二、ゲオ、乱心する
二、ゲオ、乱心する
一時して、丸顔の男が、筋骨隆々の大男の役人を連れて、戻って来た。
「アヴェ・ンダ様、連れて来やしたよ~」と、丸顔の男が、いの一番に告げた。
その直後、「このチビハゲの醜い男を連れて行って頂戴!」と、アヴェ・ンダが、開口一番に、指示した。
「ちょっと待ってくれないか? 俺は、ゲオさんをしょっ引けなんて、聞いていないぜ」と、筋骨隆々の大男の役人が、戸惑った。
「そこの丸顔から聞いているでしょ! お金を盗られたって!」と、アヴェ・ンダが、語気を荒らげた。
「いや、あんたが、いつもの癇癪を起こしているから、来てくれってな」と、筋骨隆々の大男の役人が、面倒臭そうに告げた。
「は? 高額納税者に、何を言っているの? ある意味、あなた達の給食も、あたしが出しているのよ! このチビハゲが、犯人何だから、さっさとしょっ引きなさい!」と、アヴェ・ンダが、捲し立てた。
「あんた、やたらと目の敵にしているけど、ちゃんと調べたのかい?」と、筋骨隆々の大男の役人が、落ち着き払って、問うた。
「お金が無いのが、何よりの証拠よ!」と、アヴェ・ンダが、自信満々で、力強く答えた。そして、「奥の机の一番上の引き出しよ!」と、右手で、奥に在るどっしりとした木製の事務机を指した。
「う~ん。そう言われてもなぁ~」と、筋骨隆々の大男の役人が、眉根を寄せた。そして、「あんたが、ゲオさんを追い出したいから、犯人に仕立て上げようとしているんじゃないのか?」と、指摘した。
「確かに、ゲオさんばっかり、難癖付けられているなあ」と、丸顔の男も、口添えした。
「う…。そ、そんな事無いわよ」と、アヴェ・ンダが、ぎこちなく否定した。そして、「そんなに疑うのなら、調べて貰えないかしら?」と、促した。
「調べようにも、元の額も判らないし、ちょっとな…」と、筋骨隆々の大男の役人が、眉間に皺を寄せた。
「じゃあ、このチビハゲを連れて行って頂戴。そして、牢屋へぶち込んで!」と、冷めた表情で、厳しく言った。
「アヴェ・ンダさん、あんたの言い分は、分かったよ。でも、俺も、職務上、中立の立場だから、ゲオさんの言い分も、聞かせて貰うよ」と、筋骨隆々の大男の役人が、断りを入れた。そして、「ゲオさん、アヴェ・ンダさんは、ああ言っているけど、あんたの言い分は、どうなんだ?」と、尋ねた。
「わ、わしは、店や他人様の物になんて、触れた事は無いよ。ましてや、お金だったら、尚更だよ!」と、ゲオは、頭を振った。自分は、これまで、誠実に、仕事へ取り組んで来たからだ。
「でも、現状じゃあ、あんたが、不利なのは、分かっているよな?」と、筋骨隆々の大男の役人が、確認するように、問うた。
「ええ…」と、ゲオは、神妙な態度で、頷いた。現時点で、身の潔白を証明する術が無いからだ。
「すまんが、どのようにして、お金を引き出しへ納めたのか、ちょっと、再現して貰えないかな?」と、筋骨隆々の大男の役人に、要請された。
「は、はい…」と、ゲオは、立ち上がった。そして、机の方へ、歩を進めた。
少し後れて、アヴェ・ンダ達も、続いた。
程無くして、一同は、引き出しの前へ立った。
間も無く、「開けますよ」と、ゲオは、ゆっくりと引き出しを引いた。
その直後、机の中で、何かが落ちる音がした。
ゲオは、気にせずに、引き出しを引き続けた。やがて、開ききり、中一杯に、右から整然と積み重ねられた両替用の金・銀・銅の硬貨の列が、姿を現した。
「また、右奥の金貨が、一枚減っているわね」と、アヴェ・ンダが、ぼやいた。
「わしは、引き出しを引いただけで、盗む間なんて無いぞ!」と、ゲオは、憮然とした表情で、すかさず言い返した。もう、うんざりだからだ。
「今回は、ゲオさんには不可能ですね」と、筋骨隆々の大男の役人も、同調した。
「じゃあ、消えたお金は、どう説明するの?」と、アヴェ・ンダが、つっけんどんに、言った。
