2年4ヶ月の話
「風邪引くなよ」
鼻で笑いながら君が言った。よく言うものだ、君が風邪を引いた時看病したのは誰だと思ってるの。
こんな事最後に言えないけれど。
「忘れ物ない?」
「多分」
「スマホは?」
「持った」
「財布は?」
「大丈夫」
「ハンカチは?あとティッシュ」
「小学生の遠足じゃないんだから」
乾いた笑い声。なんだか久しぶりのように感じる。つられて笑ってしまった私は能天気か。
「あ、」
鍵もった?と聞きかけた声を飲み込む。もういらないもんね、そういえば。
「何?」
「なんでもないよ」
「最後ぐらい言いたいこと言えばいいのに」
「ううん、大丈夫」
大丈夫、か。
二人の間を流れる言葉に一番多かったんじゃないかな、大丈夫って。
愛してるだとか大好きだとか、なかなか言わない、いや、言えない二人だった。
別に後悔してるとかそんなんじゃないけど、こうなるなら少しくらい言っておけばよかった。
「じゃあ、そろそろ行くよ」
「うん」
「元気でね」
「うん」
「風邪引くなよ」
「うん」
ついさっき聞いた、取ってつけたような言葉だ。心ここに在らずとはこのことを言うのか、とどうでもいいことに感動していた。
靴紐を結ぶ君。
毎朝見た景色。
ドアを押し開く君。
毎朝見た景色だ。
軋む音と共に、玄関が暗くなる。
毎朝見た景色なのに。
どうせ聞こえないんだ。
最後ぐらい言ってやろう。
「大好きだったんだよ、ばか」