大衆食堂 こゝろ
どうやら僕は社会不適合者らしい。クラスメイトは口を揃えてそう言うが、具体的に社会適合者と不適合者の境界を問うてみても、みんなして僕を納得させる答えはなく
「そんなことを訊くそういうところだよ。」
などと曖昧な返事ばかり返してくる。疑問に思ったことを訊いて何か不都合でもあるのだろうか。
お固い職業の父親は僕に対してその言葉を直接口にすることはないが、似たようなことを思っているのは遠回しに伝わってくる。だからこそ社会勉強のためなどと銘打って、アルバイトを僕に強く勧めたのだろう。友達と遊ぶこともなく昔から勉強ばかりしていたので、大学受験への心配もなく、言う通りにアルバイトを始めた。しかしすぐに思ったことを口に出してしまう性分なので、どのアルバイトも長く続かず今日もコンビニのバイトをクビになったところだった。どう考えても割り込みをした客が悪いのだが、あの店長は僕の態度が悪いと言って聞く耳をもたなかった。今回はどうやって親に説明しようなどと考えているとひどくお腹が空いていることを思い出した。
家の近くの定食屋の暖簾を潜ると、無愛想な親父さんが黙々と中華鍋を振っている。
親父さんの作った回鍋肉定食は、すこぶる美味しかった。つい晩ご飯のことも忘れ、ご飯をおかわりしてしまった。
「髪の毛が入っとるぞ、どうなっとるんじゃ作り直せ」と横の席の髭を蓄えた爺さんが怒鳴っている。
無愛想な親父さんは軽く爺さんを一瞥すると他のお客さんの注文を先に片付けた。それがひどく爺さんの逆鱗に触れたのか、よけいに怒鳴り散らしている。
「髪の毛取り除けば食えるだろ、髪の毛が入ってたのは不手際だけれど、そんなに神経質ならその髭を切ったらどうだい」僕は気がつくとそんなことを言っていた。
爺さんは怒りの矛先を僕に向けて再び怒鳴り散らしていたが、僕が無視してブラウン管テレビから流れるニュースを眺めているので、やがて疲れたように自らのエビチリ定食を平らげ、お代を机に置いてトボトボと寂しそうに店を出た。
「お前ウチで働かねぇか?」
定食屋を出ようとすると、無愛想な親父さんが笑いながらそう持ちかけてきた。無愛想だった親父さんが僕にとって親父さんになった瞬間だった。
親父さんは客商売に向いてない気質だった。お客さんには無愛想なくせに従業員にはやたら甘いのだ。
「お客さん、そんなにジロジロ見られると、あまり気分は良くないわね」
店にはこれまた客商売に不向きな親父さんの娘が働いている。名前はひまりさん、僕より一つ年上で地元の私立大学の一年生である。名は体を表すとあるが、向日葵を彷彿とさせる名を持つ彼女はとても冷たく、鬼のようだった。まるで体を表していなかった。と言うより、逆を行っていた。見目麗しい容姿がかえって性格の刺々しさを際立てている、そんな娘だった。その二人に加えてなんでも口に出してしまう僕がそこに加わったのだ、僕たち三人は、やはり社会不適合者だった。
あの爺さんはあれからもよく店を訪れた。
親父さんによるとあの爺さんは最近奥さんを亡くして話し相手が欲しくてうちのお店に来て難癖をつけているらしい。来るたびにあの手この手で何か料理にケチをつけるが、いつも僕たちが真剣に取り合わないので、一通り怒鳴ったあとに疲れたような、寂しそうな顔をして帰っていく。
店には一風変わった客しかこなかった。ぶつぶつと独り言を呟くおばさん、急に奇声を上げる青年、ひまりさんをしつこく口説くおやじなど例を挙げればキリがないほどだ。しかし、親父さんはそんなお客さんを決して追い出したりはしなかった。
そんなお客さんに溢れながら、店は繁盛していた。途切れることなく客が来店し、三人は休む暇なく働いていた。
「どうだ、もう慣れたか?」店の締め作業を終え、なんとか一息ついたところで親父さんが訊いてきた。
「仕事には慣れましたけど、変なお客さんのほうには慣れないですね」僕はそう答えると賄いの青椒肉絲を頬張った。横からひまりさんが僕の賄いを箸で盗もうとしていた。
「おい、ひまりは今日こっちな」
