第十一話
アレナがマリーノ侯爵領の実家に到着した翌日。
アレナの姿は領都マリノリヒトの北西門の前にあった。
街からは侯爵邸を通り過ぎないとたどり着けないこの門が普段利用されることはない。
隣のルガーニャ王国に向かう商人は、西門を通って多少遠まわりする必要がある。
北西門が開くのは、侯爵家が通過する時か、戦争の時のみである。
「お父様、お母様、みなも。それでは、行ってきますわ!」
「うむ。これまで苦労したのだ。これからは思うように生きるがいい、アレナ」
「寂しくなるわ……住むところが決まったら教えるのですよ、アレナ。すぐお忍びしますからね!」
言った通り、アレナは実家に一泊しただけですぐ旅立つことにした。
見送りは両親と屋敷の使用人、それと数名だけの慌ただしい出発である。
「みなさまの言うことをよく聞いて、しっかり勉強するんですよ」
「はい、お姉さま!」
侍女見習いのダリアが弟をぎゅっと抱きしめる。
かがんだダリアの背中にカロリーナがのしかかっている。が、誰も何も言わない。もはやダリアも抵抗しない。
「ダリア、行きますわよ! ベルタ、出してくださいませ!」
「かしこまりました、お嬢様」
「弟に会えてよかったです! 本当にありがとうございましたお嬢様!」
「ふふ、別にこれが今生の別れというわけではなくてよ? ダリアはロンバルド王国に戻れるんですもの」
「いえ、わたし、お嬢様についていくって決めましたから!」
「くふふふふっ、いい心がけですわぁ!」
命じられた「国外追放」を守ったところで、アレナたちが家族と会えなくなるわけではない。
目的地は国外とはいえ、領都マリノリヒトまで三日の距離だ。
10日かかる王都よりむしろ近い。
貴族が国外に出る際は事前に王宮に届け出て、該当国に連絡して許可をもらって、とさまざまな手配が必要だが、「お忍び」ならスルーできなくもない。
アレナの旅立ちは、あっさりしたものだった。
「馬車も変えましたし、『異世界転生物語』は抄本ではなく全巻持ち出せましたもの。完璧ですわぁー!」
アレナのテンションは高い。
別れの寂しさよりも、これからの生活に思いを馳せている。
ちなみに、馬車は二頭立ての箱馬車から、一頭立ての幌馬車に乗り換えられた。
侯爵家の家紋付きの豪華で高価な馬車は目立つので。
アレナ、国外に出て「冒険者」をはじめる気満々である。
なお侯爵家が用意した幌馬車は、高性能の足まわりが偽装されて、見た目だけはありきたりに整えられていることをアレナは知らない。
アレナたちはマリーノ侯爵領の領都を出て、たどり着いた国境の砦で一夜を明かした。
砦を出てしばらく行けば、いよいよルガーニャ王国である。
「さあ、出発しますわよ!」
「よいのですか、お嬢様?」
「仕方ありませんわ。これで二度と会えないわけでもありませんもの」
ロンバルド王国とルガーニャ王国の国境、ロンバルド側はどこまでも続く土壁で遮られている。
小規模な砦があるのは、土壁と街道が交差する場所だ。
その周辺だけ壁は石造りとなり、通路が設けられていた。
先触れが出ていたため、アレナはなんなく通り抜け——
「アレナ様! 少々お待ちください!」
——ようとしたところで、兵士に呼び止められた。
通り過ぎてきた通路の奥、ロンバルド側が騒がしい。
騒ぎはどんどん近づいてきて、一人の男が飛び出してきた。
「間に合ったか! アレナ!」
「お爺様っ!」
幌馬車の荷台からアレナが飛び出す。続けてぴょーんとカロリーナも飛び出す。
アレナはそのまま、駆けつけてきたローブ姿の初老の男性に飛びついた。
旅立つと聞いて急ぎ国境の巡回から戻ってきたのはアレナの祖父。
当主に代わり、国から任せられた国境防衛の任に就くマリーノ前侯爵であった。
「おうおう、大きくなったのう、アレナ」
「嫌ですわ、お爺様ったら。ロンバルド王国では『小さい方が可愛い』んですのよ?」
「知ったことか! アレナ、それよりも。ジャンカルロから伝書鷹で手紙を受け取ったのじゃ。本当に国外に行ってしまうのか?」
「ええ! 私、ルガーニャ王国のベリンツォで冒険者になりますの!」
「あんなクソ王子の言うことなんか聞かなくていいんじゃぞ? なーにが国外追放じゃ、燃やしてやろうか」
「うふふ、お爺様ったら。これは私の希望でもありますのよ? 初代さまのように自由に生きて……初代さまの念願だった『とんかつ』を再現して食べまくるのですわ!」
「アレナは、ほんに大きくなったんじゃのう……」