「最初から、あなたが、わしを解雇する為に、仕組んでいたんじゃないんですか? ここまで、目撃者が居られるのですから、内心では、満足なのでしょう?」と、ゲオは、投げ遣りに、皮肉った。自分を犯人に仕立て上げるには、十分な筈だからだ。そして、「わしが、犯人で良いですよ」と、憔悴した表情で、告げた。自分が、無実の罪を被れば、何事も円く収まるからだ。
「ゲオさん、俺は、あんたには辞めて欲しくない!」と、丸顔の男が、異を唱えた。そして、「あんたが、ここに居てくれたから、今日まで働けたんだ。こんな他人を見る目の無い奴の下で働くのは、真っ平だ!」と、熱っぽく言葉を続けた。
「俺も、傍から見ていたけど、あんたら、この女にボロクソ言われてても、よく堪えて居られるなって、ある意味、尊敬していたんだよなぁ~。正直、大した苦労もしてないで、こんな老舗の当主に納まっているから、他人を労れないんだろうな。あんたらが辞めるって言うんなら、俺も、こんな奴の雑用みたいに使われるのは嫌だから、役人を辞めるぜ」と、筋骨隆々の大男の役人も、共感した。
「ええ! 私が、悪者ぉ!」と、アヴェ・ンダが、信じられない面持ちで、憤った。そして、「でも、こんな中途半端な形では納得出来ないわ! この件だけでも、解決して貰えないかしら!」と、言葉を続けた。
「そう言われましてもねぇ~」と、筋骨隆々の大男の役人が、眉をひそめた。
突然、ゲオは、はっとなった。引き出しを開けた際に、何かが落ちた音がしたのを思い出したからだ。そして、「ひょっとして!」と、引き出しを取り外した。少しして、体を突っ込んで、奥を覗き込んだ。程無くして、「ああっ!」と、声を発した。幾つかの硬貨を視認したからだ。
「ゲオさん、どうかしたのですか!」と、丸顔の男が、問い掛けた。
「この奥に、お金が落ちてます!」と、ゲオは、返答した。そして、右手を伸ばし、数枚の硬貨を掴んだ。少しして、出ようとした。しかし、下の引き出しに、腹がつっかえており、その上、両足が、宙に浮いて、床から離れているので、踏ん張る事さえもかなわなかった。その直後、「あのぉ、引っ張って頂けます? 自力では無理ですので…」と、要請した。自力での脱出は、不可能だからだ。
「任せな!」と、筋骨隆々の大男の役人が、応じた。間も無く、両足を掴まれた。その途端、「おらよ!」と、間髪容れずに、引っ張られた。
次の瞬間、「わ!」と、ゲオは、両手を床へ突く間も無く、顔面から着地した。それと同時に、弾みで、硬貨を手放してしまった。
その刹那、硬貨が、散らばった。
「すまねぇ、ゲオさん。大丈夫か?」と、筋骨隆々の大男の役人が、気遣った。
少しして、「あいたたた…」と、ゲオは、右手で、鼻を押さえながら、おもむろに立ち上がった。そして、「ええ、何とか…」と、返答した。少々、鼻を強打したからだ。
「ゲオさん、鼻血が出てますよ~」と、丸顔の男も、心配をした。
「そ、そうですか!」と、ゲオは、咄嗟に、右手の人差し指と中指で、鼻をつまんで、止血を始めた。そして、アヴェ・ンダを見やった。
アヴェ・ンダが、一生懸命、散らばった硬貨を拾う事に、躍起になっていた。
ゲオは、その様を見るなり、落胆した。この女は、他人の心配よりも、金が、最優先なのだと確信したからだ。
「おい、小銭拾いよりも、ゲオさんに、先に言う事が有るんじゃないのか?」と、筋骨隆々の大男の役人が、呆れ顔で、声を掛けた。
「うるさいわね! 下っ端よりも、お金拾いが、最優先よ!」と、アヴェ・ンダが、見向きもせずに、小銭拾いを続行 した。
「そのお金は、ゲオさんが見付けたんだから、先ずは、ゲオさんに謝るのが、筋なんじゃないのか?」と、筋骨隆々の大男の役人が、強い口調で指摘した。
