間話2 エドアルド・ロンバルディア第一王子
魔法と芸術の国、ロンバルド王国。
広大にして華美な王宮ではさまざまな行事が執り行われる。
王立貴族学園の卒業パーティもそのひとつだ。
学生は卒業という節目を迎え、これからは貴族の一員として過ごすことになる。
そんなハレの日に。
王宮の、それも国王の私室は、厳しい空気に包まれていた。
「ですから、俺はアレナ・マリーノ侯爵令嬢との婚約を破棄し、国外追放を命じたのです!」
「『王家』の名を出して、か?」
「はい! この第一王子エドアルド・ロンバルディアに歯向かうような者は俺の婚約者にふさわしくありません! ロンバルド貴族としてもあり得ません!」
「はあ。なにゆえこうなったのか……」
「父上?」
「エドアルド。あなた、本気でそんなことを言っているのですか?」
「母上? もちろんですよ?」
厳しい空気にも、両親の思いにも気付かずエドアルドが首をかしげる。
両親——国王と王妃——に問い詰められていることさえわかっていない。
もちろん、なぜ問い詰められているかも。
「このバカ者ッ! 臣の諌言も忠言も聞かず王が務まるかッ!」
「ひっ!?」
「しかも王家の名を出して婚約破棄、あまつさえ国外追放だとッ!? 貴様、何様のつもりだ!」
「し、しかし父上、俺は第一王子で、ゆくゆくは王になるはずで」
「黙れ! 儂に一言もなく一方的にマリーノ侯爵家との婚約を破棄して! 許可なく『王家の名において』国外追放を命じる者など王にできるものかッ!」
「えっ……? で、でも俺は」
「エドアルド」
「母上。父上になんとか言ってください、俺は間違ったことはしてないと」
「間違っています。それに気付かない程度のままであれば、私も陛下に、エドアルドを王にしないよう進言します」
「なっ!? 母上まで!? なぜです!?」
「本当に、わからないのですね……私たちの教育が足りなかったのでしょうか……」
「エドアルド。儂が言ったところで、自ら気付かねば意味がないのだ。しばし己を磨く期間とせよ。勝手に『王家の名』を使うことも許さぬ。もし成長が見られなかった場合、王位継承権を剥奪する」
「そ、そんな……」
「これは最後の機会だ。支える妃や忠臣がいたところで、王とは自ら考え、決断し、示すもの。王の資質を見せてみよ」
言いたいことは言った、とばかりに国王が立ち上がる。
王妃も続き、二人して部屋を出ていく。
残されたエドアルド・ロンバルディア第一王子は、ただ呆然と座り込んでいた。
王子付きの侍従に声をかけられるまで、ずっと。
「トスカノ子爵、少々よいか?」
「エドアルド殿下。もちろんでございます」
ロンバルド王国の王宮には、パーティ用のホールや王家が暮らす場所があるだけではない。
王国の政務を行う部署も王宮の敷地内に存在している。
その一角で、エドアルドが一人の貴族に声をかけた。
が、足を止めて顔を伏せるトスカノ子爵に笑顔はない。
なにしろ、数日前の卒業パーティでエドアルドがやらかしたことを知っているので。
「ダンジョン『毛皮の楽園』の探索許可を頼む」
「我が領の……どなたが何名で攻略される予定でしょうか?」
「俺と聖女フラウ、それと学園時代にパーティを組んでいた騎士二人と魔法使いだ」
「なるほど……申し訳ありませんが、許可は出せません」
「は? なぜだ?」
「エドアルド殿下の御身に何かありましたら大変でございます」
「ははっ、心配はいらぬ。俺は一流の魔法剣士で、騎士二人は護衛でもあるのだぞ? 怪我をしても聖女がいるのだ、問題はないだろう」
機嫌よくエドアルドが言っても、トスカノ子爵は顔を上げない。
「一流」かどうかは置いておいて、剣も魔法も使えるエドアルドに王子の護衛騎士二人、魔法使いと稀少な回復魔法の使い手。
パーティとしてのバランスはよく、これがダンジョン攻略に向かう冒険者パーティなら大歓迎されるだろう。
ダンジョン『毛皮の楽園』はトスカノ子爵領唯一のダンジョンで、獲れる毛皮や肉はトスカノ子爵の名産なのだから。
だが。
「よいな、トスカノ子爵」
「エドアルド殿下。それは王家としての命令でしょうか?」
「…………違う」
「ではやはりお断りいたします」
「は!? よかろう、我が身に何があろうとも責任は問わぬ! ダンジョンで得た素材はすべてトスカノ子爵領内で買取に出すことを誓おう!」
「それでも、許可は出せません」
「なぜだ!?」
「エドアルド殿下の御身に何かあっては問題になりますゆえ」
「責任は問わぬ、俺が誓うと言っているのだぞ!?」
「誓われましても、近頃は一方的に破棄されることもあるようですから。では、失礼いたします」
「そんなことは…………くっ」
エドアルドに背を向けてトスカノ子爵が去っていく。
