世界最速の……
「あのひをめざしてまっすぐにむかうんだよね?」
「ああ、そのために事前にあいつらとうち合わせしておいたんだしな」
野営地最後の隊が発つ前に、マキは隊の指揮を執っているシロガネにひとつの頼みをしておいた。
渓谷を渡り終わったら、集落をスライムの墓場の直線状のところでこちらが気付く合図を送って欲しいと頼んだのである。
シロガネはそれに従い、今もなお松明を振り続けるのをやめずに行っている。
「こっちがきづいたあいずもよういしておけばよかったね?」
「……そうだな」
松明の火はメトロノームよろしく左右に速い速度で振られている。途中疲れたのか速度が落ちるがまた速く振りまわし始めている。
あの調子で降り続けたら肩痛めそうだなと思いながら、後でアダムに治してもらう事を勧めようと松明を振っているものに心の中で詫びを入れる。
「それにあいつの心配よりお前こそ大丈夫なのか?」
「なにが?」
「母親だよ。俺はお前の母を殺したようなもんなんだ」
「……それがおかあさんにとってもよかったことなんだよ。らむ、おかあさんをみてておもったんだ。くるしそうって……」
「苦しそう?」
「うん、だってじぶんでせいぎょできないほどにくるしんでたべつづけて……だから、これでよかったんだよ、きっと……」
「そっか……」
母との別れを無理矢理ではあるが納得しようとするラムに、マキはラムの頭を撫でてあげる。
今はまだ心の整理がついていないのだろう。全てが終わった後、ラムが母の死に涙を流すのなら支えてやろう。
「それにね」
「ん?」
「らむにはいまだってかぞくがいるんだもん。さびしいなんていってられないもん」
「……そうだな。じゃあ急いでもうひとりの家族に会いに行くか」
「うん!」
ラムの返事に安心して、マキは移動の速度を上げて行く。ラムには言ってない、最短距離を駆け抜けるために。
「……ん? まき、うしろからなにかくる」
「後ろ?」
走る速度をそのままに後ろに振り返ると、闇に紛れて木々を薙ぎ倒す轟音をさせながらこちらに向かってくる巨体が迫ってきている。
その姿にまさかと言う疑いもその姿が持っている松明の灯に照らされて明らかになった事で驚愕する。
「ふざけんなよ……どんだけタフなんだよ、このやろう!!!」
「GAaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!」
歪な足をいくつも生やした粘液の塊が一直線にこちらに向かってくる。それは倒したはずの魔神グラトニースライムのなれの果て。寄せ集めた粘液を撒き散らしながらその足を無秩序に動かして迫って来る。
「らむ、しっかり掴まっておけ。全力で走るぞ!」
「うん!」
マキは今まで余力を残して走っていた分も使い速度を一気に上げる。その速さのおかげで一気にグラトニースライムとの距離を引き離すことはできたが、
「やば!?」
「きゃう!?」
木の根に足をとられ盛大に転んでしまう。暗い月の光も届かない森を松明の灯りだけで走る事の難しさを身を持って痛感する。
急いで持ち直したがグラトニースライムとの距離は縮まっており、マキの中で焦りがうまれる。
全速力での走りは足をとられかねないせいでできずにグラトニースライムとの距離をひらく事ができない。
「まき、おいつかれちゃうよ!?」
「わかってる!」
焦りで気持ちだけが先に行ってしまい、走る速度が思うように出ない。
それに加え、足場の悪さがマキの加速を妨害する。追いかけるグラトニースライムとの差は縮まらないが離すことができずに、マキの中に苛立ちが積もる。
「さっきのつよいいちげきでどうにかできないの!?」
「大河は一日に一回が限度だ! 次使えるのは明日の朝日を拝める頃だ!」
障害物となる岩や木を避けるたびに少しずつ後ろとの距離が縮まってきており、グラトニースライムはこちらに触手を伸ばそうとする。