しみじみと呟いて、祖父は目を細める。
孫の頭を撫でる手は、いつの間にか自分の顎のあたりまで上げる必要ができていた。
「うむ。アレナが決めたのであれば、儂はただ応援するのみじゃな」
「ありがとうございます、お爺様!」
「しかし、国外追放か……」
「ふふ。お爺様が国境を守る限り、私がここに来ればいつでも会えますわよ?」
「そうじゃな。ふむ……。ロンバルド王国に入れぬということであれば、ベリンツォ間際までロンバルド王国にしてしまえばいいのではないか?」
「もう、ダメですわ、お爺様。『マリーノの力は防衛のみ、侵攻には使わない』のが初代さまと王家の約定ですのよ?」
「ううむ、しかし……」
孫会いたさにはっちゃけかけた祖父をアレナが止める。
御者席のダリアは二人の会話を聞いて顔が引きつっている。
「あの、ベルタ先輩? あれ冗談ですよね?」
「王家とマリーノ侯爵家との約定は真実です」
「いえ、そっちじゃなくて。ベリンツォ間際まで獲っちゃえばいいって簡単に言ってますけど……」
「初代さまが設けた制約と、王家との約定を無視して『魔卿』『ロンバルド王国の守護神』が攻めにかかれば容易いでしょう」
「え、ええ……? 本当ですか? お嬢様が強いのは知ってますけど……」
「すぐにわかります」
「は、はあ」
「とにかく! お父様は、お爺様に国境を任せて王都に向かうそうですわ! 陛下と話をつけてくるって! お爺様はその結果を聞いて、たくさんお父様と話し合うんですのよ?」
「うむ……仕方ないのう……」
アレナはなんとか祖父の説得に成功したようだ。
つまり、戦争回避に成功した。孫バカのスケールがデカい。
「では、行きますわね。手紙を書きますわ、お爺様!」
「元気でな、アレナ。自由を満喫するのじゃぞ?」
「もちろんですわ!」
手を振るアレナが荷台に戻ると、ベルタはさっと幌馬車を進めた。
石造りの通路を抜けて、開かれた頑丈な門を通り過ぎる。
「ベルタ先輩、ここってもうルガーニャ王国ですか?」
「ここはどちらのものでもない緩衝地帯です」
「へえー。……何にもないですもんね。どっちも領地にしなかった感じなんですかね」
「いいえ、違いますわ!」
「お嬢様!?」
「マリーノ侯爵家に仕える者として、覚えておきなさい、ダリア。元は草原だったこの場所に、土魔法で壁を作ったのはお父様ですわ!」
「ええっ!? 見渡す限り続いてますけど!?」
「『マリーノ流魔力増強術』で魔力を増やし、柔軟な発想で魔法を極めた結果ですわ!」
「それは……土魔法使える人でも、一人でだーっと壁を作ろうなんて思わないと思いますけど……」
「そして! 土壁からこのあたりまで、草原を何もない大地にしたのはお爺様ですわ!」
「…………え? ええーっ!?」
「お爺様は火魔法の使い手ですの! 数十年前、迫るルガーニャの軍勢を前に『ロンバルド王国に攻め入りたければこの炎の壁を越えてくるがいい。そうしたらお相手しよう』と宣言して、見事防衛に成功したんですわ!」
「結果、草原は消失。マリーノ侯爵家の威光が大地に刻まれました。文字通り」
「スケールが大きすぎませんか!? わたし、マリーノ侯爵家側でよかった!」
そんな会話をしながらも幌馬車は進む。
火魔法で焼き尽くされた不毛の大地に、やがてちらほらと草花の存在が見えてくる。
進むうち、街道の両脇が草原となった。
「お嬢様。このあたりからルガーニャ王国だと認識されています」
「そう。私は、たどり着きましたのね…………」
ベルタが幌馬車を止める前に、アレナが荷台からさっと飛び降りる。
何かの遊びだと認識しているのか、またカロリーナが続く。キョロキョロするも今度は人の姿はない。
何もない草原で。
アレナは、バッと腕を広げた。
「ついに! 私はロンバルド王国のしきたりやらマナーやら伝統から解放されたんですわ!」
自由を満喫する。
両手を天に突き出す。
「だいえっととはオサラバですわ! これで私は自由ですの! また一歩とんかつに近づきましたわねぇーっ!」
アレナの魂の叫びが、ルガーニャ王国の地に響き渡った。
アオーン!と、小さな狼の遠吠えも。
卒業パーティでエドアルド・ロンバルディア第一王子に婚約破棄され、王家の名のもとに国外追放を言い渡された。
けれど、当の本人は嬉々としてロンバルド王国の国外に出た。
自由に生きていくために。
アレナのバイブルである『異世界転生日記』に記された、「とんかつ」を再現するために。