王子の許しを得ず立ち去るなど、本来であれば失礼な行為だ。
だがエドアルドも、その背後の侍従や護衛騎士も咎めることはなかった。
護衛騎士は近衛騎士団長から、侍従は陛下その人から、「エドアルドを手助けするな」と直々に命じられていたので。
エドアルドは、ただ呆然とトスカノ子爵の背中を見送った。
「たかが子爵が俺の頼みを断るなど、何様のつもりだくそっ!」
婚約破棄してからというもの、やることなすことうまくいかない。
気分転換に近場にあるダンジョン探索に行こうとしても許可さえ下りない。
苛立ちを隠せないエドアルドは、王宮内のとある一室に向かった。
「フラウ。一緒に庭でお茶でもしないか? プリムラが見頃なんだ」
「エドさま!」
部屋に入って早々に声をかけると、フラウ・フォルトゥナート子爵令嬢が立ち上がる。
第一王子の新婚約者であるフラウには、エドアルドの希望と必要にかられて、王宮内に部屋が用意された。
それも、リビング、ダイニング、執務スペース、ベッドルーム、侍女のための小部屋が備えられた続き部屋である。
「エドさま、お誘いは嬉しいですけど、わたしはいま——」
「これはこれは。エドアルド殿下も礼儀作法の勉強が必要なようですわね」
「イメルダ女史!? い、いや、俺は」
「先触れもなく、入室を許可する返事もないうちから女性の私室に入り。事前の手紙もなくお茶に誘う。私の講義をずいぶん忘れてらっしゃるようで」
「い、いまは止めておこう! どうだ、フラウ、イメルダ女史の講義のあとは」
「えっと、このあとは騎士団の人が護身術を教えてくれることになっていて」
「そんなもの必要ないだろう? フラウは学生時代からダンジョンに潜れるほどだったではないか!」
「本当にわかってらっしゃらないようですねえ、エドアルド殿下。子爵家令嬢に求められるレベルと、王子の婚約者、ひいては王妃に求められるレベルは違って当然ですのよ?」
「だ、だがイメルダ女史! 王宮に来てからというもの、フラウはずっと講義漬けで俺とお茶も食事もする時間なく——」
「いいんです、エド様。わたし、胸を張ってエド様の隣に立ちたいんです。そのためにはがんばらないと」
「いい心がけです、フラウ嬢。なにしろ10年遅れの王妃教育ですもの、詰め込まなくてはやっていけませんわ」
「はい! だから、ごめんなさい。エドさまとずっと一緒にいるために、わたし、いまは——」
「そうか、わかった」
胸の前でぎゅっと手を組むフラウから目を離して、エドアルドはさっと部屋を出ていった。
切なそうに見送るフラウと、扇で隠しきれないため息を吐くイメルダ女史を置いて。
廊下に出たエドアルドはカッカッと靴音を響かせる。
王家御用達の礼儀作法講師、イメルダ女史が見たら顔をしかめるどころかピシャッと扇を鳴らしていたかもしれない。
「ずいぶんご機嫌斜めね、エド兄様」
「エリアーヌ。なんの用だ」
「エド兄様、私がっかりしてるのよ? アレナ様を『お義姉さま』って呼べなくなっちゃったんだもの」
「はっ、あんな高慢な女、義姉にならなくてよかったではないか」
「本気で言ってるのかい、エド兄様?」
「ふん、エルキュールまでいたのか」
エドアルドに気安く声をかけたのは、エリアーヌ・ロンバルディアとエルキュール・ロンバルディア。
妹と弟、つまり第一王女と第二王子だ。
二卵性双生児なのにそっくりな双子は、エドアルドの言葉に同じ表情を見せた。二人同時に呆れた。
「はあ、まったく。僕は王位になんて興味なかったのに。これじゃほんとに担ぎ出されるかもなあ……」
「ふふ、期待してるわよ、エル」
「なんだ、二人してこそこそと。言いたいことがあるならはっきり言え。俺のように」
「はあ…………」
「エド兄様はまわりが見えてなさすぎよ。王族は感情を見せてはいけないって教わらなかった?」
「ふん、エリアーヌには言われたくないものだ」
話はここまで、とばかりにエドアルドが歩き出す。
双子は顔を見合わせて、揃ってため息を吐いた。
とうぜん王立貴族学園に通っている双子は、学業・剣術・魔法、すべてでエドアルドの過去の成績を超えている。
だが二人とも、「王」という重い立場になる気はなかった。
兄であるエドアルドを支えるのもいいけど、役職に就くかどこぞの貴族と婿入り・嫁入りするのもいいなあ、自由で気楽な立場はどうせ無理だし、などと考えていた。
だが、第一王子がこれである。
「エリアーヌ」
「いやよ。エル、がんばってね」
ニンマリ笑って言われたエルキュールががっくり肩を落とす。
アレナが小さな狼を拾って、オスなのにカロリーヌと名付けたその頃。
魔法と芸術の国、ロンバルド王国の王宮は、ひっそりと暗い影が落ちはじめていた。
まるで、鮮やかな色彩があせていくかのように。