雪と茶色い子猫とーー高校生か(運命の輪 3)
道場を出ると、いつしか雪は止んでいた。裏手の鬱蒼とした林にも木漏れ日が差し込んでいる。
(さて、帰るか――)
伸びをした徹の耳に、悲しげな鳴き声が届いた。声をした方を見上げると、薄茶色の塊が目に入る。
子猫であった。
恐らくは生後数か月も経たない子猫が、山桜の老木に登っていた。子猫が自力で登るにしては少々高い。根元に建っている古びた石碑から、駆け上ったのか。通り過ぎようとすると、子猫が再び悲しげに鳴いた。
確かに高い。徹は辺りを見渡したが、足場になるものは石碑以外になかった。子猫が飛び移れればいいのだが、急に高さに気付いたのか、進むも退くもままならなくなったらしい。
雪と茶色い子猫と――高校生か。
映画の題名のようだと思いながら、徹は石柱に近づいてみた。供物こそ捧げられていないものの、古びた墓石のようである。どちらかと言えば痩せ型の徹ではあるが、登れるかどうかとは別の問題として、墓石に足をかけるのは躊躇われる。
(これしかないか)
徹は、首に巻いていた緑のマフラーを外した。リュックを地面に下ろすと左手にマフラーを持ち、ゆっくり全身でリズムを刻み始めた。
ざん、ざん、ざん。
ざざん、ざざん、ざざん、ざざん
一挙動を分割し、その半挙動をまた分割する。分割を繰り返して小さな波の束となったところで、体を滑るように動かす。ベタ足のまま背筋を伸ばし、両足で緩やかに円を描く。独特の呼吸法と共に、垂らしたマフラーに己の意思を流し込む。
息を鋭く吐き出したその瞬間、振り出したマフラーは一本の棒に姿を変えた。
ホースに勢いよく水を通した。感覚的にはそう表現するのが近いだろう。武道の心得のある者であれば、気を通したと説明するのが一番容易いかもしれない。
徹は深緑色の棒と化したマフラーを、子猫のいる枝先へと差し出した。
が、子猫は動かなかい。
「大丈夫だって、乗っても折れない」
子猫はまだ動かない。
「ほら、大丈夫、保証する」
子猫は更に警戒する。首の後ろの毛を逆立てているのは、気のせいだろうか。
「早くしろよお前。これ、そんなにもたないんだってば。折れちゃうんだよ――」
(……あれ?)
徹が子猫一匹説得できない自分にあきれ始めたところで、子猫は、意を決したように飛び乗った。マフラーごと一気に子猫を引き寄せると、徹は小さく息を吐いた。
「頼むから、爪立てるなよ」
子猫をそっと離すと、子猫は一声鳴いて林に消えていく。徹は額の汗を拭うと、校門へと戻ることにした。
結局徹は最後まで、自分を見つめる視線に気づくことはなかった。