間話3 フラウ・フォルトゥナート子爵令嬢
魔法と芸術の国、ロンバルド王国。
フラウ・フォルトゥナート子爵令嬢は、華やかな王宮内の一室にいた。
「本日はここまでにしておきましょう」
「ありがとうございました、イメルダ女史」
「明日からは座学ではなく、実際に体を動かして実技を行います」
「よろしくお願いします!」
「根を詰めるのもいいですが……きちんと休んで美を維持するのも淑女の務めですよ?」
「でもわたし、王妃教育ははじめるのが10年遅くて。だから、大変でもやりたいんです」
「先ほど言ってましたね。胸を張ってクソ坊ちゃん——失礼、エドアルド殿下の隣に立ちたいと」
「はい。……わたし、アレナ様は当たり前のことを言っていたと思います。それに、物がなくなったのも階段から突き落としたのも犯人はわからなくて、でもエド様は止めても聞いてくれなくて」
「そんなことだろうと思っていました。けれどそれは、判断を下したエドアルド殿下が背負うべきものです」
「わたし、アレナ様に謝りたいです……」
「謝ってなんとしますか? 衆人監視の中、エドアルド殿下は『王家の名において』と明言したうえでアレナ嬢との婚約を破棄、国外追放して、フラウ嬢と婚約をしたのです。いまさら覆りません」
「わかっています……イメルダ女史の講義を受けて、理解しました」
「そのための講義ですからね。フラウ嬢がエドアルド殿下の婚約者である限り、公式にはアレナ嬢に謝ってはなりません。もちろん結婚してからも」
「『王家が間違えた』と認めることになってしまうから……」
「そうです、よく理解できましたね」
「はい……」
「今日はもう行きなさい。忙しくとも休息の時間は作るのですよ」
「はい……ありがとうございました、イメルダ女史」
イメルダに促されてフラウが立ち上がる。
ふらっとよろめいたのはイメルダの話が重かったのか、謝ることも覆すこともできないアレナへの罪悪感か。
目の下に化粧で隠しきれないくまができているあたり、疲れや寝不足が原因かもしれない。
いくら短時間だったとはいえ、エドアルドは気づかなかったようだが。
よろめきながら部屋を出るフラウと、実家から連れてきたという侍女を見送って、一人になったイメルダはふうっと深いため息をついた。
「思いも悩みも感情も表に出る、素直でいい子ね。……王妃には向いていないけれど」
先が思いやられる、とばかりに額に手を当てる。
賢明なイメルダ女史は「彼女と結婚したいなら、エドアルドが王位継承権を放棄して王家を出ればよかったのに」などという考えは口にしない。
部屋には誰もいないが、王宮ではどこに耳があるかわからないので。
「遅くなりました!」
「気にするでない、時間前の到着だ。彼奴らは彼奴らで訓練していただけゆえな」
広大な王宮の敷地の中には、騎士団の宿舎も訓練所もある。
フラウが訪れたのは、王家を守る近衛騎士団の訓練所だ。
「あれ? 今日は回復待ちの人がいませんね?」
フラウ・フォルトゥナート子爵令嬢は稀少な回復魔法の使い手だ。
現在、回復魔法の使い手は国が把握しているだけで12人、うち5人は冒険者や教会に所属している。
残る7人も、大半は貴族に囲い込まれているか貴族自身で、自由に動ける者は数少ない。
王宮に移って近衛騎士団の訓練に参加するようになってから、フラウは連日、怪我した騎士を回復魔法で癒やすことを繰り返していた。
使い続ければ回復魔法の精度が上がるという説を実践するためと、激しい訓練をしても任務に差し支えなくなるという、双方のメリットを考えてのことだ。
「うむ。今日はこれまでと訓練方法を変えようと思ってな」
「はあ」
回復魔法の使い手の中でも、フラウは生まれ持っての魔力量が多い。
それが、王立貴族学園でエドアルド第一王子と仲良くなった——王子が話しかけてきた——きっかけでもある。
フラウが戸惑っているうちに、近衛騎士団長が部下に指示を出していく。
訓練所の中央に一人、反対側に三人の騎士が並んだ。
「さて、フラウ嬢。今日からは護身術ではなく、より実戦に即した訓練を行うこととする」
「はい!」
「近衛とは王家を守る盾である。有事があれば王子の婚約者であるフラウ嬢を守ることになるだろう」
