五、思い出の品
五、思い出の品
ゲオは、古びた棒を、右手に持ちながら、思い出に浸っていた。アヴェ・ンダの幼き日に、プレゼントされた叩き棒だった物だからだ。そして、「あの頃のアヴェ・ンダ様は、御優しい方だったのに…」と、溜め息を吐いた。現在は、まるで、別人かのように、冷たい人物だからだ。
そこへ、「ゲオ様、只今、戻りました!」と、丸顔の男の声がした。
その途端、ゲオは、我に返った。そして、戸口を見やり、「ご苦労様でしたね」と、労った。汚れ役をやらせたからだ。
「ゲオ様、それが…」と、丸顔の男が、急に、そわそわし始めた。
「どうしたのですか?」と、ゲオは、眉を潜めた。何かしらの厄介事が起こったのだと、察したからだ。そして、「話して貰えませんか?」と、やんわりと促した。聞いてみない事には、話にならないからだ。
「実は…」と、丸顔の男が、詰所での出来事を語り始めた。
しばらくして、「早々に、引き払わないといけませんねぇ。それに、目と鼻の先ですので、見付かると、余計に、厄介な事になりかねませんね。早く、中へお呼びなさい」と、ゲオは、急かした。一刻も早く、店内へ、入って貰うべきだからだ。
「は、はい!」と、丸顔の男も、すぐさま応じた。そして、踵を返した。程無くして、二人を引き連れて、戻って来た。
「この度は、申し訳ございません…」と、ゲオは、巨漢の元役人へ、机上に平伏しながら、陳謝した。重ね重ね、迷惑を掛けっぱなしだからだ。
「ゲオさん、不可抗力ですよ。顔を上げて下さい」と、巨漢の元役人が、恐縮した。
程無くして、ゲオは、顔を上げた。そして、「上司を殴ったとあっては、今度は、あなたの方が、牢屋行きじゃないのですか?」と、身を案じた。理由は、どうあれ、上司を殴るのは、御法度だからだ。
「ええ」と、巨漢の元役人が、冴えない表情で、頷いた。
「ゲオ様。この方も、一緒に、ライランス大陸の方へ、同行して貰うのは?」と、丸顔の男が、提案した。
「そうですね。一人でも、今は、人手が欲しいですからね」と、ゲオも、快諾した。人手が増えれば、仕事も早いからだ。
「へ、そいつは、ありがてぇ! この街に居ても、奴らに追い回されるだけだからな」と、巨漢の元役人が、嬉々となった。そして、「力仕事なら、任せてくれ!」と、申し出た。
「そうですね。荷造りの方を、お願い出来ますか?」と、ゲオは、問うた。貨幣の仕分け作業の為、荷造りまでは、手が回っていないからだ。
「承知しました。で、何を?」と、巨漢の元役人が、尋ねた。
「役に立ちそうな物を選別して、箱へ入れて下さい。ライランス大陸へ着く頃には、無一文になっているでしょうからね」と、ゲオは、指示した。そして、「え~っと。御役人さん。アヴェ・ンダ、いや、メス犬の玉口枷を外して頂けますか?」と、要請した。今一度、話をしてみようと思ったからだ。
「ゲオさん、本気ですか?」と、巨漢の元役人が、眉間に皺を寄せた。
「そうですよ。殺気立って居ますよ!」と、丸顔の男も、口添えした。
「私も、このような事は、本意じゃありません。けれど、一応は、筋を通さなければならないので…」と、ゲオは、理由を述べた。相手が、誰であろうが、筋は通しておくべきだからだ。
「何をしでかすか判りませんので、両手両足は、拘束したままにしておきますよ」と、巨漢の元役人が、告げた。
「ええ、構いませんよ。口だけ、自由にして頂ければ良いですので」と、ゲオも、承知した。口以外に、用は無いからだ。
「了解しました」と、巨漢の元役人が、二つ返事をした。少しして、玉口枷を外した。
