間話 エドアルド・ロンバルディア第一王子
魔法と芸術の国、ロンバルド王国。
その粋を集めた王宮で、一人の男が浮かない顔をしていた。
壁に飾られた絵画にも美術品にも、彫刻にも天井画にも目もくれず。
「財務大臣。先日提案した、冒険者の報酬から天引きで国税を徴収する案だが——」
「検討しましたが、難しいという判断です」
男——エドアルド・ロンバルディア第一王子——は、廊下を通りかかった財務大臣に話しかける。
が、財務大臣は一瞥しただけであっさりエドアルドの提案を退けた。
「なぜだ! 一度王宮に富を集めれば、ダンジョンを抱えた貴族だけでなくすべての貴族が恩恵に預かれるのだぞ!」
「他国と比べて税が割高になると知れば、冒険者は流出するでしょう。彼らは自由人ですから」
「ならば越境を禁じればいい!」
「はあ……検討にも値しません。申し訳ありませんが、御前会議の時間が迫っておりますので」
食い下がるエドアルドをいなして、財務大臣は横を通り過ぎていく。
エドアルドのうしろにいる侍従と近衛騎士は渋い顔だ。
礼儀のなっていない財務大臣に、ではなく、エドアルドの提案内容と、「なぜ却下されたか」理解できない様子に。
周囲の見えていないエドアルドは気づかない。
次に向かったのは、王家を守る近衛騎士団団長の執務室だった。
「団長。先日の話したこと、いつから実行できる?」
「殿下……なんのことでしょう?」
「なんのこと、だと! 近衛から俺直属の部隊を作ってダンジョン攻略するという話だ!」
「本気だったのですか?」
「当たり前だろう! そうすれば精鋭はより精鋭となる! しかも、面子によっては深層の攻略も可能なのだ! 莫大な資金が稼げるのだぞ!」
「なりません。以前もそう申し上げたはずですが」
「なぜだ! 成功間違いなしの策だというに!」
「殿下。近衛騎士は王家の安全を守る者です。他の任務にさける人員はございません」
「ふん、ならば許可などいらぬ! 俺がダンジョンに行けば、我が身を守るために近衛もついてくるのだからな!」
「陛下の許可なく危険な地に赴く場合、全力をもってお止めいたします」
「ちっ! あれもダメ、これもダメと! 話にならん!」
ばたんと扉を閉めてエドアルドが退室する。
背後のため息も聞こえないし、天を見上げる近衛騎士団長の姿は目に入らなかった。
頭を抱えながらついていく侍従や、護衛対象の不甲斐なさに肩を落とす近衛騎士の姿も。
「くそっ、どいつもこいつも使えんヤツらめ!」
近衛騎士団長からすげなく追い返されたエドアルドは、自室に戻る回廊を歩いていた。
イライラと靴音を響かせながら、何気なく左に目を向ける。
広大な王宮でも奥まったそこは、近衛騎士の訓練所になっていた。
近衛騎士団長が執務に励むいまも、十数人の騎士が訓練を行なっている。
いや。
「近衛の訓練に女性が混じって……?」
金属鎧を着込んだ騎士たちの中に、一人だけドレス姿の女性がいた。
もっとも、ドレスは土煙で薄汚れ、髪は乱れて、王宮で見かける「淑女」の面影はない。
女性は護衛役なのだろう騎士の背後で魔法を使い、時に攻撃役の騎士の斬撃——刃は潰されているが——回避し、時に打ち付けられ、自らに魔法を使っていた。
「あれは、回復魔法……? まさか、フラウ、か?」
稀少な回復魔法の使い手であること、輝きを失いながらも変わらない髪色を見て、ようやくエドアルドが思い至る。
ひさしぶりに見た愛する人の姿はやつれ、土煙と血で汚れていた。
目を丸くしたエドアルドの視線の先で、フラウが攻撃役の騎士に蹴られて地面を転がる。
上体だけ起こして回復魔法をかけ、すぐに護衛役の背後に移動する。騎士が守りやすいように。
顔を上げたフラウは、王立貴族学園時代にエドアルドが見たことのないほど鬼気迫る表情をしていた。
こけた頬にほつれた髪がかかり、目だけに強い意志を宿らせている。
「フラウ……これが、俺がアレナを捨てて、欲しいと思った女、か……」
余裕のないフラウは、すぐそこでエドアルドが見ていることなど気づいていない。
厳しい王妃教育に耐え、王家の最後の盾となるべく心身を鍛えられ、それでも食らいつこうと必死だ。
すべては、エドアルドの隣に立つために。
ゆえに。
エドアルドの存在に気づかなかったことは、フラウにとって幸運だったのかもしれない。
もしいまのエドアルドの、がっかりした顔を見たら、心が折れてもおかしくないから。
あるいは、いまここで気づかなかったのは不幸なのかもしれない。
たとえ「王家の言葉」は覆せなくても。
近衛騎士団の敷地をあとにしたエドアルドは、どこかぼーっとした様子で歩みを続ける。
自室に戻ろうとしているはずが、普段の経路と違うことにも気づかない。
当たり前だが、王宮は地位によって「使う通路」が違っている。
下働きの者が通る場所に貴族や王族が足を踏み入れることはないし、侍女や侍従が通る場所も同様だ。
また、王族や貴族が通る場所の多くはかぶっているとはいえ、「王族が通らない場所」も多い。
明確に分かれているのは階級社会ゆえでもあるが、トラブルを避けるためでもある。
エドアルドが歩いているのも、本来は王族が使うはずのない通路だった。
だから、噂話に興じる侍女たちも油断していたのだろう。
「聞いた? 殿下の話」
「なんだか厳しいみたいねー」
「陛下はいろいろ考え直してるみたいよ」
「まあねえ。むしろ新婚約者の方を見直しちゃったわ」
