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おい藤原ぁ、聞いたか(夢見の宝玉8)

 徹は衝撃に一瞬、時が止まった気がした。

 自分が今何をしているかも忘れ、穴のあくほど目の前の男の顔を見る。瓜谷は狙い通りの反応をしている徹に満足げだった。


「お前、爺さんに直接習ってるからって一子相伝か何かだと勘違いしてるだろ。漫画の見過ぎだぜ」

 瓜谷は意地悪そうに顎をしゃくる。その方向には、徹とは対照的に眉一つ動かさないでいるくリタの姿があった。

「リタちゃんは、とっくに気付いてたぜ」


 紺色のダッフルコート姿の少女は無言のまま、瓜谷の言葉を肯定していた。異様な光景、そして明らかになる事実の数々に、徹は圧倒され言葉を失っていた。


 リタと共に宝玉の紡ぎ出す悪夢に迷い込み、宇田川と狂気に侵された菖蒲、更には菖蒲の口の中に高宮を見た。危うく自分は邪悪な闇に溺れかけるところだった。

 それが今、瓜谷の出現と同時に、黒い駒で埋め尽くされていた盤面が鮮やかに裏返っていく――


 徹はへたり込んだままで二人を眺めていたが、ジーンズの尻から地面の冷たさが伝わってくるにつれ、ようやく頭が働き始めた。


(それにしても……凄い人だ)

 ムートンジャケットに両手を突っ込んだまま歯を見せている男を前に、徹は素直にそう思う。同時に、瓜谷の言葉が意味するものが心に重くのしかかってきた。

 

 果たして自分はリタに相応しかったのだろうか。リタは瓜谷と組むべきではなかったのだろうか。

 いけないと判っていても消極的な思いが頭を擡げる。


 だが瓜谷はそんな徹の心の動きも全てお見通しのようだった。赤い髪の少女に近付くと、親しげにその肩を抱く。 

「リタちゃん、俺を選ばなかったのを後悔してるか?」

 からかうような瓜谷に対し、リタが愚問とばかりに言下に否定した。

「徹は最高のパートナーだ」

 

 単に事実を告げるだけの、照れも気負いもない口調だった。肩に置かれた手をさりげなく、だが明確な意思を持って瓜谷の方へ押し遣る。

 かちり。

 その瞬間、自分の中で何かのスイッチが入った。突然心臓が脈打ち始める。


「おい藤原ぁ、聞いたか」

 瓜谷は片目を瞑ってみせた。

 気障な仕草の中に溢れんばかりの親しみが込められていた。

「お前、男なら奮い立たてよ」

 瓜谷の言葉を聞くまでもなかった。


 入学式でのリタと瓜谷の強烈な印象を残した遣り取り。そして、瓜谷を鳴神と知ってなお徹を選んだリタの思い。全てを知った後の興奮が徹の中で音を立てて渦巻く。

(徹は最高のパートナーだ)

 全身に力が湧き上がった。先ほどまでの寒さなど微塵も感じなかった。

 指に力をこめ、丹田に気を注ぎ込むと一気に立ち上がる。

 赤い髪の少女が小さく、だが心からの笑顔を見せると駆け寄ってきた。


「やれやれ」

 呆れたような、だがなおも親しみの込められた口調で瓜谷が呟くと、首をごきりと鳴らしてポケットから手を出した。

「さ……て。で、次はあちらさんだが」

 とぼけた調子で声を掛けてきた瓜谷に、菖蒲の存在を思い出して徹は慌てて振りかえると――


 言葉を絶する光景がそこにはあった。

 両手両膝を地面についた小柄な女の口から、巨大な狼にも似た獣の半身が出てきていた。


 昆虫の脱皮。

 脈絡も無くその言葉が浮かぶ。

 身長百五十センチほどしかない菖蒲のどこに入っていたというのであろうか、既に三つの頭が顔を出し、虎の前脚と黒い毛に覆われた雄牛の胴体とが外に出ようともがいている。菖蒲の口は飴細工のように広がり、両の瞳からは歓喜とも苦痛ともつかぬ涙が流れ落ちている。


 異様な、そして淫靡な光景であった。

「二人とも慌てんなよ。あれは鳴神先輩が自分の意思で吐き出してんだ」

 瓜谷が落ち着いた声で制する。

「だいたい、いつまでもあんな化け物に身体を売り渡したままの人じゃないんだよ」

 後半は自分に言い聞かせるようであった。


 その間も菖蒲は獣を吐き続ける。凶獣を覆う剛毛は羊水に浸かっていたかの如く皮膚に貼り付き、大の男でも抱え切れぬ体躯の下にある鋼の筋肉を容易に想像させた。

 にもかかわらず女の口元で胴体が風船のように縊れる様は、異様さを取り越して滑稽ですらあった。


 そうこうするうち菖蒲は三本の鞭のような尾まで吐き終わると、続けて胎盤にも似た黒い肉塊を吐いて倒れ込んだ。地面に落ちるや否や肉塊は煙を上げて溶け始め、獣臭に肉の焦げる匂いが混じる。

 その匂いに捕食本能を刺激されたのか、凶獣が太い前脚に力を込めて身体を起こそうとする。


 じゅふるぶふずじゅぶしゅくじゅ。


 尖った口の端には緋色の泡が幾つも浮かんでいた。左右の頭部は未だ眠りから覚めておらず、中央だけが紅い眼球を爛々と輝かせている。

 見る者の心を狂わせかねない光景だった。

 だがこれこそ徹が夢で何度も見た、待ち望んでいた相手だった。


「これ使え。夢で見ただろ」

 いつ横に立ったのか、瓜谷が宝玉の箱に巻かれていた銀の鎖を徹に押し付けてきた。

 瓜谷は何かを確かめるかのように徹の全身に視線を這わせていたが、じゃあ俺は帰るぜ――不意にそう言って口の端を上げた。


 思わず一歩前に出かけた徹だったが直ぐにその足を戻した。言われるまでもなく、これがルールだと判っていた。

「ありがとうございました」

 頭を下げる徹を前に、端正な男の顔がくしゃりと笑みで歪んだ。

「ま、今回の主演男優はお前だからな」


 そのまま瓜谷は凶獣の横を平然とすり抜けると菖蒲を背負う。凶獣は瓜谷が見えないかのように徹たちに牙を剥き出すだけであった。

(一人で背負込みすぎなんですよ。先輩は)

 低い声とともに菖蒲を背負った瓜谷が遠ざかっていく。凶獣が徹とリタに対してがちんがちんと歯を鳴らしながら、立ち上がろうとしている。


 びしっと決めろよ――

 暗闇に消えた広い背中から、最後にそんな台詞が聞こえた気がした。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

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