その直後、アヴェ・ンダが、探すのを止めるなり、「は? 誰に、物を言っているの?」と、睨み付けた。そして、立ち上がり、「この店では、あたしが、一番偉いの! チビハゲが、お金を見付けるのは、当然の事よ! 謝罪だなんて、冗談じゃないわ!」と、言葉を続けた。
「御役人さん、わしは、謝罪なんて、期待してませんよ。この方は、生まれてからずっと、優等生なんですからね」と、ゲオは、淡々と皮肉った。自分が、何をやっても許されると勘違いしている者に、謝罪を求めたところで、無意味だからだ。
「そこのチビハゲの言う通りよ。あたしは、あなたの上司のエバーバ隊長ともお友達なのよ。この事を知らせちゃおうかしら?」と、アヴェ・ンダが、不敵な笑みを浮かべた。
「く…」と、筋骨隆々の大男の役人が、歯噛みをした。
「部外者は、口を出さない事ね~」と、アヴェ・ンダが、冷ややかに言った。
「御役人さん、わしが、我慢をすれば、済む事です。先代に頼まれて、今日までやって来ましたが、ここが引き際ですね」と、ゲオは、嘆息した。我慢の限界だからだ。
その瞬間、「あっそう。これで、やっと、あたしの思い通りに、切り盛り出来るわね」と、アヴェ・ンダが、満面の笑みを浮かべた。
「ゲオさん! 俺も、こんな、わがまま女には付いて行けませんので、一緒に辞めます!」と、丸顔の男も、慌てて、宣言をした。
「嬉しいわぁ~。これで、出費が抑えられるわね」と、アヴェ・ンダが、にんまりとなった。
「俺も、こんな奴の御用聞きの為に、役人になった訳じゃない。後で、エバーバをぶん殴って、辞めるとするかな」と、筋骨隆々の大男の役人も、示唆した。
「じゃあ、さっさと出て行って頂戴!」と、アヴェ・ンダが、追い討ちを掛けるように、右手で払いながら、急かした。
「何を仰っているのですか? あなたも、お辞めになるんですよ」と、ゲオは、憮然とした顔で、告げた。この女に、店を残しておいたところで、ろくな事にはならないからだ。
「は? 寝言は、寝てから言ってくれないかしら?」と、アヴェ・ンダが、眉をひそめた。
「それは、こっちの台詞ですよ」と、ゲオは、見据えたままで、返答した。そして、「この引き出しのお金は、わしらの稼いだ物ですので、全部、頂きますよ」と、宣告した。自分達が働いて、稼いだ金だからだ。
「はあ? この店は、あたしで成り立っているのよ。だから、あたしの物よ!」と、アヴェ・ンダが、語気を荒らげた。そして、「このお金を取るって事は、強盗よ!」と、言葉を続けた。
「じゃあ、あなたは、詐欺師ですね」と、ゲオも、つっけんどんに、言い返した。自分達の賃金を減らして、私腹を肥やしている事を知っているからだ。
アヴェ・ンダが、血相を変えるなり、「ひ、人聞きの悪い!」と、憤慨した。そして、「二人で、山分けするつもりね!」と、詰問した。
「いいえ。わしは、そんな気なんて、毛頭有りませんよ」と、ゲオは、頭を振った。自分の物にする気など考えていないからだ。
「確かに、毛が無いわね」と、アヴェ・ンダが、半笑いで、口にした。
その瞬間、「ゲオは、薄くなった天辺に視線を感じるなり、「そう言う意味じゃない!」と、怒鳴った。頭の事を馬鹿にされた気分だからだ。そして、「わしは、あなたの稼いだお金で、慰謝料や退職金を支払って貰おうと思っているのですよ」と、意味深長に言った。店の金では、意味が無いからだ。
「は? それは、どう言う意味かしら?」と、アヴェ・ンダが、訝しがった。
「御役人さん、その女を、名誉毀損で、捕まえて貰えませんか?」と、ゲオは、要請した。先ずは、アヴェ・ンダを拘束する必要が有るからだ。
「了解、了解」と、筋骨隆々の大男の役人が、嬉々として、すぐさま応じた。その直後、行動に移った。
「こ、来ないで!」と、アヴェ・ンダが、右手で、筋骨隆々の大男の役人の顔面を引っ叩いた。
「公務執行妨害の現行犯だな」と、筋骨隆々の役人が、したり顔で、告げた。
その途端、「あ…!」と、アヴェ・ンダが、愕然となった。そして、大人しくなり、項垂れた。
