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あなたに話せていないんでしょう?(夢見の宝玉3)

「ふ、藤原も、態度を決めた方がいいぞ」

 その日の帰り道、聞かれるでもなく語り出した徹に対する桐嶋の答は至極もっともなものであった。

 

 西砂の繁華街は、恋人達の祝祭を盛り上げる飾り付けが至るところに施され、店先には色鮮やかな包装紙のチョコレートが並んでいる。桐嶋はコンビニで買った緑茶を飲みながら、きっとリタちゃんは愛の告白をするつもりなんだ、などと古風な表現をする。  

 小柄な親友を前に反論するでもなく、徹は先ほどの出来事を回想した。

 

 確かに桐嶋の言うとおり考えるのが自然だが、この違和感は何なんだろうか。

 一年近くに亘る付き合いで判ったことと言えば、リタは嘘が苦手だという事実だ。

 これは決して、リタが人を騙すのが下手だということを意味しない。ポーカーフェイスは相当なものであり、心の動きは僅かな仕草に表れるだけである。だがそれ以前に、リタは自分に幾つかの規律を課して生きていることが窺える。その中の一つは明らかに、「信頼する相手に嘘をつかない」というものだった。

 

 そこまで考えたところで、桐嶋が軽く手を上げた。

「じゃあ、また明日な」

 繁華街の人いきれの中、桐嶋の背中はすぐに見えなくなった。徹は鳴神静瑛との稽古に向かおうと交差点を渡ろうとして、足を止めた。

 影を突然縫い付けられたかのように動かなくなってしまった。

 交差点の向こう側、信号を待つ人々に混じって背の高い女が立っていた。


 初めて見たにもかかわらず、それが誰だか判った。これは運命なのだと悟った。

 徹は彼女の名を口の中で転がす。その呟きが雑踏の中で届いたなどとは思わないが、彼女は他の人々を一顧だにすることなく徹に向かって歩いてきた。

 二人は待ち合わせたかのように交差点の中央で出会った。

 

「すぐ判ったわ。これが偶然なのかは知らないけれど」

 綺麗な日本語だった。

「僕もです」

「アナスタシアでいいわ」

 そう言って、リタの母親は娘と同じ色の瞳を徹の正面に合わせた。紫色のカシミアのコートに毛皮のストール、そして黒革のパンプス。大人の女としての圧倒的な存在感があった。


 丁度良かった、貴方に話したいことがあったの――アナスタシアの口元からは歯が覗いたが、徹は彼女が笑ったわけではないことは理解した。

 信号が点滅を始め、周囲が足早になる。

「じゃあ、どこか喫茶店で――」

 言いかけた徹の言葉は途中で遮られた。

「少し歩かない? 徹君」

 リタの母親はもう一度歯を見せた。今度は僅かに微笑んだように見えた。

 そのまま二人は徹がもと来た参宮学園の方へと向かって歩き出した。


 徹はいつしか無意識にリタの母親と歩調を合わせていた。歩幅を合わせ、歩調を合わせ、そして思考を合わせる。規則正しいリズムは徹の思考を適度に刺激した。

(日本、何故、エドワード、宝玉、過去、リタ、運命、宇田川、私のために空けて、夢見、青い瞳、真の年――)

 言葉が唇から今にもこぼれ落ちそうになったその時、アナスタシアが振り向きもせず話しかけてきた。


「リタの弟のことは聞いてる?」

 徹は俯き加減だった視線を紫色のコートへと戻した。

「は、はい、ずっと病気だと」

 アナスタシアは肩越しに繰り返した。

「ずっと病気だ、と」

 次の言葉を促す態度であった。徹は付け足した。

「リタは、エドワードを救うために闘っています」


 アナスタシアの歩調は僅かも崩れることは無かった。徹の説明は予測の範囲内だったらしい。アナスタシアは、

「エドワードを救うために、か」

 再び徹の言葉を繰り返すと静かに振り向いた。そこには慈悲と悔恨と憐憫と――幾多の感情が交じり合った大人の微笑があった。


 徹は居心地の悪さを感じ始めた。この世界が全て虚構だった。そんな妄想が頭をよぎる。自分は西砂の繁華街を歩いていたのではなかったのだろうか。二月だというのに脇の下を冷たい汗が流れ落ちる。

