私を忘れないでくれ(プリムラ6)
三十分後、スウェットの上下に着替えた徹は寝室をノックした。
ドアを開けた少女の姿に徹は慌てて目を逸らす。もう三週間も隣のベッドで休んでいるが、今だに正視できなかった。
寝室の薄明かりに浮かぶほっそりしたシルクのパジャマ姿は、名工の手による精妙なガラス細工を思わせた。
「徹、いよいよだな」
「ああ。エドワードが元気になるように、僕も心から祈る」
徹の返事にリタの青い瞳が揺れた。
「……本当にいいのか?」
徹は大きく頷いた。リタが日本に来たのも徹と組んだのも全ては今日の為に――全てはエドワードを救う為だけに――あったことを知っている。リタは徹をじっと見詰めていたが、小さく何かをつぶやくと自分のベッドに腰を下ろした。
「わかった。ところで徹、今日は先に寝てくれないか」
いつもにも増して真剣な表情だった。眠る直前まで一人で瞑想でもするのだろうか。徹は理由を訊かず自分のベッドに潜り込むことにした。
首元まで一気に毛布を引っ張り上げると、反対側を向いて目を閉じる。
リタが立ったまま照明を消した。
間もなく徹のベッドに近づく衣擦れの音が聞こえてきた。それっきり動く気配もなく部屋は静まり返っている。
数分が過ぎただろうか。徹がふと薄目を開けるとパジャマ姿のリタが、寝ている徹のベッドの前に思い詰めた表情で身動ぎもせず立っていた。慌てて再び瞳を閉じると、再び近付く気配とともに少女の髪が自分の頬をくすぐるのを感じた。
徹が緊張と混乱に身を固くしていると、
「……長いようで短かったな」
その台詞とともに同じベッドの中に静かにリタが滑り込んでくる。そのまま頭を徹の胸に乗せてきた。自分の身体に置かれた少女の体温に、思わず声を上げてしまいそうになる。
腰がリタの身体に当たらないようにずらそうとしたが、体重を預けられてうまくいかなかった。
(ああもう、どうにでもなれ)
「私を忘れないでくれ――」
掠れた低い声が耳朶を打つ。そのまま嗚咽を漏らすように少女が身体を震わせた。パジャマ越しに触れあう徹に、リタの痛みにも似た思いが沁み渡っていく。
(リタ……何故泣いて)
運命の夜を迎えてなお、自分は何か重要なことを見落としているのではないか。
捉えどころのない不安感に苛まれながら、徹は少女の頭に手を添えるのが精一杯だった。
赤い髪の少女も、もはや動こうとしない。
そして、いつしか二人の寝息が重なった。
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