「わたしなんかを……じゃなかった、えっと、ありがとうございます」
「うむ。今回は、多勢に襲われたフラウ嬢を単独で守りつつ、時間を稼ぐ訓練を行う」
「わたしは何をしたらいいでしょうか?」
「まずは守られること。そして、少しでも時間を稼ぐべく孤軍奮闘する騎士に回復魔法をかけよ」
「はい、わかりました!」
「いい返事だ。でははじめっ!」
頷いた騎士団長がその場で号令を出す。
と、訓練所の中央にいた三人の騎士がさっそく走り出した。
たったいままで、騎士団長と話していたフラウのもとへ。
「ひっ!」
「フラウ嬢! 大きく回り込んでこちらへ!」
「は、はいっ」
鎧をまとって、剣と盾を手に疾走してくる集団に最初こそ怯えたものの、フラウはすぐに動き出した。
騎士の指示に従って走る。
いくら鍛えているとはいえ、全身金属鎧のフル装備で走る騎士よりフラウの方が早く、フラウは無事に護衛役の騎士の背後にたどり着いた。
まあ、近衛騎士たちが『身体強化』の魔法を使っていないからでもあるのだが。そこはあくまで訓練なので。
「フラウ嬢! ゆっくり壁際まで下がってください! ぐっ!」
「わかりました! わっ! ありがとうございます、〈治癒〉!」
フラウを守る役割を与えられた騎士は、襲いかかる三人の攻撃を剣でいなし、盾で防ぐ。
たがいに近衛騎士、力量差はないのか体に当たる攻撃も出てくる。
訓練用に刃引きした剣であってもダメージは大きい。
「訓練にしては、〈治癒〉! 激しすぎませんか!? 〈治癒〉!」
「我らは王家の盾、いざという時に守れるよう、鍛えねばなりません、がっ!」
「〈治癒〉! 角まで、下がりました!」
「ではそのまま、回復を続けてください! 倒れるまで! かはっ」
「〈治癒〉! 〈治癒〉!」
それは、体を張る騎士の傷が治りきらず倒れるまでなのか、それともフラウが魔力切れで倒れるまでという意味なのか。
フラウが訓練場の壁際に立たせて、護衛役の騎士はひたすらに猛攻を耐える。
傷ついては治され、回復魔法でもすぐには治しきれない傷を負っても。
やがて、ボロボロになった騎士が抑えきれなくなり、襲撃役の騎士の剣撃が背後に飛んだ。
「うっ! 〈治癒〉!」
フラウはとっさに腕で受けて、自分に回復魔法を使う。
見上げると、襲撃役の騎士は剣を振り下ろそうとしている。
訓練とはいえ、刃引きしてるとはいえ、鉄の塊が頭に降ってくる未来を予見して。
それでも、フラウは目を閉じなかった。
「そこまでッ!」
「はあっ、はあっ、はあ……あっ、〈治癒〉! 〈治癒〉!」
騎士団長の声に、目の前で剣が止まる。
荒い呼吸を繰り返したフラウは、すぐに倒れた護衛役の騎士に回復魔法を飛ばした。
「ふむ。いかがでしたか、フラウ嬢」
「ほんとに、〈治癒〉! こんなに激しい訓練をする必要があるんですか? 〈治癒〉!」
「もちろんです。我らが命を張って王家を守るのは当然として……殿下の婚約者であるフラウ嬢も、守られる訓練をしなくては」
「守られる、訓練……これが王家の重みなんですね……」
「それだけではない。フラウ嬢はエドアルド王子を守る最後の盾とならねばならぬ」
「二人でいるところを襲われたら……」
「ほかにも、考えたくはないが、我ら近衛が倒れた時。フラウ嬢が時間を稼げれば、王子が、王が助かる可能性が高くなるだろう」
「そう、ですね、わたし、がんばります! わたしが、婚約者になったのですから!」
アレナに謝りたくても謝れない。
そんなつもりじゃなかったと言ったところで、エドアルド第一王子は決断して公表した。軽々に覆せるものではない。
なら、自分はもうがんばるしかない。
エドアルドと一緒にいるために、第一王子の婚約者として、いずれ王妃になる身として。
クマが浮いてやつれた顔で、フラウはぐっと拳を握る。
「その意気だ、フラウ嬢。ところで、回復魔法は極めれば斬り落とされた腕や足をつなぐことさえ可能だと言いますな」
「あっはい、学園の先生に聞いたことがあります。わたしはまだそこまでできませんが……」
「よろしい! では、ゆくゆくは近衛騎士が致命傷を負っても、手足を失ってもすぐ戦線に復帰できることを目指すとしよう!」
「……えっ?」