その直後、「このハゲ! よくも、あたしを、こんな目に!」と、アヴェ・ンダが、憤怒の形相で、怒鳴った。
「何を仰られるのですか? あなたが、わしらを疑った挙げ句、御役人さんに、手を上げたから、そうなられたのでしょう」と、ゲオは、しれっと言い返した。アヴェ・ンダの愚行が、招いた結果だからだ。
「ゲオ様、話にならないですよ」と、丸顔の男が、呆れ顔で、口を挟んだ。
「そうですね。ご自分のお立場を理解されていないみたいですからね」と、ゲオも、同調した。そして、「これは、私が、あなたに与える最後の機会なのですよ」と、宣告した。こうでも言わないと、聞いてくれそうもないからだ。
「は? 使用人の分際で、何を言ってるのかしら?」と、アヴェ・ンダが、上から目線で、告げた。
「ゲオさん、玉口枷を入れちゃいますよ」と、巨漢の元役人が、進言した。
「ちょっと、待って下さい!」と、ゲオは、制した。一つ、確認したい事が有るからだ。そして、「この棒に、見覚えはありませんか?」と、古びた棒を差し出した。
その瞬間、「何? その汚い棒切れは?」と、アヴェ・ンダが、眉をひそめた。そして、「そんな物を見せて、何なのよ!」と、嫌悪した。
その直後、ゲオは、嘆息した。アヴェ・ンダに、純真な心は、微塵も残っていなかったからだ。そして、「これは、あなたが、お手伝いのお駄賃で買ってくれた叩き棒の成れの果てですよ」と、語った。
「は? そんな事をした記憶なんて無いわよ」と、アヴェ・ンダが、憎々しげに、否定した。
「分かりました。これで、私の心も決まりました」と、ゲオも、意を決した。アヴェ・ンダとの懐古に、別れを告げる時が来たからだ。そして、「御役人さん、口枷をやって良いですよ」と、指示した。これからは、メス犬として、接する事にしたからだ。
「あんた、もう、人間として、生きて行けないぜ」と、巨漢の元役人が、嘲笑しながら、玉口枷を装着させた。
「メス犬め、一生、地べたを這いつくばってろっ!」と、丸顔の男が、右手で、アヴェ・ンダの頬を叩いた。
「フガッ!」と、アヴェ・ンダが、すかさず睨み付けた。
「おお、怖っ!」と、丸顔の男が、おどけた。
「顔は、止めて下さい。良い状態で、売りたいのでね」と、ゲオは、意味深長に、注意をした。人身売買は、大金になるという事を、小耳に挟んでいたからだ。
「なるほど。それは、良い考えですね」と、丸顔の男も、賛同した。
「でも、犬としては売れないでしょうし、人身売買は、御法度じゃないんですか?」と、巨漢の元役人が、懸念した。
「私も、本当は、そういう事はしたくないのですが、メス犬の面倒なんて、金輪際看たくもないので、一番、手っ取り早いかと思っているのですよ」と、ゲオは、考えを述べた。アヴェ・ンダの世話は、手に余るからだ。
「人身売買ともなりますと、人間は、何処も、取り引きするのは、難しいでしょうねぇ」と、巨漢の元役人が、険しい顔をした。
「そうですね。猫耳族やバニ族だったら、取り引きし易いでしょうけどね」と、丸顔の男も、口添えした。
「おい、ここでは、軽々しく、口にするもんじゃない!」と、巨漢の元役人が、忠告した。
「確かに、この国の統治者は、ウルフ族の大公様ですからね」と、ゲオも、頷いた。異種族の者を売買しようものなら、公開処刑にされるのは、必至だからだ。
「ははは…」と、丸顔の男が、表情を強張らせた。そして、「じゃあ、ゲオ様。このメス犬を、どのように為さるおつもりですか?」と、問い掛けた。
