第九話
フィールドダンジョン『魔の森』の中を、アレナはご機嫌で歩いていた。
今日の戦利品であるコカトリスの卵を腕に抱えて、鼻歌まじりで。
「これで卵もおっけーですわね! あとは衣の材料を見つければ……くふふっ、『とんかつ』の再現も見えてきましたわぁ!」
「ころも。お嬢様、ころもってなんですか? 何で作るんですか?」
「ふふふ、料理経験のない初代さまも、これだけはわかったようですわ。衣とは、『ぱん粉』で作るんですのよ!…………名前にパンのつくモンスターを粉々にすればいいのかしら?」
「えっ? そこは普通に、パンを粉にするんじゃないですかね?」
「まあ! やりますわねダリア!」
「ええ……? モンスターを粉にするより普通の発想だと思いますけど……?」
どこか抜けた会話をするアレナ・マリーノと侍女見習いのダリア。
一方で、子狼のカロリーナと侍女にして「ニンジャ隊」の一員らしいベルタは忙しなく首を振って周囲の様子を確かめている。
「わふっ!」
「そうですね、カロリーナ。血の匂いがします。お嬢様、お待ちを」
ついに先頭を行くカロリーナがひと声小さく吠えて、ベルタが立ち止まった。
アレナとダリアを止めて静かにするようハンドサインを送る。
一行は腰をかがめて、できるだけ物音を立てないように進む。
天性のハンターでもあるカロリーナ、それにベルタはお手のものだ。あとアレナも。王子の元婚約者時代に、静かで美しい所作が求められたので。
ダリアも訓練させられたのか、それなりに音を立てずに歩くこと数分。
一行に、血の匂いの原因が見えてきた。
「ひゃっはー! 瀕死のコカトリスなんてツイてるぜ!」
「マリーノにボコられた時はどうなるかと思ったけどよ!」
「ほんとほんと、この仕事受けてよかったな!」
「おい黙れ、仕事のことは秘密って言われたろ?」
「はっ、こんなとこ誰もいねえって!」
ぎゃはは、と下品な笑い声をあげながら、二体のコカトリスを解体する男たちが三人。
ベリンツォの街の冒険者ギルドでアレナに絡んだ冒険者だった。
「なっ、なんてことを……」
「ほんとです! いくらモンスターだからって、動けないところを倒して……ヒドいです!」
「私の卵が手に入らなくなってしまいましたわ! 許せませんわよ!」
「あっそっちですか。そうですよね、コカトリスは危ないモンスターですもんね」
ひそひそ声でアレナとダリアが会話をかわす。
予想外の光景を目にしても、アレナは取り乱して大声を出したりしない。お嬢様は急に大声を出さない。
「どうなさいますか、お嬢様?」
「私の卵の恨みを晴らすに決まっていますわ! そこの不届き者!」
「がうっ!」
「お待ちください! 伏兵です!」
立ち上がったアレナにベルタが注意を飛ばす。
カロリーナも、隠れている敵の存在に気づいたらしい。あぶないっ!とばかりにアレナの袖をくわえた。
「まあ、ベルタとカロリーナにこの瞬間まで気づかせないなんて、なかなかやりますわねえ」
だが、アレナは動じない。
相手がかつて圧勝した冒険者といえど、手は抜かないタイプなので。
すでに張っていた『魔力障壁』に、矢や投げナイフが弾かれる。
「へっ?」
「おい、マリーノだ! 逃げるぞ!」
「バカ、戦えって言われたろ?」
「はっ、聞いてられっか、あんなのと実戦したら、ご、ごふっ、なんだ、これ!」
攻撃したのはならず者冒険者ではない。
アレナに気づいた三人は逃げようとしたものの、とつぜん荷物から吹き出した煙を吸って咳き込んだ。
「ベルタ?」
「毒です。どうやら私の同業者のようです、お嬢様」
「あら、めずらしいですわね」
険しい目でアレナが三人の冒険者を、姿を見せない周囲の襲撃者を見渡す。
その間にも、断続的に遠距離攻撃が飛んできては『魔力障壁』に弾かれる。
「お嬢様、ベルタ先輩!」
かばうようにカロリーナを抱きしめたダリアが警告する。
三人と一匹の横から、炎の玉や風の刃、土の塊が飛んできた。
「心配いりませんわ、ダリア。物理も魔法も防げなければ、王妃、つまり『王の最後の盾』になんてなれませんもの!」
「そ、そんなことないと思いますけど……」
何をするでもなく、飛んできた魔法はアレナの『魔力障壁』に防がれた。
炎の玉の爆発で多少視界が悪くなったが、効果はそれだけだ。
「敵はお嬢様のことを調べてきているようですね」
「そんな! 大変じゃないですか! お嬢様は強いけどでも」
「うぉふっ!」
「ふふ、よく気づきました、えらいですわよカロリーヌ! ベルタ、状況が変わったようですわ」
襲撃者は遠距離攻撃で攻めて、徹底的にアレナに近づかない。
アレナが『身体強化』と『魔力障壁』、二つの魔法しか使えないと知っているのだろう。
複数人の魔法で攻めて、アレナの魔力切れを狙う構えだ。
さらに。
先ほど血の匂いが流れてきた風上から、煙が流れてくる。
いち早く気づいたのは鼻のいいカロリーナだった。
「毒、ですわね」
「そんな! 大変じゃないですか!」
冷静なアレナとベルタをよそに、ダリアが目を見開く。
ちょっとあわあわして、すぐにキッと目つきが変わった。
「わ、わたしが、『聖結界』で、ベルタ先輩とカロくんを守ります! この身に代えても! 怪我しても、毒だって自分で治せますし!」
ぐっと拳を握りしめて二人と一匹に告げる。
足元のカロリーナがニヤッと笑った感じで、えらい! 見直した! みたいな顔をしている。
「だ、だからお嬢様、お嬢様に頼むのは心苦しいのですが、わたしたちのことは心配せずに、どうか」
「ダリア、王宮の中で王族が殺される場合、死因は何が一番多いか知ってるかしら?」
「え? 剣とか刃物ですか? 魔法?」
「毒に決まってますわ! つまり! 私の『魔力障壁』と『身体強化』は! 毒もばっちり防ぎますのよぉー!」
「ええ……? お嬢様理不尽すぎません? さすがマリーノ……」
「それにしても調査が甘いですね。にわか暗殺者でしょうか」
「暗殺者に『にわか』っているんですかねベルタ先輩……あっ、でも状況はよくなってないような」
「ベルタ」
「はっ。『魔力探査』は終わりました」
「ふふ、さすがですわね。ダリア、心配はいりませんわよ? 私、アレナ・マリーノが! この場から動くことなく! 不届き者を仕留めてやりますわぁ!」
「…………え? でもお嬢様は遠距離攻撃の武器も魔法もなくて」
「『思考を柔軟にして常識に囚われない』! それこそ初代さまが残した『異世界転生日記』から読み取れる、マリーノ家に連綿と伝わる一番の教えですわぁ!」
ビシッと言い切ると、豊富な魔力量を誇るアレナが魔力を練った。
かつてロンバルド王国が攻められた際、先代侯爵と現マリーノ侯爵が、大自然に傷痕を残した時のように。





