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何か不満でもあるの(向日葵 12)

 夏休みが来た。

 新学期に会おう。そう言ってリタはエジンバラに戻って行った。

 徹はと言えば、毎日のようにコーラを水で割って飲んでいた。


「貧乏くさいから、やめなって」

 姉の望には何度も言われるが、やめられない。コーラの味は好きだが、少し甘すぎる。水割りがベストだ。さすがに他人の前で「調合」を始める度胸はなく、自宅でだけの密かな楽しみである。


 その日の夜も、ぼんやりとコーラを飲んでいると電話が鳴った。徹が出ると、意外なことに荻原有為だった。


「もしもし、有理じゃなくてがっかりした?」

 それが有為の第一声だった。妙に自信満々の栗色の外巻きの髪と細い手足とが目に浮かぶ。可愛さと皮肉っぽさとが同居する声に、徹は何とも落ち着かない気分になった。


「有為ちゃん、電話番号どうやって調べたんだ?」

 有為は小馬鹿にしたかのように、大袈裟に溜息をつく。

「それが最初の台詞なわけ」

 今度は髪の毛を不快そうにかき上げる姿が、まざまざと浮かんだ。げんなりしかけた徹は、話を先に進めることにした。


「で、何の用だい」

 そこまで言いかけて、徹は急に五月の夜を思い出す。

「もしかして……まさか」


「何考えてるか直ぐ分かるわよ。大丈夫、危ないことなんか起きてない」

 年上に対してぞんざいな喋り方だ。だが、とにかく安心した。胸を撫で下ろす徹に、有為は言葉を続ける。


「こないだ助けてもらった借りを、返そうかと思って」

 これは予想外の台詞だった。

「でも、それなら有為ちゃんが確か、貸しだなんて間違っても思わないでとか……」

 

 電話越しに、有為が一気に険悪になるのがわかった。さっきから自分がエスパーにでもなった気分になる。

「折角こっちが気にしてあげてるのに、何か文句あるの?」

 声が低い。空気が冷たい。徹は地雷を踏んでしまったらしい。徹は見えないことがわかっていてなお、必死で首を横に振る。


 焦る徹を知ってか知らずか、面倒くさそうな口調のまま有為は徹に問いかけてきた。

「で、泳げるの?」

「へ?」

「泳げるのって聞いてるの。あたし今度、有理とプールに行くんだけど――」


   * * * * * * * *


 参宮学園の男子生徒に、夏休みの最高の過ごし方についてアンケートを取ったらどうなるか。「荻原姉妹とプール」は、二位に圧倒的な差をつけてトップに輝くだろう。ちなみに最高の肝試しの方は、「高宮武との炎天下の待ち合わせに遅刻」で決まりだ。


 くだらぬことを想像しながら、待ち合わせの五分前に徹は駅の南口についた。

 約束したバスターミナルで見回すが、まだ二人の気配はない。地面から水蒸気が立ち昇る、まるで亜熱帯の暑さだった。タオルで額を拭うと、徹は手にしたペットボトルをごくりと飲んだ。


 遅い。

 暑い、遅い。

 いつの間にか、待ち合わせの時刻をかなり過ぎている。

 徹は北口にも念のため行ってみたが、見当たらなかった。Tシャツが汗で背中に貼り付く。時間を間違えたのではないかと思い始めたその時だった。


 大きな麦藁帽子を被った有為が、道の向こうで手を振っているのに気づいた。

 白っぽい麻のワンピースから細く長い手足が覗く。栗色の髪の毛が麦藁帽子の下で揺れている。周囲の男たちが、一斉に有為と徹を見比べた。


(さすがに目立つな)

 文句なしの美少女ぶりに改めて感心すると同時に、これだけ遅れても走ろうとしない有為に、徹は苦笑いした。


 信号を渡って、ようやく有為が徹のもとに着く。待たせてごめんの一言もなく、有為は顎をしゃくった。

「ほら、行くわよ」

「有理は?」

 周囲を見回す徹に、有為は麦藁帽子であおぐ仕草をしながら当たり前のように答えた。


「有理は都合が悪くなったって」

「へ?」

 徹は思わず問い返した。よく言えば優しげ、姉の望の口を借りれば「あたしに似てる割には締まりがない」徹の顔が、当惑したまま固まる。


「それ口癖? 思考停止が見え見えだから気をつけた方がよくない?」

(余計なお世話だ――じゃなくて)

「じゃあ今日は……」

「あたしと二人だと、何か不満でもあるの」

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

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