狙われる少女
逃げる逃げる……ひたすら足を動かして逃げ続ける。後ろを振り返ると犬のような耳と尻尾を付けた少女“椛・スペルリーフ”が笑いながらこちらに歩いてくるのが見える。
他の兵士はあの鬼の相手をしていてこちらに来れない。アダムは自分一人でどうにかしないといけないと思いながらもどうしようもできずに逃げ回ることしかできなかった。
「今避難所に逃げ込んでも誰もあいつの相手はできない。僕がやるべきはマキが来るまで時間を稼ぐことだけ……」
家の壁に隠れて、追いかけてくる椛を確認しようと家屋の陰に隠れて見てみるとそこには誰もいなく、アダムはあたりを見渡す。
「何を探しているのかな?」
突如頭上から聞こえた声に見上げると屋根の上から椛が下りてくるのが見える。その手にはショートソードが握られており、アダムに躊躇いなく振り下ろされる。
刃はアダムの左腕を斬り落としその身を紅く染める。突然のことにアダムは何が起きたのかわからず自分の腕がついていた部分を見つめる。斬口からは血があふれ出し、地面と切り落とされた腕を紅く染め、それを自覚した瞬間気が触れそうなほどの痛みにアダムはその場にうずくまり、痛みに叫ぶことしかできない。
「別にお前が生きていれば手足なんてなくても問題ないんだ。わかったら逃げるのはやめてついてきてください」
椛の言葉にアダムは答えることもできず、自らの斬られた腕を掴み斬口にくっつけて、乱れた精神でなんとか集中してイメージを固める。
「きゅ、〈完治〉……」
アダムの唱えた治癒は斬りおとされた腕を繋げ、傷も残ることなく再生させる。だが、失った血は戻ることはなく感じた痛みが引くこともない。ふらつきながら立ち上がる。
「斬りおとされて、それをくっつけるなんて大した精神じゃない。前のやつは斬られただけで泣き喚くことしかできなかったって言うのに」
椛は面白そうにアダムを見ると、あくどく目を細めアダムから距離を取る。突然のことに理解できず身構えるアダムに椛は笑って、
「仕切りなおそうか? 10数えたらまた追いかけるからさ……頑張って逃げてよ」
椛にとって、これは狩りなのだと言わんばかりにアダムに背を向けて幼稚に数を数え始める。
理解の追い付かないアダムはそれでも逃げようとふらつく足で椛から遠ざかっていく。だが、その足取りは鈍く、先ほどの怪我での出血といまだに残る激痛で意識が朦朧して思うように動けていない。
少女が数え終わり、振り返るとアダムはまだその場から10mも動けていなく次の家の壁に寄りかかっている。椛は呆れたように失笑した後、アダムに向かって歩いていく。
「ねぇ~? やる気あんの~、そんなんじゃすぐに捕まっちゃうよ~?」
アダムに近づき足かけで転倒させる。アダムはその場から動くことができず、ただ自分を見下ろす椛を見上げることしかできない。
「……ふぅ、ま、母様を待たせるのも悪いしこのまま連れて帰りますか♪」
アダムを捕らえようと手を伸ばす椛にアダムは抗うこともできずに目を閉じる。これから自分はどうなるのかも想像もつかない恐怖に体が震え、身を強張らせる。
だが、椛の手はなかなかこちらを掴んでこない不思議に思って目を開けると、そこには小さな花と茨の壁が立ちふさがっていた。
「なんだお前、アルラウネ? 森の害草が何でこんなとこにいる」
椛の手を見ると茨の壁に触れたのか血が滲んでいるのが見える。イラつきを隠さずにショートソードを抜き茨の壁を切り裂く。
「邪魔だ」
躊躇いなく振り下ろされる刃にアルラウネはにらむように見つめその場から動かない。思わず声が出そうになるがそれよりも早く地面から突起物がせり上がりショートソードの軌道をそらす。
それがさらに、椛を苛立たせ再度乱暴に刃を振るおうとするが地面から生えた草に絡め捕られ、一瞬動きが止まる。その隙にアルラウネはアダムを掴んで距離を取る。
