縦では、肋骨の隙間に入らないなあ(桜 9)
リタの申し込みの事実は、直ぐに学園中を駆け巡った。
全校生徒が三百六十人の、小さな参宮学園である。その場に数十名の生徒がいたことを考えると、当然とも言えた。留学生が珍しいことに加えて、徹自身が転入生であることも手伝い、今年の連の台風の目になったのは間違いなかった。
「ふ、藤原。例の赤い髪の子が、『お前の命を預けてほしい』って抱きついてきたって、本当かよ」
「命じゃないって」
「で、でも、抱きついてきたって」
「抱きついてないって」
しつこく詰め寄る桐嶋をあしらいながら、徹はその後のリタとの遣り取りを思い出していた。
どこで自分を知ったのか訊いた徹に対し、リタは、十日ほど前に学園で、と答えた。
(あれを――子猫を助けた時のあれを、見られたのだろうか)
迷いの無い瞳が、徹の脳裏に焼きついている。吸い込まれそうな青さを思い出しながら、軽く頭を振った。
リタは何故、鳴神流が必要だと考えたのだろう。徹自身、鳴神流が如何なるものか実は分からない。日本舞踊と称しているが、実態はもっと禍々しいものである――その程度は徹も認識している。
礼儀作法が身に付き、立ち振る舞いがきちんとするから。そんな理由を口にして習わせた両親は、どれだけ真実を理解していたのだろう。使う道具こそ扇や帯、鈴ではあるものの、血なまぐさい歴史が背後にあることは疑いない。
幼い日に徹が、扇を横に寝かせて突き出す動きを質問したことがあった。その時の師の答えは、今も思い出せる。
「縦では、肋骨の隙間に入らないなあ」
徹はその後、十二歳の春に正式に一門としての名を得た。
鳴神徹瑛――これが藤原徹の鳴神としての名前である。師の孫娘で、徹の姉の幼馴染でもあった鳴神菖蒲は当時、徹の入門に大反対した。驚くほど激しい抵抗だった。
鳴神はきっと徹を不幸にする。鳴神はきっと徹を不幸にする。鳴神はきっと徹を不幸にする。鳴神はきっと徹を不幸にする。鳴神はきっと徹を不幸にする。鳴神はきっと徹を不幸にする。鳴神はきっと――
今思うと、当時の菖蒲は病的にやつれていた。当時の徹は、菖蒲に一言だけ問うた。
「でも、あやちゃんも鳴神なんだろ」
徹にとっては、その理由だけで十分だった。
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