こんなことを話すつもりじゃなかったしな(金木犀7)
午前の部は何をやっていただろうか。
障害物競走に出たはずだが、自分が何位だったか、走ったかさえ思い出せない。気付くと高宮のことを考えている。
荻原有為の唇の血はすぐ止まったが、左頬は見るも痛々しく腫れた。本人は階段で転んだとしか周囲に説明しなかったが、結局リレーも午後のミス参宮も棄権することになった。
昼休みはリタと一緒に食べる約束をしていたが、徹は気分が悪いからと断った。東校舎の屋上に上り、一人で弁当を広げてみたが食欲が湧かない。徹は仰向けになって空を眺めていた。
どれくらいそうしていただろうか。徹は、男が鼻歌交じりに屋上のドアを開ける音で起き上がった。
「青い空ア、白い雲オっと。藤原、ここは俺が入学したときからのテリトリーだぜ。気い使えよ」
ピッチャーマウンドに向かうかのように、大きく右腕を回しながら近づいてくる。
「何だ、飯食ってないのか。それじゃあ午後のミスター参宮は勝てねえな」
徹の返事も待たず腰を下ろす。
「俺の弁当でも見るか」
瓜谷は一人で喋り続けた。紺色のジャージの上下をだらしなく着ているだけだが、この男が着るとそれなりのファッションに見えるから不思議である。
出された弁当を見て、徹は目を瞠った。ご飯の上には三色そぼろが綺麗に敷き詰められ、脇にはブロッコリーやプチトマト、ソーセージに玉子焼きが色鮮やかに並んでいる。
「……瓜谷さんのお母さん、料理上手なんですね」
思わず感想を漏らす。
「まあ、愛情は入ってるかな。遠慮せずにつまめよ」
臆面無く瓜谷が答える。瓜谷の弁当を見ているうちに徹の腹が鳴った。
二人で胡坐をかいて、弁当を食べ始めた。
空は青く澄み切って高い。校庭からは風に乗って音楽が流れてくる。徹は弁当を口に入れているうちに、自分の気持ちが徐々に落ち着いてくるのが判った。
「藤原ぁ、お前いい奴だよな」
自分の弁当に入ったソーセージを徹に押付けながら瓜谷が話しかける。
「お前、桐嶋とダチだろ。あいつ、お前が参宮に来て本当に喜んでるぞ」
何のことか分からず徹は、瓜谷の顔を見る。
「俺が一年の頃も、桐嶋とそっくりな奴が三年生にいたよ。てんで冴えなくて、参宮に入ったのに連一つ組めなくてクラスの不良からは目え付けられて。今思うと、顔まで似てたな」
瓜谷は、ぐびりとペットボトルの烏龍茶を飲むと、ジャージの袖で口を拭った。
「俺が思うに、うちの学校の悪いところは消極的な奴に冷たい点だな。積極的な奴、例えば俺だとか荻原だとか杉山、こういう奴らには滅茶苦茶過ごしやすい。自由と未来が三六〇度広がってるって感じだ」
けどな――
瓜谷は更に何かを言いかけ、そして結局その言葉を飲み込んだ。喰えとばかりに卵焼きを再び徹に押付けると、自分は徹の横で仰向けに寝転がる。
瓜谷は、いつにも増して大人びて見えた。学園という閉ざされた社会の中で、この男が常に外を意識し続けてきたことは明らかだった。自分より視野が、いや器そのものが大きい。改めて徹は実感していた。
この会話がミスター参宮、ひいてはナンバーワンの連の獲得に向けてプレッシャーをかける目的だとすれば、十分効果があったと言えるだろう。だが瓜谷にとって自分はライバルですらないことを、徹自身よく判っていた。
ま、いいか、こんなことを話すつもりじゃなかったしな。瓜谷はそう呟くと、
「で、お前、今日は高宮をぶっ壊すつもりか?」
寝転がったまま、午後の天気でも尋ねる調子で切り出した。徹が驚いた顔をすると、心外だとばかりに端正な目鼻立ちを左右非対称に崩して見せた。
「おいおい。荻原の妹は頬腫らしてるし、高宮は目ぇ血走って周りは寄り付かない。おまけに実行委員長殿も進行をトチリまくるとくりゃ、推理マニアの杉山じゃなくても、分からない方がどうかしてるぜ」
徹自身、周囲の状況は全く目に入っていなかったがその通りだと思う。
「さっき、ミスター参宮の出場者発表があったよ。まぁ、お前以外は誰が優勝してもおかしくないんだが――」
徹は胡坐を組んだまま、次の言葉を待つ。
「今回は色々考えると、お前が高宮に勝たないと駄目らしい」
瓜谷は、難問を押し付けられた生徒会長の顔になった。しばらく思案していたが、ふいに起き上がると髪の毛をぐしゃりと掻き上げて徹に歯を見せた。
「弁当うまかったろ」
徹は急な展開についていけない。
「リタちゃんのだ」
「へ?」
「楠ノ瀬に習って一生懸命作ったらしいぜ。で、楠ノ瀬がお前のとこに持ってけだと。全く俺はパシリか?」
絶句する徹を残して瓜谷は立ち上がった。
「じゃあな」
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