六、顔馴染み
六、顔馴染み
丸顔の男は、店の裏口から、狭い路地を早足で、港の方へ進んだ。仕事上、顔馴染みの男が、まだ、居ると思ったからだ。しばらくして、倉庫街へ辿り着いた。そして、周囲を見回した。しかし、終業時間の刻限が近いので、ほとんど、人影は無かった。その途端、歩を止めるなり、「遅かったか…」と、溜め息を吐いた。無駄足となってしまったからだ。
突然、「おい! そこで、何をしているんだ?」と、背後から、がさつな男の声がして来た。
その瞬間、丸顔の男は、咄嗟に、振り返った。その刹那、小柄の体格の
良い無精髭が、視界に入るなり、「あ…!」と、面食らった顔をした。顔馴染みの男が居るとは、思ってもなかったからだ。
「おい? どうした?」と、無精髭の男が、気味悪がった。
間も無く、丸顔の男は、我に返り、「ああ、あんたに会いに来たんだよ!」と、告げた。まさか、こんなに、都合良く会えるとは、思ってもみなかったからだ。
「何だ? 一杯、引っ掛けに行こうってのかい?」と、無精髭の男が、右手で、飲む仕種をしながら、尋ねた。
「ははは。そうしたいんだが、退っ引きならねぇ用事が出来ちまったんで、そういう訳にいかなくなったんだよな」と、丸顔の男は、仄めかした。酒を嗜んでいる時間さえ、惜しいからだ。
「そいつは、急だな」と、無精髭の男が、眉間に皺を寄せた。そして、「俺に、何をさせたいんだ?」と、真顔で、質問をした。
「ここでは、ちょっと不味いから、場所を変えよう」と、丸顔の男は、提案した。他人に聞かれたくないからだ。
「何だ? 密輸的なやつか?」と、無精髭の男が、半笑いで、冷やかした。
「ま、まあ、そ、そんなところかな…」と、丸顔の男は、言葉を濁した。半分は、該当するからだ。
「なるほど。確かに、こんな所で、役人に見付かるのは、不味いな」と、無精髭の男も、理解を示した。そして、「酒場へ、移動しようぜ」と、提言した。
「おいおい、俺の話を聞いていたか?」と、丸顔の男は、顔をしかめた。酒を酌み交わしながら、話をする余裕など、無いからだ。
「聞いているさ。勘違いすんなよ。飲みに行くんじゃねぇ。密輸を引き受けてくれる業者を探しに行くんだよ」と、無精髭の男が、理由を述べた。
「あ、なるほど!」と、丸顔の男も、納得した。これからの時間帯ならば、その手の情報を入手し易くなるからだ。
間も無く、二人は、倉庫街を直進した。しばらくして、閑散としている魚市場の敷地内へ進入した。
「密輸を、そう簡単に引き受けてくれる業者なんて、居るのかなぁ~」と、丸顔の男は、懸念した。そう都合良く見付かるわけが無いからだ。
「まあ、そんな厄介な事に、首を突っ込むと、死活問題になるだろうからな」と、無精髭の男が、しれっと言った。
「そうだろうな」と、丸顔の男も、頷いた。自分達がやろうとする事が、御法度なのは、重々、承知の上だからだ。
「で、何処へ渡りたいんだ?」と、無精髭の男が、興味津々に問うた。
「ライランス大陸へ、渡りたいんだがな」と、丸顔の男は、即答した。そして、「どうにかなりそうかい?」と、言葉を続けた。駄目で元々だからだ。
「そう結論を急ぐなよ。ライランスだったら、運が良ければ、今夜中に決着が付くから、引き受けてくれる業者は、居ると思うぜ」と、無精髭の男が、あっけらかんと言った。
「へへへ、そうか…」と、丸顔の男は、右手で、胸を撫で下ろした。案外、引き受けてくれそうな業者が、あっさりと見付かりそうな口振りだからだ。
