一一、ゲオ、まさかの膝枕
一一、ゲオ、まさかの膝枕
ゲオ達は、速やかに、奥の部屋へと進んでいた。
少しして、「じゃあ、俺は、ここで、見張りをします」と、丸顔の男が、告げた。
「うむ。無理はしないで下さいね。皆が、無事に逃げる事が、先決ですので…」と、ゲオは、気遣った。ここから脱出する事が、最優先だからだ。
「分かってますよ。俺だって、やばくなったら、逃げちゃいますよ。痛いのは、嫌ですけどね」と、丸顔の男が、返答した。
「それも、そうですね」と、ゲオも、聞き入れた。確かに、痛い思いをするのは、ごめんだからだ。
「ゲオ殿。話は、これくらいで…」と、源庵が、口を挟んだ。
「も、申し訳ありません…」と、ゲオは、詫びた。抱かれている状態での長話は、迷惑な事だからだ。そして、「先を急いで下さい」と、促した。今は、距離を稼いでおかなければならないからだ。
「ええ」と、源庵が、即答した。
その直後、一同は、移動を開始した。しばらくして、突き当たりの部屋へ辿り着いた。
程無くして、「姫様、そこの窓から出られますか?」と、源庵が、問い掛けた。
「ぎりぎりで、抜けられそうですわ」と、天美が、回答した。そして、「アヴェ・ンダ様は、私よりも、御胸と御腰の体型が宜しいので、突っかえるかも…」と、心配した。
「そりゃあ、どういう意味かしら?」と、アヴェ・ンダが、つっけんどんに、問い返した。
「その、私よりも…」と、天美が、言葉を詰まらせた。
「年増で、肥えているから、抜けられないって事なんだろ! ええ!」と、アヴェ・ンダが、癇癪を起こした。
「アヴェ・ンダ殿、あまり、威圧しないで下さい。姫様が、怯えています…」と、源庵が、苦言を呈した。
「おほほほ…。あたしとした事が…」と、アヴェ・ンダが、苦笑した。そして、「年齢を取っているから、お腹の周りにも、お肉が付いて来たからかしらねぇ」と、自嘲した。
「そ、そんな事はありません!」と、ゲオは、口を挟んだ。自分からすれば、肥えているようには見えないからだ。そして、「アヴェ・ンダ様は、艶やかになられたのですよ」と、言葉を添えた。
「ゲオ。無理に、褒めなくても良いのよ。あたしだって、年増になっているのを実感しているんだから…」と、アヴェ・ンダが、観念するように、口にした。
「アヴェ・ンダ様。年齢を取る事で、気持ちまで老いる事なんてないと思いますわ」と、天美が、異を唱えた。
「確かに、精神が老いるという事はありませんものね」と、源庵も、同調した。
「それも、そうね。年齢を詐称している奴も居るからね」と、アヴェ・ンダも、相槌を打った。
突然、窓が開いた。
その途端、場に、緊張が走った。
間も無く、「姫様、急いで下さい! 馬車を裏の通りに待たせていますので!」と、中吉の急かす声がして来た。
「流石は、中吉殿だ。手回しが良い」と、源庵が、称賛した。
「源庵殿、呑気な事を申している場合ではござらんぞ! 表で、戦闘が始まったでござるからな」と、中吉が、告げた。
「始まりましたか…」と、源庵が、承知した。そして、「急がなければ、表の方々が、逃げられなくなってしまう。姫様達は、急いで、
窓から馬車へ!」と、促した。
「じゃあ、私から参りましょう」と、天美が、申し出た。
「そうね。あたしが、突っかえちゃうと、遅れちゃうかも知れないわね」と、アヴェ・ンダも、同意した。
「出易い順番で行きますと、アヴェ・ンダ殿が、最後になられるかと思いますが…」と、源庵が、考えを述べた。そして、「しかし、ゲオ殿を受け止めるには、姫様だけでは、少々、厳しいかと思うのですが…」と、言葉を続けた。
