何と見事な月じゃないか(エピローグ 運命の輪を超えて2)
新学期の始業式の前日、宝玉を学園に返しに来た徹は、自主練をしていた荻原有理と一緒に帰ることにした。
有理の使っているバス停までの並木道は、既に桜が五分咲きだった。徹は先週からコートを着るのをやめ、制服の紺色のブレザーの上に赤いマフラーだけ巻いている。
バス停で徹が有理と別れて駅に向かおうとすると、
「丁度一年前に、徹君と出会ったんだよね」
有理が話しかけてきた。
途端に徹は、有理やリタと出会ったときの記憶が蘇り、痛みを伴う懐かしさに胸が締め付けられた。
徹の心中を知ってか知らずか、有理は話を続ける。
「あの時は一年生だとばっかり思ってた。あたしって早とちりだから」
「オギワラユリは結構競争率高いと思うよ、か。第一印象強烈だったな」
徹の指摘に有理が崩れるように笑った。
「それでナンバーワン取られて、本当カッコつかないよね」
リタの魅入られるような表情とは異なるが、その天真爛漫な笑顔はいつでも徹の目を釘付けにする。
有理は悪戯を思いついた顔で、徹に向きなおった。
「約束したよね。ナンバーワンになった方の言うことを一つきくって」
手を腰の後ろに組んで、下から徹の顔を覗き込む。
「何して欲しい?」
自分たちの前後にはバスを待つ中学生や大人たちの姿もある。いつも以上に近い有理との距離に徹は躊躇ったが、直ぐに意を決して有理の目を見た。
「実は、前から言って欲しい台詞があったんだ」
その瞬間、有理は、言った徹が驚くほど動揺した。
「ホントに?」
聞き返しながら激しく瞬きをする。徹を上目遣いに見ながら口を尖らせる。
「でも……そういうのって女の子から言わすかなあ、普通」
有理らしくなく語尾が恨み節になる。その姿に、逆に徹のほうが首を傾げた。
「もういいよ。じらさなくていいから早く言ってよ」
どこか妹を思わせる表情で拗ねている。腑に落ちないままで徹は口を開いた。
「よくやった――オギワラユリにそう言って欲しいんだ」
「……え?」
有理が固まった。耳を疑うように徹をまじまじと見る。
自分は場違いな台詞を口にしてしまったのだろうか。有理の反応が気になりながらも徹は続けた。
「いつもいつも、オギワラユリに情けない顔を見せてばっかりだった。でも自分なりに必死になって、全力を振り絞ってやってきた。相変わらず頼りないと思うかもしれないけど、次の勝負が始まる前に一度だけオギワラユリに――あれ? なあ、聞いてる?」
有理は呆然とし、次に失望したような表情に変わり、やがて笑い出した。
始めは手で口を押さえていたが、そのうちに爆笑へと変わる。バス停に並んでいた部活帰りの女子中学生達が、興味津々といった顔で肘を突付きあっている。
「何だ、そんなことか。ホント」
笑いが止まらないでいる黒髪の少女の目から、ついには涙がこぼれ出した。
「徹君って鈍感っていうか、場を読まないっていうか――緊張して損しちゃった」
笑い終わった後で今度は、有為の気持ちがわかるとぶつぶつ愚痴っている。
「何だよ、勝手に驚いたり笑ったり怒ったり」
「徹君、本当にそんなお願いでいいの?」
少女の声には呆れた響きが混じっている。
「へ?」
「その口癖、やめた方がいいよ」
今日はどこまでも妹そっくりだった。
「あーあ、また早とちりか」
大袈裟に肩を竦めた有理の髪が、風になびいている。風からは春の匂いがした。
もうマフラーの季節も終わりだな。
徹が首に巻いていた赤いマフラーを外すと、有理は少しだけ悔しそうな表情を浮かべた。
「でも鈍感なようで、このタイミングでリタちゃんから貰ったマフラーを外す辺り、絶妙なんだよなあ」
あたしの負けか――有理は溜息をついて足元にスポーツバッグを置くと顔を上げ、吹っ切れたように髪を掻き上げる。ふわりと風に金木犀の匂いが混じった気がした。
「徹君、目をつぶって」
「えっと……」
「いいから早く」
有理に急かされて徹は慌てて目を閉じる。急に口の中が乾き、鼓動が早鐘のように打つ。
少女の黒髪が近付いてくるのが判った。
軽く徹の肩に手を添えて、有理が背伸びをするのを感じる。
聞きなれた、そして一番聞きたかった声が耳元で囁いた。
「徹君、一年間最高にカッコよかったよ。これからも宜しくね」
そして徹の唇が塞がれた。
* * * * * * * *
春分の夜から約一カ月後――
「桐島君?」
宇田川隆介は、先程から自宅のベランダで月を眺めたまま動かない桐島和人に声を掛けた。
桐嶋が貧血で授業中に倒れたのを機に、独り暮らしの少年のことを心配した保健師が宇田川に連絡したのが、そもそものきっかけであった。
それを受けて話を聞こうとした宇田川に対し、明日の夜に月が昇ってから自分の家に来て欲しい――奇妙な依頼をして来たのは桐嶋の方だった。
言葉にできぬ予感の萌芽に、宇田川の心は揺れた。
「桐嶋君。一体どうしたんだ」
咎める口調となったが、桐嶋は微動だにしない。宇田川は困惑と同時に微かな期待感を抱きながら、桐嶋の視線の先を追う。
見事な満月が天空に浮かんでいた。
「何と見事な月じゃないか」
宇田川が呟く。ベランダに出て桐嶋の横に腰を下ろした。下の道路を軋んだ音を立てて自転車が通り過ぎていく。
桐嶋は月を見上げたまま、
「よい月夜だ。色々なことを思い出させる」
感無量といった風情で独りごちた。余りに老成した台詞に、宇田川の期待感は高まった。一族の悲願が今叶うのではないかという思いに体が震える。
月には薄っすらと霞がかっていた。
桐嶋は振り返ると、宇田川に微笑みかけた。
「こういう夜を、木蘭殿は『朧月夜』と呼んでいたな」
それが全ての答だった。
その瞬間、宇田川の周囲から音という音が消え去ってしまった。桐嶋の言葉だけが脳裏に反響する。
宇田川自身も全く想像できなかったことに、自分の双眸から涙が流れ出していた。
何故涙が頬を伝うのか自分でも把握できないまま、ほとばしる感情のうねりに飲み込まれていく。
自分の時は果たせなかった。
鳴神菖蒲の時も失敗に終わった。
もはや一族の夢を果たすことは不可能とも感じていた。
「まさか、無くした記憶を……」
その後は声が掠れて続かなかった。
「凶獣と再び出遭い、宝玉の力が発動するに及んで全て思い出した」
桐嶋には、気弱な高校生の面影はどこにもなかった。太い眉は本来の表情を取り戻したかのように眉間から吊り上がっている。
だが皺の深いその顔には記憶を取り戻した歓びよりも、これまでの人生に対する悔悟の方が色濃く滲んでいた。
「木蘭殿は既に逝かれたか」
事実を確認する口調には、苦い響きがあった。
宇田川は小さく頷く。
「死ぬな。そう願った結果、あなたに呪いのような運命を背負わせたことを生涯悔いていたそうです」
既に宇田川の言葉は年長者に対するものへと変わっている。
「何を馬鹿な」
桐嶋は即座に否定したが、やがて遠い目になった。
暫く黙っていた後、おもむろに口を開いた。
穏やかな声であった。
だが、その中に万感の思いがこもっていた。
「では、木蘭殿の墓に案内してもらおうか」
如月の宝玉 完
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