会話の間に、二人は、敷地を通り抜けた。やがて、古びた佇まいの酒場へ、辿り着いた。そして、勢いそのままに、店内へ、踏み入れた。
その瞬間、「いらっしゃ~い」と、真っ赤なドレスを着た肥えた体型の熟女が、にこやかに、声を掛けて来た。
「どうも、お久し振りです!」と、無精髭の男が、畏まった。
「おや? 珍しいわねぇ。借金を払いに来たのかしら?」と、ブヒヒ族の熟女が、冷やかした。
「いえ、そのぉ~」と、無精髭の男が、言葉を詰まらせた。
「まさか、そこの連れに、肩代わりをさせる気なのかしら?」と、ブヒヒ族の熟女が、詰問した。
その直後、「ち、違いますよっ!」と、無精髭の男が、否定した。
「冗談よ。で、本当のところは、何の用かしら?」と、ブヒヒ族の熟女が、質問した。
「実は、俺の隣の奴が、ライランスへ、密輸をしたいって言うんですよぉ~」と、無精髭の男が、遠慮がちに、理由を述べた。
「なるほどね。ウフッ」と、ブヒヒ族の熟女が、右目を瞑って、視線を投げ掛けた。
丸顔の男は、愛想笑いをした。嫌な顔をするわけにもいかないからだ。
「で、決行は?」と、ブヒヒ族の熟女が、尋ねた。
「こ、今夜だそうで…」と、無精髭の男が、回答した。
「今夜ぁ~?」と、ブヒヒ族の熟女が、眉間に皺を寄せた。
「む、無理なら、構いませんよ…」と、丸顔の男は、口を挟んだ。出来ない事は、承知の上だからだ。
「ふーん。面白そうじゃないかい!」と、ブヒヒ族の熟女が、口元を綻ばせた。
「へ?」と、丸顔の男は、呆気に取られた。あっさりと断られるものだとばかり思ったからだ。
「何だか、久々に、昔の血が騒ぐわねぇ」と、ブヒヒ族の熟女が、気を吐いた。
「ど、どういう事だ?」と、丸顔の男は、気圧されて、動揺した。まるで、自らが、船乗りだと言わんばかりの物言いだからだ。
「この人、昔、キャプテン・ハークと一戦交えた元海賊らしいぜ」と、無精髭の男が、耳打ちした。
「何だってぇ!」と、丸顔の男は、素っ頓狂な声を発した。デヘル帝国水軍と渡り合った伝説の海賊の名だからだ。
「あいつも、まさか、あのような最期になるなんて、思ってなかっただろうね」と、ブヒヒ族の熟女が、しんみりとなった。
「確か、モーヒって、ウキキ族の副官が、デヘルに寝返って、鮫の餌食にされたって、顛末だったよな?」と、丸顔の男は、口にした。仲間に裏切られるというらしくない最期が、印象的だからだ。
「まあ、現場に立ち会ってなかったので、真実か、どうかは、判らないけどさ」と、ブヒヒ族の熟女が、淡々と言った。そして、「あたいは、どんな姿でも、ハークの奴が現れたら、力になってやろうと思っているんだけどね」と、考えを述べた。
「まるで、キャプテン・ハークが、生きているような口振りですねぇ」と、無精髭の男が、指摘した。
「そうだよ。あいつのしぶとさは、あたいが、よく知っているからね」と、ブヒヒ族の熟女が、含み笑いをした。
「って事は、あんたは、全力斬りのティーサ…」と、丸顔の男は、息を呑んだ。キャプテン・ハークの好敵手で、頭から、相手を武器ごと一刀両断にするという女海賊の名が、脳裏を過ったからだ。
「う~ん。そう呼ばれるのは、久し振りかねぇ~」と、ブヒヒ族の熟女が、目を細めた。そして、「あたいも、ハークが、居なくなってから、しばらくは、モーヒやデヘルとやり合っていたんだけど、腰を痛めたのを期に、身を引いて、今じゃあ、この酒場を仕切っているって訳だよ」と、ティーサが、語った。
「そうなんですかぁ~」と、丸顔の男は、聞き入った。全力斬りを続けてりゃあ、腰を痛めても、おかしくないだろうからだ。