「某も、補助をしようにも、少々、背丈が足りぬゆえ、難しいでござるな」と、中吉も、口添えした。
「じゃあ、あたしが、姫様の次って事になるのね?」と、アヴェ・ンダが、理解を示した。
「そうなりますねぇ」と、源庵が、頷いた。そして、「私が、もう少し、細身でしたら良かったのですが…」と、溜め息を吐いた。
「こ、こんな状態で、すみませんねぇ」と、ゲオは、詫びた。ただの荷物でしかない事が、申し訳ないからだ。
「ゲオ様、お気になさらないで下さい。あなたは、御役目を遂行中なのですから」と、天美が、やんわりと言った。
「そうよ。あなたは、ミイラとして、じっとして居れば良いんだから」と、アヴェ・ンダも、被せた。
「ははは…」と、ゲオは、苦笑した。実感が無いからだ。
少しして、「では、私から参ります」と、天美が、告げた。
「承知しました」と、源庵が、返事をした。
程無くして、物音がした。
間も無く、「次は、アヴェ・ンダ様。どうぞ」と、天美が、促した。
「ええ」と、アヴェ・ンダが、応じた。程無くして、「腰が、突っかえちゃったわ!」と、語気を荒らげた。
「こちらから引っ張りますわ!」と、天美が、申し出た。
「アヴェ・ンダ殿、落ち着いて下され!」と、源庵が、宥めた。そして、「御免!」と、反転した。
しばらくして、「きゃあ!」と、アヴェ・ンダが、小さな悲鳴を発した。
その直後、「おっとっと!」と、源庵も、よろけた。
「アヴェ・ンダ様、大丈夫ですか?」と、天美が、心配した。
「な、何とかね…」と、アヴェ・ンダが、返答した。
「アヴェ・ンダ殿。力の加減が出来なくて、申し訳ないでござる…」と、源庵が、詫びた。
その直後、「大丈夫ですわ!」と、アヴェ・ンダが、気丈に、返事をした。
「アヴェ・ンダ様も、乙女なのですね」と、ゲオは、目を細めた。男性に気遣われた事で、喜びを感じているのだと察したからだ。
そこへ、「れ、連中が、入り込んで来やがった!」と、丸顔の男が、慌ただしく告げた。
「これは、急がないといけませんね」と、源庵が、口にした。
「俺だけじゃあ、足止めにもならないぜ!」と、丸顔を喚いた。
「ゲオ殿。少々、荒っぽくなりますが、構いませんか?」と、源庵が、問うた。
「分かりました…」と、ゲオは、承知した。ここは、身を委ねるしかないからだ。
その直後、源庵が、反転するなり、「受け取って下さいよ! えいやあっ!」と、放り投げた。
「ええ!」と、ゲオは、驚きの声を発した。程無くして、窓枠の通過を視認した。その直後、急降下が始まった。次の瞬間、「あ〜れぇ〜!」と、叫んだ。地面への落下は、避けられそうもないからだ。間も無く、弾力性の衝撃を背中に受けた。その途端、「へ?」と、呆気に取られた。思ったよりも、打撃を受けなかったからだ。
そこへ、「ゲオ様、大丈夫ですか?」と、天美が、覗き込んだ。
「え、ええ…。大丈夫です…」と、ゲオは、目を瞬かせながら、返答した。そして、「な、何か、緩衝材のような物でも敷かれてましたか?」と、尋ねた。誰かが、気を利かせて、受け止めてくれたのかと思ったからだ。
その刹那、「ゲオ、何を言っているのかしら? あたし達の膝を枕にしているのよ!」と、アヴェ・ンダが、淡々と告げた。
その瞬間、「どっひゃあー!」と、ゲオは、素っ頓狂な声を発した。緩衝材ではなく、二人の膝の上だとは思いもしなかったからだ。
「天美さん。あたしは、足を持つから、あなたは、頭の方をお願いするわね」と、アヴェ・ンダが、指示した。
「は、はい!」と、天美も、即答した。
少しして、ゲオは、持ち上げられた。そして、「お手数を掛けます…」と、恐縮した。二人に運ばせるのが、申し訳ないからだ。