逃げられた後、刃の拘束を斬り外し一呼吸した後、アルラウネを見据えて逆手に刃を構える。
「〈石練造〉に〈棘草の壁〉……いや、これは〈草操作〉か……雑魚でも森の害なんて呼ばれてるわけだな」
「どうして……?」
「……ま、もる!!! や、さしい、ひと! き、ずつけるの! だめ!」
アルラウネはアダムを背に椛を威嚇するように睨みつける。
椛はそんな睨みなど気にも留めずに距離を縮める。アルラウネが椛を止めようと〈草操作〉で雑草を蔓のように伸ばして何重もの波状攻撃する。
だが、椛はニヤリと笑うとそのことごとくを避けてみせる。アルラウネは驚いた表情を一瞬見せるがすぐに椛に対して同じく蔓で攻撃を仕掛ける。
「ダメダメだね。君達アルラウネの〈草操作〉は発動の素振りを見せないから強力なんだけど、君はまだ慣れていない様子。君の眼を見たらどこの草が動くのかなんてわかっちゃうんだよねぇ」
椛はアルラウネの動かそうとする草を先立って刈り取っていく。
打ち止めらしく、その場にあった草たちはいっせいに枯れて云ってしまう。〈草操作〉により急激な成長に草たちは寿命を使い果たしてしまったのだろう。
アルラウネはアダムを背負い椛から逃げるように歩き出す。幼き姿のアルラウネではアダムを引きずるようにしか運ぶことができず、椛との距離は開くことはない。
「またおにごっこのですかぁ? こっちは忙しいんだからいいかげんあきらめてくださいよぉ」
椛が歩き始める、アルラウネはまだ生きている草を使い、茨の壁で椛との間に隔てる。その壁も何の意味も無いかのように切り裂かれて、急激に枯れて云く。
それでも、同じように壁を作り椛との距離を取ろうとする。いくつもの壁を作り出した後、ドーム状に茨作り出し、その中に立てこもる。
「魔切れみたいですね。ま、頑張った方ですので、拍手してあげます。パチパチパチ♪」
虚しく鳴る拍手……茨のドームの中では、アルラウネは悔しそうに唇を噛む。自分の弱さが許せなくて守りたい人を守れないことが悔しくて。
そんなアルラウネの蔓のような髪をアダムは優しく撫でる。アルラウネはアダムを見つめている間も同じように何度も。小さなアルウラネを抱っこするように抱き上げ、あやすように撫で続ける。
「ありがとね。守ってくれて嬉しかったよ、僕は大丈夫だから君は地面に潜って逃げなさい」
アダムの手が震えているのがわかる。アルラウネはアダムの服を強く掴むと首を横に振る。
この人を悲しませちゃいけない……アルラウネの心の中にはそのことでいっぱいになる。
誰でもいい……どうかこの人を助けて。助けを求めるように叫ぶアルラウネにアダムは突然の叫びに驚き、耳をふさぐ。アルラウネは止ませることなく叫び続ける。誰かに届けと祈るように。
「うるさいな……さっさと害草は処分して目的を済ませますか」
切り裂かれた茨のドームは力尽きたかのように枯れていく。そこに残るのは耳をふさぐアダムといまだに叫び続けるアルラウネ。
アルラウネを黙らせるべく椛はアルラウネを蹴る。衝撃でアダムとアルラウネは数m飛ばされて地面に倒れる。
「大丈夫!? 今治すから……〈キュア〉」
今の一撃で気を失ったアルラウネを抱きしめてアダムは椛をにらみつける。
そんなアダムに椛は武器を掲げて、振り下ろそうとする。もう手立てのないアダムはせめてアルラウネだけでもと庇うように抱きしめる。
「無駄に抵抗されても疲れるし、寝ててね♪」
振り落とされた一撃に身構える。その一撃は手加減されているのか最初の攻撃よりも遅く、だが避けられない速さでおろされる。
だが椛の一撃が当たるよりも早く、横から飛んできた薄い色の粘液の触手がアダムとアルラウネを捕らえて連れ去っていく。
空を切った椛は突如現れた横槍にイラつきを感じながら見ると、そこには一匹の擬人化したハイスライム“ラム”がアダムとアルラウネを抱えて、こちらを見ていた。




