第十話
アレナ・マリーノが領都マリノリヒトにある実家——マリーノ侯爵家の屋敷に帰り着いた午後。
アレナは、両親とともに中庭でお茶を楽しんでいた。
もちろん、目的は「優雅なティータイム」ではない。
「それで、アレナ。王都で何が起こったかは聞いている。なぜ反論することなく急ぎ帰ってきたのだ?」
「説明しますわ、お父様!」
目的は近況報告、というかアレナの希望の確認である。
「正直、『王子の婚約者』は窮屈でしたの。これも領民のため、王家より望まれて国のためと思ってきたのですけれど」
「アレナはそんなことを考えていたの? 娘の気持ちに気づかないなんて、私は……」
「聞いてください、お母様。たしかに大変でしたけれど、上級貴族の令嬢としてやりがいがあることだったのも確かですわ」
「アレナ……本当に、私の娘ながら立派な子…………」
「うぇへへへへ。けれどお父様、お母様。私、その役目から解放されたんですの! しかも、王家の名のもとに!」
もともと王家の望みだから婚約を結んだのに、「王家の名において」婚約を破棄された。
卒業パーティで、王子は確かに明言している。
理由はどうあれ、婚約破棄されれば複雑な思いを抱くものだろう。
けれど、両親に報告するアレナは満面の笑みだった。
「だがアレナ、国外追放などと! ふざけた言い分で侯爵家の名と、可愛い我が娘を傷つけておいてさらに傷口に塩を塗るとは!」
「お父様、侯爵家の名を傷つけた落とし前はつけてくださいませ」
「当然であろう! うむ? アレナの名誉も回復させるぞ? 王子の戯言など、調査すればいくらでも真実は知れよう!」
「私のことはいいのですわ! なぜなら、国外追放によって私は自由になりますのよ!」
ついにアレナは立ち上がり、両手を広げて天を仰ぎ見た。
カロリーナはアレナの手に飛びつこうとジャンプする。届かない。
侍女のベルタは、うしろで控えめに頷いた。
なお、侍女見習いのダリアはここにいない。
屋敷に着いて早々に、弟の姿を見つけたのだ。
アレナの父親、ジャンカルロ・マリーノ侯爵の配慮である。
王都の侯爵邸から、船を使って急ぎ呼び寄せられたらしい。
ダリアは再会した弟に抱きついて涙を流し、侯爵家への忠誠をあらためて誓った。
ちなみにその感動的なシーンを見て、アレナは「会えないと不安ですものね?」と、「裏切ったら会わせないぞ?」的な、暗に脅しているかのような言葉を吐いていた。
ベルタに通訳させるまでもなく、会えないと不安だったでしょうという言葉通りの意味だったのだが。
「アレナ……」
「私は! 初代さまのように冒険者となって自由に暮らし! 『異世界転生日記』にあった『とんかつ』を再現して食べまくるのですわぁー!」
アレナ、魂の叫びである。
窮屈な生活やダイエットがよっぽど辛かったらしい。
「それがアレナの望みだとしても、国外追放などと……」
「お父様。私の目的地は、ルガーニャ王国のベリンツォですの」
「うむ?」
「ここからベリンツォまでは馬車で三日。10日もかかる王都よりよっぽど近いんですのよ?」
「たしかに、その通りだが……」
「私がロンバルド王国に戻れないとしても、手紙のやり取りは簡単ですわ。それに……お忍びで、マリノリヒトの商人が来てもおかしくありませんわよね?」
「商人がお忍び……? くくっ、そうか! そういうことか!」
「そうね、アレナ。たかだか三日ですものね。実際に交易もしていますし、領都の商人が出入りしてもおかしくないわ。道中は安全ですもの、夫婦の商人が出かけたりするわよね」
「その通りですわ! なんだったら、手続きが面倒な王宮より気軽に会えるかもしれませんわよ?」
「ふぅははははは! そうか、それがアレナの望みか!」
「ええ。私は『はっぴー』、エドアルド殿下も婚約破棄できてはっぴー。あとは、お父様が王家に落とし前をつけてもらえばみんなはっぴー! ですわ!」
「うむうむ。そこはたっぷりとオハナシしてこよう。侯爵家として、舐められたままでは終われぬからな」
「がんばってくださいね、あなた。私はアレナの旅の準備を手伝ってきますわ!」
「……お前まで一緒に行くでないぞ? 行くのはせめてアレナの生活が落ち着いてからだぞ?」
「ちっ。わかりましたわ」
「ふふ、お母様ったら」
第一王子の仕打ちに最初こそ怒っていた父親だったが、アレナの考えを聞いて少し落ち着いた。
少なくとも、娘は傷ついておらず、むしろ望みが叶ったことを理解した。
しかも、王都より近くに住んでわりと気軽に会いに行けるようになる。
こうなれば、問題は「王家の望みで婚約したのに一方的に婚約破棄&国外追放された」こと、つまり貴族のメンツだけである。
「アレナ、しばらくゆっくりしていくのでしょう? お母様と一緒にお買い物しましょうね!」
「いいえ、お母様。私は明日には旅立つつもりですわ」
「ええっ!? マリノリヒトの住人もアレナのお忍びを楽しみにしているのに!?」
「うっ……ちょっとだけ、このあとお忍びします!」
「うふふ。私もついていきますからね」
お忍びとは。
侯爵夫人とアレナはまったく忍ぶ気がない。
なお、自由すぎる領主一家を街で見かけても気づかないフリをするのがマリノリヒト住人のマナーである。いや、アレナの帰還パレードもどきではめっちゃ声がかけられていた。グダグダである。
「二人とも、夕飯までには帰るんだぞ。料理長が張り切っていたからな」
「わあっ! ひさしぶりのマリーノ流料理ですのね! 楽しみですわ!」
にこにこしながら、アレナは母親と一緒に屋敷の中へ戻っていった。
侍女のベルタ、子狼のカロリーナも続く。カロリーナは母親に捕獲されて抱っこされた。
中庭に残されたのは、父であるジャンカルロ・マリーノ侯爵のみだった。





