4路地に咲く一輪の花
いつもありがとうございます。
今日は中世ヨーロッパが舞台の、初恋の物語です。
「母さん、死なないで!」
ロザリーは大きな目に涙を溜めて、母を見ます。しかし母は最早虫の息で、苦しそうに顔を歪めるばかりです。
「母さん!!」
たった一人の家族。物心ついた頃から、ロザリーは母と二人でこの下町の仕立物屋に居候していました。
母はかつてはとある貴族の女中をしていたそうですが、主人との間にロザリーを授かったことで、奥様に睨まれ、屋敷を叩き出されてしまいました。それから母は、仕立物の仕事を手伝いながら、生計を立ててきましたが、数年前から肺病が悪化し、今や息を吸うのも苦しい有様です。
「ロザリーよくお聞き。お前は本当はとある男爵様の娘なのさ。だから、この名前の男爵様を頼って、どうか幸せになっておくれ」
「母さん!!」
都の真ん中に住む男爵の名前と住所の書かれた紙を震える手でロザリーに手渡すと、母は息絶えてしまいました。
どうしよう。これから男爵様のところへ行ってちゃんと娘だと分かってもらえるかしら。だいたい、下町の暮らしが気に入っていたのに、今更貴族の家で暮らすだなんて、気が進まないわ。
そんなことを考えながら、とぼとぼと大通りを歩いていると、通りの向こうの人だかりに目を見張ります。よく目を凝らしてみると、人々はお腹を抱えてゲラゲラと面白くて堪らないらしく、笑い転げていました。
何かしら?こんな暗い世の中なのに、こんなに皆が笑っているなんて…。
興味津々でロザリーが人だかりを覗くと、なんと真ん中で面白おかしく世情を語る青年がいました。
ブロンドの髪、強い意志を秘めた凛々しくて賢そうな顔立ちはとても知的で、思わずロザリーは息を呑みます。
「人生なんて、何が起こるか分からない。今、私達民衆は貧しく、貴族は富んでいる。でも、昨日、都のパン屋に泥棒が入ったらしく、何とそれは貴族の家の召使だったのさ。どうせ貴族様も体裁を保つのにやっとで、腹ペコってところだよ」
流暢にしゃべりながら、青年が器用にお腹の鳴る真似をすると、群衆からどっと笑いが起きました。
へー、真面目そうなお顔に似合わず、面白いお話をする人なのね。
ちょっと覗いだだけなのに、気が付けばロザリーは青年の話に夢中になっていました。
しばらく待って青年の独壇場が終わると、群衆から割れんばかりの拍手が沸き起こります。しかし、集会は御法度の時代。数人の警察が近づいて来ると、蜘蛛の子を散らすように人々は居なくなってしまいました。青年は何事もなかった様子で地面に置いた荷物を背負い直して、周囲を見回すと、ずっと自分を見つめているロザリーを見つけました。
「お嬢さん、お話を聞いてくれたんですね、ありがとう。今日の話は如何でしたか?」
「とても面白かったです。少し気が晴れました」
「そう、それは良かった。帰り道気を付けてくださいね」
そう言って青年が荷物を背負い直して立ち去ろとすると、ロザリーは意を決して口を開きました。
「あ、あの……」
「何ですか?」
「おっしゃる通り、人生って本当に何が起こるか分からないですね。私、下町の母が死んだので、今からとある貴族様のお屋敷へ行くところなんです」
「そうでしたか。では、お嬢さんの未来に光あれ、祈っておきます。またご縁があったら、お会いすることもありましょう」
「ありがとうございます」
ロザリーは品よく挨拶しながら、青年に微笑みかけます。すると青年は意外にも、恥ずかしそうにロザリーに会釈しました。
「私はロイスと申します。お嬢さんとは意外と早くお会いするかもしれませんね。待っていますよ。何故かそんな気がします」
青年ことロイスはそう言うと、どこからかすっとロザリーの前にピンクの可愛らしい花を一輪差し出しました。
「神のご加護を。また、お会いしましょう」
ロザリーは花を受け取ると、耳まで真っ赤になりながら、いつまでもロイスの背中を見送るのでした。
あれから三か月。
結局、男爵家に引き取られたロザリーは、未だ貴族の生活に馴染めずにいました。
父親である男爵は留守がちで、気難しい継母と、異母姉から嫌味や嫌がらせを受ける日々は地獄でした。
ところがある日、ロザリーの幼さの残る容姿に目をつけた伯爵から、ロザリーを嫁に欲しいとの相談がありました。しかも、親どころか祖父と言ってもいいくらい歳の離れた相手との結婚にも関わらず、継母はロザリーに相談することも無く、二つ返事で承諾してしまいました。
「伯爵様は幼い顔の女が好みだとか。お前のように十三になるのに、幼女のような面影がある娘なら、可愛がってもらえることでしょう」
ロザリーは震えあがりました。
よりによって、歳が四十も年上の特殊な趣向の男のところに、嫁にやられるとは…。
どうしたらいいのか分からなくなって、お屋敷を抜け出すと、ロザリーはいつの間にか、ロイスが立っていた路地へと走っていました。
周囲を見回すと、今日は群衆に囲まれておらず、一人で本を読んでいます。
「ロイスさん?」
ロザリーが話しかけると、ロイスは本から目を上げて、ぱっと顔を輝かせます。
「これは、いつぞやのお嬢さん。貴族の暮らしには慣れましたか?」
「…いえ。でも、贅沢を言ってはいけませんよね。私、明後日、四十も年上の幼女がお好みの伯爵様に嫁がさせられてしまうんです。その前に一目、ロイスさんに会いたくなっちゃって…ごめんなさい」
ぽろぽろと涙を流すロザリーの前に立つと、ロイスは小さく息を吐きます。
「そうでしたか。では、私と一緒に逃げましょう」
「え?」
「いいですか、逃げるんです。逃げて田舎町でゆっくり暮らせばいい」
「でも、私にはそんな…」
ロザリーが遠慮していると、ロイスはそんなロザリーの腕をぐいっと掴み、一目散に都の境目へと走り出しました。
都の境目は、畑ばかりののどかなところでした。ロイスは息を整えると、ロザリーに向き合います。
「いいかい?人は皆、平等だ。貴女が下卑た貴族の犠牲になるのはおかしい。そんな家からは逃げて、私の家で暮らしてください」
「でも、そんなのご迷惑がかかります」
ロザリーが必死で遠慮するも、ロイスはお互い様だと言わんばかりです。
「あの日、私はあなたに助けられました。あなたがいたから、警察の目を眩ませた。今度は私が助ける番ですよ」
ロイスはそう言うと、ロザリーの細い体を抱きしめます。
「初めて見た日から、あなたが好きでした。良かったら、私の妻になってください」
ロザリーがびっくりしたような表情でロイスを見るも、ロイスは何食わぬ顔で微笑んでいます。
「勿論、よろしくお願いします」
気が付けばそう返事をしていて、ロザリーは恥ずかしくなって身を竦めるのでした。
いつもありがとうございます。
これからも、よろしくお願い致します!