「あたいも、年になったんだろうかねぇ~」と、ティーサが、しれっと言った。
「そ、そうかも知れませんねぇ~」と、丸顔の男は、すんなりと相槌を打った。年齢にも、関係が有ると思ったからだ。
その刹那、「てめえ! あたいが、年増になったから、そうなったって、思っただろっ!」と、ティーサが、殺気立った。
その直後、「滅、滅相も無いですよ!」と、丸顔の男は、慌てて、頭を振った。そのような事など、微塵も思っていなかったからだ。
「おかみさん、落ち着いて下さい。こいつの条件反射ってやつなんですよ」と、無精髭の男が、口を挟んだ。
「ほう。そりゃあ、どういう意味だい?」と、ブヒヒ族の熟女が、訝しがった。そして、「話してみな」と、促した。
「お前の口から、説明してやれよ」と、無精髭の男も、口添えした。
「あ、ああ…」と、丸顔の男は、小さく頷いた。そして、昼間の出来事を語り始めた。
しばらくして、「ああ。あの高慢ちきな行かず後家が、仕切っている交易商ね」と、ブヒヒ族の熟女が、納得した。そして、「うちの店に難癖付けて、来たのは、一回こっきりだったかねぇ~」と、憎々しげに、言った。
「ゲオって、あの万年下っ端のおっさんかい?」と、無精髭の男が、尋ねた。
「そうだ」と、丸顔の男は、すかさず頷いた。そして、「今の俺の主人だよ」と、言葉を続けた。現在は、下っ端のおっさんではないからだ。
「ゲオって人も、店の金だけ持って逃げたら、楽なのにな」と、無精髭の男も、感想を述べた。
「ゲオさんが、そうしないんですよねぇ~。何を考えているのか、判らないけどね」と、丸顔の男は、溜め息を吐いた。確かに、金銭だけを持ち逃げすれば、アヴェ・ンダの事など、どうでも良いからだ。
「まあ、ゲオさんも、あんなアバズレの下で、長いことやって行けたよなあ~」と、無精髭の男が、感心した。
「ああ。でも、今回の件は、酷過ぎたな。俺は、ゲオさんの方は、無実だって、疑ってなかったからな」と、丸顔の男は、得意満面に、見解を述べた。
「まあ、そんな手癖の悪い奴だったら、嫌疑を掛けられる前に、辞めているわな」と、無精髭の男も、同調した。
「へぇ~。そのゲオって奴、なかなかの忠義者みたいだねぇ」と、ブヒヒ族の熟女が、興味を示した。そして、「あの高慢ちきな行かず後家に、長年仕えたのだから、一度、会ってみたいものだねぇ~」と、口元を綻ばせた。
「期待外れかも知れませんよ」と、丸顔の男は、表情を曇らせた。チビ・デブ・ハゲの負の三拍子が揃った中年でしかないからだ。
「そうですよ。年齢的には、崖っぷちですから、がっかりだと思いますよ」と、無精髭の男も、補足した。
その直後、「ええい! うるさい! 見てくれなんて、どうでも良いんだよ! あたいは、ゲオという人物に、会ってみたくなったんだよ!」と、ブヒヒ族の熟女が、一喝した。
その瞬間、「ひっ!」と、丸顔の男と無精髭の男は、身をすくませた。
「坊や、すぐにでも、ゲオさんを連れて来な! 遅くなると、後手に回るかめ知れないからねぇ」と、ブヒヒ族の熟女に、急かされた。
「は、はい!」と、丸顔の男は、即答した。びびっている暇など無いからだ。
「お、俺も、付いて行こう」と、無精髭の男も、申し出た。
「ああ」と、丸顔の男は、承知した。二人で動いた方が、都合が良さそうだからだ。
「あたいが気に入ったら、何もかも、手配するけど、気に入らなきゃあ、他を当たって貰うよ」と、ブヒヒ族の熟女が、冷ややかに、告げた。
「分かりました」と、丸顔の男は、同意した。
間も無く、二人は、踵を返すのだった。