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約束だからね(夢見の宝玉9)

 徹は瓜谷が去るのを見届けると、手渡された銀鎖を右手に巻きつけて凶獣に歩み寄った。初めて握るにもかかわらず、この為にあつらえたかのように手に馴染む。

 七、八歩離れた後ろでは宝玉を両手に抱えたリタが詠唱の準備を始めていた。

 

「徹、少しでいい。時間を稼いでくれ」

 リタが声をかけたその瞬間、凶獣の左右の頭部の目が開いた。紅い眼球が裏返った状態のままで、徹たちを威嚇するように立ち上がった。


 ごぉくるくうるるるう


 大地を震わす咆哮に、眠りに就いていた鳥たちが一斉に飛び立つ。凶獣の眼球が音をたてて回転する。

 一対、二対、そして三対の紅い眼が全て徹を捉えたその瞬間、凶獣が襲いかかってきた。女の胴回り程もある太い前脚が徹の頭蓋を砕かんと迫った。


 徹は腹の底から吠えた。

 足裏からの内転運動を身体の中で倍加させ、一気に肩口まで持っていく。右手に持った鎖がリタの持つ宝玉と呼応して鈍い光を放つ。呼気と同時に銀鎖を前方に投じると力を注ぎ込む。


 ずくっつ。

 鎖が白銀の槍に形を変えて、凶獣の腹を貫いていた。


 ごぉくうおうるうるるるうう

 凶獣が胴を捩じると同時に鎖がぶつりと抜け、その勢いで徹は近くの木に叩きつけられた。


 貫いた瞬間こそ確かに手応えがあったものの、凶獣の傷口は見る見るうちに塞がれていく。駆け寄ろうとする赤い髪の少女を制し徹は立ち上がりかけたが、途中で激しく咳込んだ。口に当てた手に鮮血が飛び散っていた。


 凶獣は三本の尾を地面に叩きつけては暴れ狂っていたが、腹に穿たれた穴が消えるや再び徹へと突進した。

 徹は背後に身を投げ出す。徹がもたれていた幹に凶獣が激突し鈍い音と共に木が傾く。肋骨の痛みに徹は思わず呻き声を漏らすと、一瞬凶獣から視線を逸らす。

 直後、倒れ込んだ状態で再び見上げた空には、視界を覆わんばかりの凶獣の姿があった。


(あ……)

 既に凶獣の前脚は、自分の頭目がけて振り下ろされ始めている。両肩を地面につけたままでは右手の銀鎖を投げ放つ術もない。

 赤い髪の少女の残像が脳裏に浮かんだその時だった。

 

 ざぐりざぐり。

 ざぐりざぐりざぐりざぐり。


 凶獣の喉にそして鼻に、リタの放った六枚のカードが炎とともに突き刺さった。

 凶獣の前脚の狙いが逸れて徹のすぐ横の地面を穿つ。

 一拍遅れて起き上がった徹を見向きもせず、凶獣は憤怒の雄叫びと共に今度はリタへと突進した。


(まずい!)

 徹は全力を振り絞って鎖を頭上に掲げた。

 リタは、迫る凶獣を前にしてなお怯むことなく詠唱を続けている。

 抱えた宝玉の輝きが急速に増していく。赤い髪が静電気の渦に巻き込まれたかのように、前後左右に広がりながら逆立つ。

 徹は凶獣の巨大な後ろ姿目がけて鎖を投げ放った。


(頼む、届けえ!)

 凶獣の牙が少女の赤い髪に届かんとする瞬間、徹の思いを乗せた銀鎖が雄牛程もある胴体に巻きつく。

 