「これでは、あなたも、言い逃れが出来ませんね」と、ゲオは、含み笑いをした。言い逃れの出来ない決定的な場面を押さえたからだ。そして、「さあ、手錠を!」と、指示した。今が、好機だからだ。
「お、おう!」と、筋骨隆々の大男の役人が、アヴェ・ンダの両手首へ、手錠を嵌めた。
「ゲオさん、これで、ガザギールは、俺達の物ですね!」と、丸顔の男が、満面の笑みを浮かべた。
ゲオは、頭を振り、「このお店は、引き払いましょう。どうせ、わしらの物にしても、印象が
悪いですからね」と、考えを述べた。自分の物にしたところで、世間からは、不当な手段で手に入れた様にしか見られないだろうからだ。
「そうですね。こんな女に食い物にされた店ですし、特に思い入れもありませんからね」と、丸顔の男も、同意した。
「そ、そんな勝手は、許さないわよ!」と、アヴェ・ンダが、喚いた。
「は? 犯罪者のあなたに、そのような権限は有りませんよ」と、ゲオは、冷ややかに言った。そして、「御役人さん、取り敢えず、その女を、牢屋へぶち込んで下さい」と、要請した。耳障りだからだ。
「了解です。この凶暴な喋る雌犬を、ぶち込んでおきますよ」と、筋骨隆々の大男の役人が、承知した。そして、右腕をアヴェ・ンダの首根っこへ回すなり、脇に抱え込んだ。その直後、「さあ、来い!」と、力付くで連れて行こうとした。
「てめえ! 出て来たら、絶対に、ただじゃ置かないからな!」と、アヴェ・ンダが、鬼の形相で、吠えた。
「そうですか。まあ、あなたが、牢屋から出られたらですけどね」と、ゲオは、涼しい顔で告げた。自分の置かれている立場を理解していないのが、哀れだからだ。その間に、アヴェ・ンダとの距離が開いた。
しばらくして、筋骨隆々の大男の役人とアヴェ・ンダが、店内から姿を消した。
少しして、「ゲオさん、店を閉じて、どうするのですか? せっかく、自分の物に出来るのに…」と、丸顔の男が、解せないと言うように、怪訝な顔で尋ねた。
「私に、考えが有ります」と、ゲオは、にやりとした。そして、「心機一転で、ライランス大陸へ渡りたいと思っているのですよ」と、考えを述べた。ほとぼりが冷めるまで、縁もゆかりも無い所で、一から始めた方が良いと思ったからだ。
「そうですね。自分も、御供させて下さい!」と、丸顔の男が、申し出た。
「構いませんよ。でも、私の手下として動いて貰いますよ」と、ゲオは、条件を提示した。一応、上下関係は、築いておくべきだからだ。
「構いません! ゲオさんなら、あの雌犬と違って、ちゃんと、人として接してくれますからね」と、丸顔の男が、承諾した。
「良かったです。聞き入れて頂いて」と、ゲオは、安堵した。断られたら、些か、心細いからだ。そして、「早速ですが、使いに行って貰えますか?」と、伺った。これから、色々と動いて貰いたいからだ。
「どのような御用件で?」と、丸顔の男が、恭しく揉み手をしながら、尋ねた。
「役所へ行って、廃業と売却の手続きをして下さい」と、ゲオは、用件を告げた。
「そのお金を、我々の慰謝料に充てるつもりなのですね!」と、丸顔の男が、満面の笑みを浮かべた。
「いいえ」と、ゲオは、頭を振った。そして、「この店に係わるお金は、全部、別の事に使うつもりです」と、示唆した。物事を順調に運ばせる為に、使いたいからだ。
「ゲオさんに、何かしらの意図が有られるのですね。お金の使い道は、あなたに御任せします」と、丸顔の男が、理解を示した。
「では、お願いしますよ」と、ゲオは、やんわりと言った。
その直後、「へい!」と、丸顔の男が、力強く返事をした。そして、踵を返して、出て行った。
少しして、「さあて、わしも、作業に取り掛かるとしよう」と、ゲオは、引き出しの中の硬貨を取り出し、金種別に、十枚単位で積み上げながら、机上の右奥の角から順に並べ始めるのだった。