サムライ
「なんて奴だ…!」
ミッション前に参加者が集められる白い小部屋に座り込み、サムライはひとりごちた。サムライはこの状況を創り出した男に戦慄しながらも、その目を大きく見開いて小部屋の外を睨みつけていた。
粟立つ肌を抑えつけこの小部屋の外の惨状、つまりはオーガが見ている世界を共有するとそこには人型の二匹の龍と竜が血で血を洗うような凄惨な争いをしていた。
怨力を纏った竜は槍を持ち魔力を纏った龍の腕に噛みつき、今まさに食い千切ろうとしている。苦しげに左手の槍で魔力を纏った龍は竜の背中に穴を創り出すが、たちどころに穴は塞がっていき竜はついに龍の片腕を完全に食い千切った。
「センパ!」
ウィッチが巨大な掌を作り出し、龍の片腕を貪り食う竜に手の腹で叩きつけた。
叩きつけられた地面は音を立てて揺れ、砂煙を巻き起こした。ウィッチが祈るように砂煙を覗くが、そこには相変わらず竜が腕を咀嚼しており、ウィッチの攻撃は蚊が止まる程の攻撃であったことを物語っていた。
人型の竜は兄弟の腕を咀嚼し終わると、瞳をウィッチへと向けた。猛烈な殺意がウィッチに訪れたと思ったその瞬間、ウィッチの体は突如吹き飛ばされた。
一睨みするが早いか竜はウィッチに襲いかかり大きく腕を振るったのだ。ウィッチと竜の距離は到底腕が届かないほどの距離であったのにも関わらずウィッチは吹き飛ばされた。土埃を立て、地面を抉り、渓谷を作るほどの斬撃がウィッチに容赦なく襲いかかった。
不可視の斬撃。空絶だ。きっとオーガの攻撃を無意識のうちに再現したのだろう。
ウィッチは攻撃の寸前でキャリアを張り、吹き飛ばされるだけで済ました。もしもキャリアが遅れていれば、老婆は醜い肉塊へとその身を変身させて居ただろう。
老体に鞭を打ちウィッチが吹き飛ばされた体を無理矢理起こそうと顔を上げた時、人型の竜がバリアに張り付きこちらを見ている事に気がついた。
黒い目を大きく見開き、薄緑の瞳孔を大きく開け、赤い口からは濁った黒い涎を垂れ流している。
理性は完全にない。生まれ落ちたその使命も完全に忘れ去られているようだ。完全防御の中でウィッチは冷静さを取り戻そうと必死だった。
バリアの先の竜を観察し、効果的な魔法を創り出そうと模索していると突如人型の竜が顔全面に口を開いてバリアに噛み付いた。
食われている。本能的な恐怖に従って体が跳ねた。反射的にキャリアをもう一枚放つがそれすらも竜は食い破り、長い爪を備えた腕をウィッチの胸に突き立てた。
紫の彼女の衣を破り、鮮血が飛び出る。顔にかかった血を竜は旨そうに舐めるとウィッチの既に動いていない体を弄び始めた。
胸から股にかけて腕を振り下ろし、老婆を開く。ぽたぽたとこぼれ出て来た内容物を啜ろうとしたその時、人型の龍が死に物狂いといった様子で噛み付いてきた。
今までとは段違いの殺意を込められたその攻撃に怨力は嬉しそうに湧き立ち、人型の龍に人型の竜は向かい合った。
<Aランクアイテム 不死鳥の息吹>
ウィッチの体が徐々に再生していく。バラバラになった臓物がしわがれた老木のような体に吸い込まれていくと、ウィッチは悪夢から目を覚ました。
「はっ…。」
不死鳥の息吹が死を認識して自動的に発動したことを確かめるとウィッチは体中から汗を吹き出し、荒い息を吐いた。
視界の先で人型の魔力を纏った龍の首が玩具のように取れた。
圧倒的な暴力。久しく味わっていなかった理不尽なまでもの力。それを目の当たりにしたウィッチは杖を取り出そうとしたが、その杖も根本から折れている事に気づき、すべてを諦めてその膝を折った。
人型の竜は心ゆくまで龍を食べた後にその牙をウィッチに向けるだろう。
サムライは一人で考える。今、ウィッチが生を諦め、暴走状態のオーガを倒した人型の龍でさえも怨力を纏った人型の竜は倒した。
このままではウィッチは二度目の死をすぐに迎え、オーガは九死に一生を得て、帰還できる。
「それでいいのか?」
気づけば隣にオーガが寝転んでいた。天井を見上げ体を床に投げ出し、不機嫌そうな顔を浮かべていた。
観念して彼に話しかけた。
「君は本当に賢いんだね。君の怨力は人型の竜を操り、今の実力では絶対に勝てないであろう人型の龍とウィッチを倒してしまった。」
オーガはそれを聞くと一層眉を顰めた。
「そんな心にもない世辞を聞きたい訳じゃない。何の為に俺がボロ雑巾になってるか分かっているんだろう?」
彼が一体なんで死にかけの状態になってまでウィッチの本気を引き出したのか。彼は本気になったウィッチには逆立ちしたって勝てない事に気づいていて敢えて彼女を本気にさせた。
その答えはきっと自分が戦いたいからとかじゃない。
「僕の為だろ…?」
正確にはウィッチと僕の為だ。オーガが殆ど植物のようになったウィッチを倒したとしても、その後に残っているのは一抹のやるせなさと厭世観だけだろう。
ウィッチは殺されて僕の約束に費やした全ての労力を散りに変え、僕は目の前で親同然の人が殺されるのを黙って見届ける事になる。
でも、少女達を救い出す為にはウィッチを殺すしかない。
殺し合わなければならないどうしようもない戦いに少しでも救いを見つけようと彼は必死にもがいてくれたのだ。
その結果がこれだろう。
「君は恐ろしい奴だね。」
どこまでがオーガの計算なのだろうか。どこから彼の計算は始まっていたのだろうか。
ヴァンが彼に少女達の命と、ウィッチの命を天秤にかけた時であろうか。それとも怨力を習得した時であろうか。嫌、きっと僕のことを認識してからこの結果を紆余曲折はあったものの思い描いていたのかもしれない。
「もう女々しく考えるのはいいだろう。健気にお前の約束を実現しようとしていたウィッチに労いの言葉でもかけにいけ。」
オーガはすっかりくたびれた様子で投げやりに言った。
わざわざ一歩踏み外せばすぐに死んでしまうような危ない橋を渡ってまで僕とウィッチに報いの機会を作ってくれたオーガに心から感謝の念を抱いた。
「ありがとう。行ってくるよ。」
腰を上げ、ドアを見据えた。今からちゃんと僕の手でウィッチを殺す。そうすることでこの世界は終わる。きっとオーガよりも先にすべきだった覚悟を決めて歩き出した。
「おい、丸腰で行く気か?」
オーガが亀のように首だけを上げてこちらを見た。恐ろしい計算で敵を追い詰めた鬼の如きオーガに似つかわしくなく思わず苦笑いが漏れ出る。前に進みながら答えた。
「武器なんていらないよ。胸の中に仕舞い込んだ一本の真っ直ぐな刀があれば十分。」