 と同時に、凶獣の動きが止まった。


 己に巻かれた鎖から力が全て吸い取られている、とでもいうのだろうか。

 凶獣は一歩も進むことが出来なくなっていた。

 顎さえ閉じられず、滴り落ちた唾液がリタの足元に染みを作っている。瞳孔だけが拡大と収縮を繰り返している。


 一方、動くことが出来ずにいるのは徹も同様であった。

 凶獣の持つ力なのか、宝玉の力なのか、自分の意志では指一本上げられぬまま鎖を通じて体内に巨大な力が充満していく。

 強烈な吐き気が喉元までせりあがる。眼球が盛り上がり転がり落ちる恐怖感に駆られる。

 だが徹は自分に注ぎ込まれる全てを受け入れた上で、リタの弟のイメージを強く脳裏に浮かべた。


「汝が器を持って――」

 リタの詠唱は終盤に差し掛かっていた。

 ぐしゅすじゅずじむぃじざあガカキあぁクゅゥイねうュ

 凶獣の唸り声に金属音が混じり始めた。鎖に縛られた凶獣の筋繊維が音を立てて千切れ、千切れた先から白い煙となって夜空に立ち昇っていく。


「魔障を切り放ち給え!」

 リタの声が直接脳裏に響く。宝玉が爆発したかのように閃光を放つ。

 徹たちの背後で武道場の窓が高い音を立てて次々に割れた。


「うおぉぉおお!」

 宝玉の白い光に包まれたまま、徹は声の限りに絶叫した。


 タのむ、葛ハら、リタの弟ヲ、きょウ獣、エドわード、天ガい、こン睡から、木ラん、


 鎖を通じてイメージが奔流のように流れ込む。

 皮膚の下で蟲でも這うかのように、両腕の血管が指先から肩口まで一気に膨れ上がっていく。

 このまま全身が破裂するかと徹が思った瞬間――


 凶獣が消滅した。


 文字通り、銀鎖に縛られていた肉体が忽然と消え去っていた。

 両腕から突如手応えが失われ、徹は無様に肩から倒れ込む。宝玉から光が消え、周囲が元の闇へと暗転し――

 

 再び林は静寂に包まれた。

(リ、リタ……)

 どこにいるのか判らぬまま、徹は少女の名前を呼ぶ。

 

 もう動けなかった。


 目を開けているはずにもかかわらず、網膜には何も映っていなかった。

 だが、徹はこれで全てが終わったことを理解していた。 

(リタ、僕は悔いはないよ)


 空からは、いつしか雪が降り出していた。


   * * * * * * * *




(……ねえ、徹君)


「徹君、あたしとの約束まだ覚えてる?」

 振り向くと有理が廊下をこちらに歩いて来るところだった。肩の辺りで切り揃えた黒髪が窓からの夕陽に照らされている。


「も、勿論だって」

 実のところ宝玉のことで頭が一杯で、有理との約束を考える余裕はなかった。後ろめたい気持ちを隠すように徹は笑顔を作る。瓜谷を真似して歯を覗かせる。

 だが有理は眉を顰めて身を引いて見せた。


「……今の顔、ちょっといやらしかった」

「なっ――」

 徹は動揺で耳まで赤くなる。

 その激しすぎる反応に、黒髪の少女は慌てて首を振った。


「う、嘘だから。徹君」

 徹の表情を窺うように上目遣いになる。徹は軽く睨むと人差し指で有理の額を弾いた。


「あ痛っ、ひどい」

 少女は悲鳴を上げるとそのまま暫く不満げに額をさすっていたが、その表情がふっと柔らかくなった。

 でもよかった――有理がそう呟いて二階の廊下から外を眺める。

「あたし、この季節好きじゃないんだ。三年生の先輩は来なくなって学園も寂しい感じだよね」

 夕陽に照らされて眼を細めたまま話しかけてきた。それに寒いしな、徹が相槌を打つと有理はくすりと笑いながら両手を胸の前で組んで伸びをした。


「早く春が来ないかなあ」

 今度は両腕を頭の上に上げてもう一度伸びをして見せる。ブレザーの間から覗いた腰の細さにどきりとして、徹は慌てて視線を逸らす。

 有理は再び小さく笑った。


「――春になる前に言ってね」

「へっ?」

「だから、あたしにして欲しいこと」

 有理は、舞台の上で踊るようにふわりと背を向けた。艶やかな黒髪から金木犀の匂いが届く。

 約束だからね――

 少女の言葉が何故か反響して聞こえた。いつの間にか周囲の照明が落ちて有理の姿も消えている。

(そうだ、考えなくちゃな)

 暗がりで呟いたその瞬間、仲間がどこかで自分を呼ぶ声に気付いた。


 どうやら夢から覚める時間だった。


 徹は有理を見習って伸びをしてみた。

 大きく息を吸って四肢を伸ばし、新鮮な空気を全身に充満させる。


   * * * * * * * * *



 そして徹が再び目を開けたのは、春分の夜から四日目のことであった。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

続きも読みたいなと思われたら、下の★をクリックしてもらえると嬉しいです。

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