「何度も、へこへこしないの! 動けない事が、判っているんだから、気にしなくて良いのよ」と、アヴェ・ンダが、窘めた。
「はい…」と、ゲオは、恐縮した。頭では理解していても、落ち着かないからだ。
間も無く、「ほひ! ほこをほへっ!」と、空気の漏れる滑舌の悪い男の怒鳴り声がした。
「はっはっは! 拙者は、お主には従わないでござる!」と、源庵が、一笑に付した。
「そうだ! そうだ!」と、丸顔の男も、合いの手を入れた。
「ひゃひほぉーっ!」と、空気の漏れる男の声が、激昂した。
「源庵殿が、足止めをしている間に、急ぐでござる!」と、中吉が、提案した。
「そうね。源庵の行為を無にしてはいけないわね」と、天美も、同意した。
「そうだったわね源庵様に、これ以上、御手を煩わせる訳にはいきませんものね」と、アヴェ・ンダも、鼻を鳴らした。そして、「天美さん、急ぎましょう!」と、意気込んだ。
「は、はい!」と、天美も、力強く返事をした。
「天美さん、大丈夫かしら? 見た目よりも重いから、無理をしちゃあ、駄目よ」と、アヴェ・ンダが、気遣った。
「な、何とか、大丈夫だと思いますわ」と、天美が、返答した。そして、「本当に無理でしたら、多分、その場で、手放しますわ…」と、言葉を続けた。
その瞬間、ゲオは、表情を強張らせた。受け身の取れない現状で落とされると、どうなるか判らないからだ。
その直後、「ゲオ様、冗談ですわ」と、天美が、あっけらかんと言った。
「ははは…。冗談でしたか…」と、ゲオは、安堵した。天美の性格からすれば、冗談とは程遠いからだ。
そこへ、「あたしは、本気よ。ナイフとフォークより重い物は、持った事が無いんだからね」と、アヴェ・ンダが、口を挟んだ。
「そうですね」と、ゲオは、肯定した。アヴェ・ンダが、荷物運びをしているところを見た記憶が無いからだ。そして、「アヴェ・ンダ様こそ、あまり無理をしないで下さいね」と、返した。例え、アヴェ・ンダが、手を放したとしても、足からならば、大して打撃は少ないと考えられるからだ。
「ゲオ。ひょっとして、あたしが、年増だからって、妙な気を回しているんじゃないでしょうね?」と、アヴェ・ンダが、殺気立った。
その刹那、「いえいえ」と、ゲオは、慌てて否定をした。この状態では、迂闊な返答は、命取りになりかねないからだ。
「まあ、あなたには、そう思われたくないわね。あたしよりも、年上なんですもの…」と、アヴェ・ンダが、吐露した。
「ははは…」と、ゲオは、苦笑した。確かに、自分からすれば、親子くらいの年齢差が在るので、一理在るからだ。
「アヴェ・ンダ様、ぼやくのは、それくらいにしましょう。源庵の負担を軽減してあげませんとね」と、天美が、口を挟んだ。
「そうね。源庵様に、御迷惑を掛ける訳にはいきませんものね」と、アヴェ・ンダも、承諾した。そして、「あたしの年増の話よりも、今は、源庵様の行為を無にする訳にはいきませんものね」と、やる気を出した。
「アヴェ・ンダ様、その意気ですよ!」と、天美が、機嫌を取った。
「御二方、この先でござる」と、中吉が、告げた。
しばらくして、「そぉれ!」と、二人が、掛け声を発した。
その直後、ゲオは、宙を舞った。少しして、何かの上に着地した。その瞬間、荷台へ乗せられたのだと察した。
少し後れて、「御二方、早く乗り込むでござる」と、中吉も、乗り込むなり、急かした。
「は、はい!」と、天美が、即答した。
「天美さん、先に上がって! あなたの方が、あたしよりも、身が軽いでしょうからね」と、アヴェ・ンダが、促した。
「分かりました」と、天美が、了承した。そして、「私と中吉で、引き上げますわね」と、告げた。