「わかるー! あんなスケジュール無理無理! 死んじゃうって!」
「健気よねえ……それに比べて」
「やることなすこと空回り。そりゃハレの日のアレを見ちゃったらねー」
「次代はどうなるんだろ。まさか初の女王が生まれちゃったり?」
「それはないでしょ。順番繰り上がりが最有力」
「私たちもいろいろ考えておいた方がいいかも」
まさか侍女の使う通路の向こうに、王族がいるなんて。
血相を変えたエドアルドが覗き込むも、すでに人影はない。
侍女や使用人が使う通路は、王族や貴族が通る廊下と違って迷路に例えられるほど細く曲がりくねっている。
なおも追おうとするエドアルドだったが、それはお付きの侍従に止められた。
「根拠のない噂話ゆえ」「私が必ず罰しておきますから」と。
とりあえず。
まわりが見えていないエドアルドだが、名前を言われなくてもそれが「自分のこと」だとは気づいたようだ。意外なことに。
「どうする、どうするエドアルド。このままでは……認めん。たかがあの女を追放したぐらいで、王の座につけぬなど」
自室に戻ったエドアルドは、部屋の中をうろつきながら一人ブツブツ呟いていた。
物に当たったのだろう、床には割れたツボの破片や花が散っている。
それでも、この姿を見られないように侍従や護衛を外に出したあたり、まだいくらかの理性は残っているようだ。
「あの女を呼び戻すか? 形だけの王妃として……そうだ、仕事だけさせればいい。そうすれば素直で優しく美しいフラウも元に戻り……フラウは寵姫として……」
「失礼します、エドアルド殿下」
「出て行けと言っただろう!」
「いえ、私は言われておりません」
「は? 何者…………お前はたしか、フラウの侍女の……」
「はい。フォルトゥナート子爵より手紙を預かってまいりました」
「子爵から? フラウではなく?」
「はい。こちらに」
突然の侵入者を誰何しようとしたエドアルドだったが、侍女と目を合わせると思い直した。
王立貴族学園時代からフラウのうしろに控えていた侍女だと。
何度も顔を合わせたし、フラウを口説く手伝いさえしてもらったこともあると。
その侍女は懐から一通の封筒を取り出す。
エドアルドは受け取って封蝋をたしかめ、すぐに手紙を開けた。
なんの疑問も抱かずに。
「ほう? アレナを連れ戻す手助けをする、と……? 場所はわかっているのか?」
「もちろんです。ルガーニャ王国のベリンツォにいると聞き及んでいます」
「はっ、きちんと国外に出ているとはな。だがどうするのだ? 行くとなればマリーノ侯爵領を通るだろう?」
「フォルトゥナート子爵領の港より、海路にてルガーニャに入ると手紙に記した、と子爵は申しておりました」
「なるほど、たしかに。だが俺自ら行くとなると陛下もいい顔はしないだろう。いくらお忍びといえど護衛や侍従も——」
「そこは子爵が手配するとのことです。また、疲れの溜まっているフラウ様も同行されると」
「では俺は、王宮を、王都を出ればよいだけだな」
「はい。可能でしょうか」
「王家しか知らぬ抜け道がある。そこで待ち合わせとしよう。フラウは」
「私が連れてまいります」
「わかった」
手紙を読み、時に侍女と視線を合わせて、エドアルドはフォルトゥナート子爵の提案を受けると決意した。
途中、重大な質問に答えが得られていないが、不思議なことにエドアルドが気にした様子はない。
フラウの侍女は音もなく退室して、部屋にはエドアルドが一人残された。
そもそも、なぜ暗殺を命じたフォルトゥナート子爵が、アレナを連れ戻す提案をしたのか。
それも、第一王子自ら行かせて、しかも新婚約者のフラウを同行させて。
答えは単純だ。
フォルトゥナート子爵は、「アレナ・マリーノは死んでいる」と確信していた。
凄腕の暗殺者集団に高い金を払った以上、まだ連絡はなくても確定していると。
ならば、王妃候補であるアレナの死をエドアルドに自覚させて、フラウとの結婚以外道はないと腹を括らせたかったのだ。
さらに、行きか帰りか、道中で既成事実を作ってしまえばあとには引けぬだろうと。
あとは、精神的にショックを受けたエドアルドをなだめすかし、おだててその気にさせればいい。
なんなら、王命により王位継承権が破棄される前に、現在の国王に何かあれば、自動的に第一王子であるエドアルドが王になるだろう。
そうすれば自分は「王妃の親」どころか、「国王の唯一の父」となる。そうなれば……。
それが、フォルトゥナート子爵の考えだった。
アレナの父であるジャンカルロ・マリーノ侯爵あたりであればこう評したことだろう。
しょせんは低級貴族、謀略とも呼べぬ浅はかな考えよ、と。
ともかく。
翌早朝、エドアルドは王都を出立した。
王都近郊の森にて、フォルトゥナート子爵が手配した部隊と合流する。
護衛の騎士たちに馬車が数台、家宰に幾人もの侍女や使用人。
馬車の中には、戻りましょう、とエドアルドを説得するフラウと、件の侍女もいた。
抵抗するフラウをなだめすかして、一行は旅をはじめる。
まずは西へ、そのまま海に面したフォルトゥナート子爵領へ。
アレナを連れ戻したいエドアルドと、アレナの死を見せつけて自身に依存させたいフォルトゥナート子爵の手の者と、目的地を知って愕然とするフラウ嬢と、それぞれの思惑を乗せて。
ちなみに、フォルトゥナート子爵の思惑から外れて、行きの道中では既成事実を作れなかった。フラウが身も心も鍛えられた結果である。