親父さんは回鍋肉をひまりさんの前に置いた。ひまりさんは嫌そうな顔をしている。ひまりさんがお客さんを怒らせると、親父さんは決まってひまりさんの賄いに回鍋肉を作った。
「変な客といえば、あなたも相当変な客ではあったけれどね。」ひまりさんは回鍋肉を箸でちびちび食べながらそう言った。
「口説いてきたおじさんを熱々のおたまで押しのける人に言われたくないですよ。」
「手が塞がってたから仕方ないじゃない、距離を取るための正当防衛よ、ソーシャルディスタンスってやつよ。それより怒鳴りつけてきたお客さんにボウル被せるのもどうかと思うわ」
「うるさかったし飛沫が飛んでたんでつい条件反射で。このご時世だし今はコンビニとかにも飛沫ガードのカーテンがあるでしょ。」
これ以上口答えすると、僕にもおたまを押し付けてきそうなのでひまりさんから距離をとって箸を動かした。親父さんは笑いながらそれを見ていた。社会不適合者の僕にとってこのお店が唯一の居場所だった。
そんな日々が二ヶ月ほど続いたある日、親父さんが倒れた。過労による不整脈とのことで、お店も休むこととなった。
再び色の無い日常が戻ってきた。社会不適合者と罵られ、居場所のない日々。店は開いてないだろうと思いつつも足を運ぶと、ひまりさんが厨房に立ち、いつものお客さん達の相手をしていた。そして気づいた。僕だけじゃない、今日この店に訪れたお客さんたちもまた社会不適合者だった。どこにも行き場のない彼らは、自分の居場所があるこの店に行き着いたのだ。
僕はその日の夜、両親に大学に行かないと言った。やりたいことを見つけたと理由は取り繕ったが、社会不適合者の僕が大学に行ったところでドロップアウトするのは目に見えている。弁護士の父親はひどく反対し、家を追い出された。
僕の家は、あの店になった。住み込みで働いて、ひまりさんと二人でお店に立つ。親父さんも僕とひまりさんでお店を開けていることに最初はびっくりしていたが今ではお店の中でくつろいでいる。やはり親父さんも行き場のない内の一人なのだろう。奥さんを早くに亡くしてからはこの店とひまりさんだけが宝物だと言っていた。僕からみても素敵な父親だった。
そんなある日、僕の父親が店に来た。大学に行くように考え直せとのことだった。僕は父親を無視してひたすら中華鍋を振るっていた。
「そのお嬢さんと駆け落ちでもするつもりか?」お父さんが言った。
「そんなの関係なく、僕はここで働きたい、ここが僕の居場所なんだ」やっと絞り出した言葉は、僕の言葉とは思えないほど幼稚な願いだった。
「私の彼への好意は回鍋肉へのそれと同じくらいかしら。」後ろでひまりさんが相変わらず容赦ない事を言っている。それを聞いて親父さんは何やらニヤニヤしている。僕はひまりさんに対して少なからず好意を抱いていたのだが意図してないタイミングで見事に玉砕した。
すると後から入ってきた髭の爺さんが料理に僕の髪の毛が入っていたので作り直せと怒鳴りつけてきた。相変わらずうるさい爺さんだが、今は父親と話したくなかったので僕は渋々従った。
「そんなに毛に神経質ならその髭を切ったらどうだい」僕は耳を疑った。いつかのあの台詞を、お固い僕の父親が吐いたのだ。社会不適合者の従業員三人と髭の爺さんは顔を見合わせた。なんだかおかしくなって四人で笑ってしまった。父親だけが蚊帳の外だった。しかし僕はそんな父を見て、地元の法学部に進学する事を決めた。父のようにはなれないかもしれないが、社会不適合者と最初から諦めていないで、やれるだけはやるつもりだ。
僕は大学生となり、親父さんも店に復帰することになった。いまだにバイトを続けているこの店に活気も戻ってきた。髭の爺さんも最近は料理に文句を言うどころか褒めることが増えてきた。やはり話し相手が欲しかっただけらしい。
「相変わらず親父さんの回鍋肉は美味いの。やっぱり娘さんの大好物だから得意なのかい?」僕は反射的にひまりさんの方を見た。そこには、珍しく戸惑っている彼女の姿があった。
恋のキューピットが髭の爺さんとは締まらない話だけれど、しかしこれからも爺さんの話し相手くらいにはなってあげよう。
隣に立つひまりさんに熱々のおたまで距離を取られながら、僕はそう思った。