「ええ」と、アヴェ・ンダも、応じた。
その直後、ゲオは、近くで、軽快な物音を耳にした。自分やアヴェ・ンダとは違う身のこなしなのは、明白だからだ。
間も無く、「アヴェ・ンダ様、引き上げますので、御手を…」と、天美が、促した。
「お願いするわ」と、アヴェ・ンダが、聞き入れた。
そこへ、「ひゃへぇ!」と、空気の漏れる男の声がして来た。そして、「ほひ! ふひゃへひゃふぁへ!」と、指示を出した。
「姫、裏へ回られると不味いでござる!」と、中吉が、急かした。
「分かっています!」と、天美も、強い調子で、返事をした。
「いざとなったら、あたしを残して、出発しても良いわよ」と、アヴェ・ンダが、口にした。
「その時になったら、考えますわ。今は、まだ、その時ではありませんので…」と、天美が、言葉を濁した。
「ふふふ。そうね。諦めるのは、まだ、早いわね」と、アヴェ・ンダが、含み笑いをした。
「そうでござる。源庵殿の行為を無にする訳にはいかないでござる!」と、中吉も、力強く言った。
「そうね。源庵様が、体を張ってくれた事を台無しにしちゃうと、顔向けが出来ないわね」と、アヴェ・ンダも、気を強くした。
「恋をすると、女の方は、強くなられるのですねぇ」と、ゲオは、感心した。源庵への想いの強さを目の当たりにしたからだ。
その直後、「ゲオ、何か言った?」と、アヴェ・ンダが、問うた。
その刹那、「い、いえ。な、何も…」と、ゲオは、慌てて返答した。まさか、聞こえているとは思ってなかったからだ。
次の瞬間、「嘘仰い!」と、アヴェ・ンダが、怒鳴った。そして、瞬く間に、上がり込んだ。
「え…」と、天美が、呆気に取られた。
「何という地獄耳でござるか…」と、中吉も、面食らった。
その間に、アヴェ・ンダが、距離を詰めた。そして、「ゲオ、白状しなさい!」と、覗き込みながら、促した。
「な、何をですか…!」と、ゲオは、両目を見開いた。些か、心当たりが無いからだ。
「あなた、恋とか何とか言ってたんじゃないかしら?」と、アヴェ・ンダが、詰問した。
「ええ、まあ…」と、ゲオは、あやふやな返事をした。そして、「アヴェ・ンダ様にも、恋する季節が来られたのだなぁ〜と、嬉しく思ったのですよ」と、語った。ようやく、アヴェ・ンダにも、乙女心の芽生えた事が喜ばしいからだ。
「ゲオ、野暮な事は言わないで! あたしの片想いなんだから…」と、アヴェ・ンダが、両手で、顔を隠しながら、恥じらった。
「アヴェ・ンダ様って、純情なのですね」と、天美が、見解を述べた。
「左様でござるな…」と、中吉も、相槌を打った。その直後、「姫、のんびりして居られないでござる!」と、告げるなり、御者席へ、速やかに移動をした。
間も無く、「おい! 誘拐犯共が逃げるぞ!」と、粗野な男の怒号がして来た。
「逃がすな! 一味を捕らえろ!」と、別の若い男の声も、聞こえた。
「よく、中吉さんは、判りましたねぇ〜」と、ゲオは、感心した。追っ手の気配を事前に察知する事など、自分には出来ない芸当だからだ。
「中吉みたいな忍びは、私達の身の回りを警護するので、並外れた感覚の持ち主ですわ。だから、身の安全は、保障されていますわ」と、天美が、代弁するかのように語った。
「凄いですねぇ〜」と、ゲオは、舌を巻いた。能力の高さには、目を見張るものが在るからだ。
「はいやっ!」と、中吉が、掛け声を発した。
その直後、馬が嘶くなり、動き始めた。
その刹那、「わっ!」と、ゲオは、後部の縁へ、体を打ち付けられた。しかし、包帯のお陰で、打撃を受けなかった。
間も無く、馬車が、加速するなり、瞬く間に、追っ手達を引き離し、路地裏を駆け抜けるのだった。




