど代わりの火の魔道具も、水道代わりの水の魔道具も搭載されている。
初代から「自由な発想」を大切にしてきたマリーノ侯爵家のムダ技術であった。
侍女見習いのダリアとカロリーヌが驚くのも当然か。
「では! はじめますわよぉー!」
「あぉーんっ!」
エプロンをつけたアレナが意気揚々と拳を振り上げると、応じるようにカロリーナが勇ましく鳴いた。
試作の時である。
「お嬢様。材料はこちらに。このあとはどうされるのでしょうか?」
「『異世界転生日記』には『ぶた肉に衣をまとわせてあげる』と書いてありましたわぁ!」
「お肉はこちらですー。どのあたりを使いましょうか?」
「初代さまが『豚人間』と称したオーク肉……とうぜん、オークキングの一番いいところですわぁ!」
「わふっ!」
どんっと置かれたオーク肉にアレナが包丁を振りおろす。
が、食い込むだけで切れない。
アレナが極めたのは『身体強化』と『魔力障壁』だけなので。
自らに『身体強化』をかけて、んしょ、んしょと包丁を前後に動かす。
ぶん投げて敵を切り裂いた『魔力障壁』なら簡単に切れそうなものだが、アレナは気づかない。
ようやく切り出して、ふいーっと満足そうに額の汗を拭う。
アレナが選んだのはテンダーロイン、いわゆる「ヒレ」だ。
カットが分厚い。
一番いい肉をたくさん使えば美味しいだろうという強気の発想である。
「次はどうされますか?」
「『衣をまとう』ですものねえ。この材料を見ると……たまごでくっつければいいのかしら?」
言うが早いか、アレナはヒレ肉を箸で掴んで、コカトリスの卵を割った深皿にべちゃーっと塗りたくる。
なお卵は溶かれていない。
が、大胆なお嬢様のおかげで自然と黄身が割れた。
「なるほど、さすが初代さま! これで『パン粉』がつきますわね!」
にっこにこのアレナは、隣にある粉に卵付きヒレ肉を落とした。
まんべんなくパン粉をつける。
ちなみに、「『粉』と言うぐらいだから」と、パンは小麦粉レベルになるまで粉砕された。わざわざ石臼を手配してゴリゴリまわした、昨日のダリアの涙ぐましい努力である。
「あの、お嬢様……この小麦粉はいつ使うんでしょうか? なんかもう衣っぽいものはできてるような」
「……わかりませんわぁ! どうしましょう……」
「お嬢様、ひとまず『あげて』みてはいかがでしょうか。最初から完璧なものが再現できるとは限りません」
「なるほど、ベルタは賢いですわね!」
甘やかす侍女のおかげで、調理過程はすっ飛ばされた。まあすでに手遅れではあるのだが。なくても「とんかつ」っぽくなる工程だったのは幸いか。味はともかくとして。
「うぉんっ!」
パン粉をつけたオーク肉を見て、カロリーナはぶんぶん尻尾を振っている。
おにく! 美味しそう! 食べていい? いいの? とでも言いたげだ。
コカトリスの卵をつけた最高級のオークキングのヒレ肉は、カロリーナにはごちそうに見えるらしい。賢くてもしょせん獣である。まだ子供だし。
「ふふっ、まだですわよカロリーナ。待て、ですわ!」
アレナに止められると、カロリーナはちょこんとお座りした。目はキラキラしたままだ。
続けてアレナは作業台の端、火の魔道具を使ったコンロに目を向ける。
そこは鉄鍋に種吹樹の油が並々と注がれ、火にかけられていた。
「と、とんかつは、こんなに油を使うんですか? すっごくぜいたくな料理ですね……」
「初代さまが求めた料理ですもの! それに、少ないよりは多い方がいいのではなくて?」
「そんなものですかねぇ……」
ロンバルド王国でもルガーニャ王国でも、油は貴重品だ。
鉄鍋いっぱいの油に、貧乏貴族だったダリアが引くのも仕方ないかもしれない。
まあ、そのお嬢様の豪快な判断のおかげで「とんかつ」に必要な油の量に近いのは皮肉なものだ。
案外、新たなレシピとはこうした思い込みから生まれるのかもしれない。違う。
「さあ! いよいよ『あげ』ますわよぉー!」
気合い一発、アレナはヒレ肉を熱した油の中に突っ込んだ。
じゅわっと一気に泡立ち油が跳ねる。
「お嬢様!」
「ふふん、なんの問題もありませんわ!」
焦るベルタだが、アレナは余裕の表情だった。
調理中、包丁や油で怪我することがないよう、全身を薄く『魔力障壁』でおおっていたので。
用意周到である。
しかし。
「……これ、いつまで『あげ』ればとんかつになるのかしら?」
油の中でじゅわじゅわと激しく音を立てる分厚い「とんかつもどき」を前に、アレナは首をかしげるのだった。
かつて男子高校生だったマリーノ家の初代が残した『異世界転生日記』には、そこまで書いてなかったらしい。