「そうですねぇ。う~ん…」と、ゲオは、腕組みをした。まだ、そこまでの段取りには至っていないからだ。
「こういうのは、どうでしょうか?」と、巨漢の元役人が、申し出た。
「聞かせて貰いましょうかねぇ?」と、ゲオは、興味を示した。聞くだけなら、タダだからだ。
「はい。顔を隠して、メス犬を罪人に仕立て上げるのですよ。自分は、まだ、この身形ですので、通用すると思うのですよ」と、巨漢の元役人が、考えを述べた。
「なるほど。でも、正規のやり方じゃあ、すぐにバレちゃうかも知れませんよ」と、ゲオは、表情を曇らせた。元上司が、すでに、手を回しているとも考えられるからだ。
「ゲオ様、こんな時間から動いてくれる正規の業者なんて、居ませんよ。俺らは、一刻も早く出なきゃあならないんで、悠長な事なんて、言ってられませんよ」と、丸顔の男が、意見した。
「そうですね。しかし、今からやってくれる業者を探すとなると…」と、ゲオは、眉根を寄せた。心当たりが無いからだ。
「ゲオ様、少しだけ、御時間を頂けませんか?」と、丸顔の男が、意味深長に、申し出た。
「うむ。やりましょう」と、ゲオは、すんなりと聞き入れた。丸顔の男に、何かしらの考えが有るのを察したからだ。
「ありがとうございます! じゃあ、ちょっくら、知り合いを当たってみます!」と、丸顔の男が、意気込んだ。
「おい! 表は不味いから、裏口から行きな!」と、巨漢の元役人が、声を掛けた。
その瞬間、丸顔の男は、はっとなり、「そうだな」と、同意した。程無くして、右奥の通用口へと消えた。
「ゲオさん。昔、メス犬が、どんな人物だったか知らないけど、懐古を断ち切る為にも、その棒は、ここへ、置いて行った方が、良いんじゃありませんか?」と、巨漢の元役人が、意見した。
「まあ、普通に考えれば、未練がましいですよね。しかし、私は、この棒を生まれ変わらせようと思っているのですよ」と、ゲオは、含み笑いを浮かべた。今しがた、別の使い道を思い付いたからだ。
「と、言いますと?」と、巨漢の元役人が、小首を傾いだ。
「まあ、見てて下さい」と、ゲオは、通用口の傍に置かれてある紐状の物を差した木箱へ、歩を進めた。間も無く、手前で、足を止めた。アヴェ・ンダを傷付けずに、痛い思いだけをさせられる伸縮自在の素材が、在るからだ。
「ゲオさん、それは?」と、巨漢の元役人が、尋ねた。
「これは、梱包用の緩衝材の廃物ですよ」と、ゲオは、背を向けたままで、返答した。そして、幾本かの適度な長さの物を取り出した。調教用の道具を作るのに、必要不可欠からだ。
「ゲオさん、何をする気ですか?」と、巨漢の元役人が、訝しがった。
「まあ、見てて下さい」と、ゲオは、口元を綻ばせた。そして、叩き棒の先端に有る埃払いの穴へ、次々に、廃材の紐を通した。間も無く、全ての穴へ通し、束ねるように、針金で、付け根を固定させた。そして、振り返り、「出来ましたよ」と、満面の笑みを浮かべた。想像通りの仕上がりとなったからだ。
「ゲオさん、それを、掃除道具として、再利用なさるおつもりですか?」と、巨漢の元役人が、眉をひそめた。
「いいえ」と、ゲオは、頭を振った。そして、「そのメス犬を、立たせて頂けませんか?」と、要請した。口で説明するよりも、実演した方が、手っ取り早いからだ。
「は、はあ…」と、巨漢の元役人が、冴えない顔で、返事をした。そして、「立ちな!」と、右手で、アヴェ・ンダの首根っこを掴んだ。その直後、力付くで、立たせた。