「最終的には、自身を盾に回復魔法で命をつなぎながら王を守れるようになりますぞ!」
「…………えっ?」
近衛騎士団長は、うむ、と一人大きく頷く。
フラウは引き気味だ。
がんばると決意したとはいえ、あまりにあまりな目標で。
「あの、ちなみに、訓練を続けてきたアレナ様は、回復魔法を使えないはずですが、どんな風に」
「はははっ! アレナ嬢は天才でしたな! 『身体強化』と『魔力障壁』で、我らを返り討ちにしておったよ!」
「………………ええっ!?」
近衛騎士団長は、はっはっはっと朗らかに笑う。
フラウはぽかんと口を開け、たらりと汗を落とした。
がんばる、がんばるけど、求められるハードル高くない!?とばかりに。
引きつるフラウの顔を、訓練場の片隅で、実家から連れてきた侍女が見つめていた。
「おや、フラウ。持っていくのはそれだけでいいのかい?」
「はい」
「そうか……では、いつもの商会に王宮へ行かせよう。ドレスもアクセサリーも、そこで頼むといい」
「お気遣いありがとうございます、お義父様」
「なあに、可愛い娘のためだ。くれぐれも殿下によろしく伝えてくれ」
「はい。では、わたしは帰りますね」
「ああ。いってらっしゃい」
父娘なのにどこかよそよそしい会話を交わして、フラウは王都にあるフォルトゥナート子爵邸を出て行った。
滞在は二時間ばかりのわずかな時間だ。
単に私物を取りにきただけというのもあるが、子爵邸が落ち着かないのだろう。
寮生活の王立貴族学園時代を除くと、ここには一年も住んでいないので。
「チッ。誰のおかげでエドアルド殿下の婚約者になれたと思っているのだ」
フラウを見送ったフォルトゥナート子爵が忌々しげに舌打ちする。
先ほどまでのにこやかな微笑みはない。
「おい」
「はっ」
「フラウの様子はどうなのだ? 王妃教育は捗っているか?」
「真面目に取り組んでいることは評価されています。が、元が元ですので……」
「ふん、しょせん平民の子は平民か。本当に我が子かどうかも疑わしいのに引き取ってやったものを、使えぬ女め」
フラウ・フォルトゥナート子爵令嬢は、生まれついての子爵令嬢ではない。
いまのフォルトゥナート子爵が外で作った愛人の子で、平民として市井で暮らしていた。
母親が亡くなったのを機に子爵邸を訪ねたところ、フラウの見た目の良さを受けて子爵は「何かに使えるだろう」と引き取る。
その後、稀少な回復魔法の使い手であることが判明して養女とし、王立貴族学園に入学させたのだ。
貴族子女として通るように行われた短期間の厳しい教育は、フラウがいま王妃教育をがんばれる下地になっているのかもしれない。
「このままではエドアルド殿下の婚約者の座も危ういか……おい」
「はっ」
フラウ付きの侍女から現状を聞いた子爵が背後に声をかける。
すると、音もなく家宰が現れた。
「第一王子が『王太子』となるのに一番簡単は方法はなんだと思う?」
「卒業パーティでの出来事をなかったこととし、アレナ・マリーノと再婚約することかと」
「ほかの上級貴族では?」
「第一王子と釣り合う家柄で、『婚約者がいない年頃の娘』は存在しません」
「うむ。ならば、フラウとの結婚を確実なものにするには邪魔者がいるな?」
「再婚約の可能性はゼロではありません」
「バカ正直に国外に出たと聞く。ちょうどいい」
「では」
「暗殺者ギルドに依頼しろ。金に糸目はつけん、凄腕を頼め。なに、アレが王妃になれば金などいくらでも回収できる」
「御意に」
「行け」
フォルトゥナート子爵がくいっと顎で示すと、家宰は音もなく消えた。現れた時と同様に。
「これでアレが王妃になれば……王妃の実家が、たかが子爵家というわけにはいかんよなあ? 伯爵、いや、侯爵もあるか?」
薄暗い部屋に一人残されたフォルトゥナート子爵がニヤニヤ笑う。
義理の娘であるフラウは、義父であるフォルトゥナート子爵の本性を知らない。距離を取っているあたり、本質には気づいているのかもしれないが。
そして。
ルガーニャ王国に到着したアレナ・マリーノは、自身に暗殺者が放たれたことを知らない。
毎日投稿続けられる人すごい……
書き溜めが減ってきたもので、
次章からは三日に一回ぐらいのペースに落とさせてもらいます……