 この会話を続けてはいけない、何かをやり直す必要がある。

 居心地の悪さは既に焦燥感へと変わっていたが、リタの母親は容赦が無かった。


「エドワードは既にこの世を去った――としたらどうする?」

 徹は頭を殴られた気がした。だがアナスタシアは回復の時間を与えてくれなかった。

「例えば一カ月半前、去年の暮れにね」

 

 いつの間にか参宮学園へと戻る道を逸れ、二人は古い教会の前に辿り着いていた。ひっそり佇むその姿は周囲よりも一段と暗く、建物の形にぽっかりと穴が開いているかのように見える。アナスタシアの輪郭は夕闇に滲み、ターコイズブルーの瞳だけが瞬いていた。


「……エドワードが死んだことは誰のせいでもない。それは運命」

 そう言って空を見上げたリタの母親の髪も赤かった。

(ならば何故、リタは)

 徹が疑問を口にする前に、アナスタシアが答えてくれた。

「あの子は、弟を救えなかったのは自分のせいだと思っているわ。何度も自分を責めた。そしていつの間にか妄想に捕われてしまったのよ」


 続く声が一段と低くなる。

「弟はまだ死んでいない、という妄想にね」


 徹はこめかみに痛みを覚えた。確かな手ごたえを求めてリュックの肩紐を無意識に握り直したが、徹のささやかな抵抗をあざ笑うかの如く足元は歪みだした。

「隆介は三学期にリタが日本に戻ることに反対したわ、もう意味がないって。私が構わないって言ったの。日本に行くことで気持ちが整理できるなら、とね」

 そこで言葉を一度切ると、リタの母親は吐息を漏らした。

「でもリタはまだ現実を直視できてない。あの子は、あなたに話せていないんでしょう?」

 頷くしかなかった。


「ねえ、十五年前に私と隆介が宝玉の管理者になったのを知ってる?」

 徹は先程から訊きたいことばかりだったが、それでも徐々に話が結論に近付いている事を実感する。話の腰を折ったら二度と続きが聞けない気がして、アナスタシアが話すのを待った。


「誤解しているかもしれないけれど、私達は真実に辿り着いたのよ」

 どうやって、そして何故それでは成功しなかったのか。

だが、もうすぐ核心だ。聞き逃してはならない。徹は身構えた。


「あなたは宝玉に食べられてしまうわ。だからリタをイギリスに連れ戻しに来たの」

 リタとよく似た口元だったが、ルージュの引かれた唇から覗いたものは牙に見えた。

「宝玉は祈る者の心を用いて願いを叶える。その代償は記憶喪失や昏睡だけれど、これは祈る者の力と願いの大きさ次第。普通の願いなら心配いらないわ。でも万が一死者を蘇らそうなどと考えた場合――」


 後は自明とばかり、アナスタシアはそこで説明を終えた。徹は耳にした全てを否定したかったが、そうするには余りにも真実の重みが有り過ぎた。徹は代わりに腹に力を込めた。

「僕は……宝玉に食べられたとしても、リタの夢を叶えます」

 

 自分の言葉に酔うつもりは無かった。だが、答えるとしたらこの言葉しかあり得なかった。

 ターコイズ・ブルーの瞳と徹の視線とが絡み合う。と、アナスタシアが真珠の歯を見せると再び背を向けた。ふわり、夜の闇に赤い髪がなびく。

 ピンヒールの立てる足音が、ついて来るなと伝えていた。


 そのまま遠ざかるかと思った足音が止まり、リタの母親がストールの肩越しに彫りの深い横顔を向けた。

「今まで有難う、徹君。でもリタには春分の日をイギリスで過ごさせるつもりよ」

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

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