「アヴェ・ンダ、何ですか? その目はっ!」と、ゲオは、恫喝した。反抗的な目付きが、イラッとなるからだ。その直後、叩き棒を振り下ろした。次の瞬間、無数の紐の先端が、床を打ち付けた。そして、「これで、お前を調教してあげますよ!」と、薄ら笑いを浮かべた。立場が逆転して、気分が高揚しているからだ。
「フーッ! フーッ!」と、首を振ったり、上半身を激しく動かして、嫌がる素振りを見せ始めた。
「今更、遅いですよ」と、ゲオは、冷めた表情で、告げた。情けを掛ける気持ちなど、先刻の態度で、完全に失せてしまったからだ。そして、「後ろを向けさせて下さい」と、指示した。
「はい!」と、巨漢の元役人が、即座に、アヴェ・ンダを反転させた。そして、「これで、良いですか?」と、問うた。
「う~ん。少し、お尻を突き出させて頂けませんか?」と、ゲオは、注文した。尻の方が、叩き易いからだ。
「は、はい!」と、巨漢の元役人が、返事をした。その刹那、「おりゃあ!」と、アヴェ・ンダの下腹部へ、左の拳を食らわせた。
その直後、アヴェ・ンダが、前のめりになり、尻を突き出す形となった。
「ゲオさん、これで良いんですかい?」と、巨漢の元役人が、得意顔で尋ねた。
「上等ですよ」と、ゲオは、にんまりとなった。そして、「女王様とお呼び!」と、言葉を発するなり、アヴェ・ンダの尻へ、叩き棒を下から振り抜いた。次の瞬間、緩衝材の紐の先が、一斉に、打ち付けられた。その途端、口元を綻ばせながら、恍惚の表情となった。自分の抑制していた欲求が、解き放たれた気分だからだ。
少しして、「ゲオさん、女王様って仰られるのは、少々、おかしいんじゃないんですか?」と、巨漢の元役人が、指摘した。
その瞬間、ゲオは、我に返るなり、「そ、そうですね…」と、苦笑した。確かに、自分が、女王様と名乗るのは、変だからだ。そして、「メス犬には、効いてますか?」と、問い掛けた。どんな表情をしているのか、判らないからだ。
「まだ、反抗的な目をしていますね。服の上からですので、効いていないのかも知れませんよ」と、巨漢の元役人が、アヴェ・ンダの顔を覗き込みながら告げた。
「確かに、服の上からですと、この棒でしばいても、威力が落ちちゃいますね」と、ゲオも、頷いた。そもそも、衝撃を和らげる素材なので、大した打撃を与えられていないとも考えられるからだ。
「ゲオさん、どうせなら、素っ裸にしましょうよ。人じゃないんですから」と、巨漢の元役人が、提言した。
「それは、ちょっと…」と、ゲオは、難色を示した。全裸は、些か、やり過ぎなような気がするからだ。
「じゃあ、下着姿にして、肌を露出させるのは、どうですか?」と、巨漢の元役人が、代案を出した。
「そうですね。多少の辱しめは、受けて頂かないと、メス犬の為にもなりませんからね」と、ゲオも、同意した。御嬢様育ちのアヴェ・ンダにとって、精神的な屈辱を与えるのに、効果覿面だと考えられるからだ。
「じゃあ、身ぐるみを剥ぎましょうかね」と、巨漢の元役人が、嬉々とした。
その瞬間、アヴェ・ンダが、救いを乞うように、ゲオへ、視線を向けて来た。
ゲオは、その視線を察知するなり、「もう、手遅れなんですよ」と、頭を振った。今更、救いを求められても、助ける気など、とっくの昔に、失せているからだ。そして、「二度と、そんな目でみるなっ!」と、怒鳴った。その直後、叩き棒を振り上げて、威嚇した。
その刹那、アヴェ・ンダが、抵抗を止めて、大人しくなった。
「じゃあ、遠慮無く、やらせて貰います!」と、巨漢の元役人が、意気込んだ。そして、アヴェ・ンダの襟元へ、右手を掛けるのだった。