慌てて触手を手刀の凍星で切り、後ろを見るとグラトニースライムは切り落とされた自分の粘液を回収する素振りも見せずにこちらを追いかけてくる。その姿は最初に対峙した時よりも一回り二回り縮んでおり、それがこの魔神の活動の限界が近い事を示している。
だが小柄になった分その動きには機敏さが出て来ており、その身を落とすたびにマキ達との距離がどんどん縮んで行っている。
「減量してるなら、過食するのも控えろって言うんだよ!」
悪態をつくが距離が縮まってきている事に最悪の結末しか想像できない。
ここで死んでら、みんなを死地に追いやっただけの馬鹿になってしまう。マキはなにか打開できる策を考える。
(凍星じゃ、あれを一瞬で細切れにするほどの速さはない、辰風も同じだ……。唯一できる大河はもう使っちまってる……)
自分が使える能力を思い浮かべ、そのどれもがどうにもならない事を改めて理解する。
使った事のない能力、月影が残っているがこの状況で使って大丈夫なのかどうかわからない。
もしも、硬直してしまう技ならグラトニースライムに捕まってしまう。
だけど、他に後ろにいるあの魔神を遠退かせる方法もない。マキは後ろを覗き見ると触手を宙に浮かばせこちらに狙いをつけているのが見える。
「躊躇っている暇はないか……」
マキは月影を切り出すべく、腰に下げてある刀の柄を持つ。いちかばちか賭けに祈りながらその技を叫ぶ。
「月影!!!」
月影が発動したと同時にあたりの雰囲気ががらりと変わる。松明の灯りが眩しく木々の屋根に隠された月の光を鮮明に感じられる。今まで覆われていた闇がどこかに行ってしまったかのようにマキの目には森の夜道を把握することができる。
月影……この能力は言うなれば暗視スコープの効果を目に付与する技。今まで眼前の光景が見えずに本気で走ることができなかったマキにとってこれ以上にありがたい能力はない。
「ラム、速度を上げるからしっかり捕まっておけよ?」
「え……?」
戸惑いながらもマキの言う事を守り、しっかりと腕にしがみ付いている力を強めたラムを確認したマキは今まで三分の一しか出せていなかった速度を全力までひき上げる。道が見えることで障害物をなんなくよけながら走りぬけることができるようになった。
加えてマキのAGIは元々が5000近くと高めであった。だが今、マキの能力の一部が解放されてそのAGIは6000につり上がり、今のマキの速度にグラトニースライムが追いつくはずもなく、その距離を離しはじめる。
「まき、はやいはやい! ひるまあだむといっしょにはしったときよりはやいよ!」
「おとなしくしてないと舌噛むぞ!」
「すらいむだからかむしたがないよ」
ラムはその速さに大はしゃぎしてマキに嬉々として話しかける。グラトニースライムを背後に追いつけない速度で置き去りにして速度を落とすことなく走りぬける。
そんなラムを尻目にマキはこの先にある最短距離での最大の難所を見据えていた。
「それよりまき……このさきってみちがないよ? このままじゃけいこくについちゃう」
「ああ……知ってる。俺はそこを目指しているんだからな」
不穏な雰囲気を感じたラムの言葉を肯定したことでラムの中にひとつの嫌な予感が過ぎる。
マキの全速力は昼間も体験していたが止まるのにそれなりの距離が必要であり、今止まったとしても渓谷に真っ逆さまに落ちて行くことしかできない。方向転換するにもこの速度では曲がる事出来るのか見当もつかない。
つまり、残された道は……。
「安心しろ。100mくらい飛び越えてやるから」
「……まき! すとっぷ! とまって!!!」
「振り落とされないようにしっかりと掴まっておけよ!!!」
要領は体育測定でやってる走り幅跳び、それをこの速度でやるんだ。100m位飛べるはずだ。飛べなきゃ渓谷に落ちて里の救援が間にあわない。
渓谷を目視で捉えるほどの距離にさしかかり、マキは覚悟を決めて速度を落とさずに渓谷へと身を差し出すように飛び出した。
「いやああああああああああ!!!」
ラムの悲鳴が渓谷に響き渡り、反対側にいた兵士達にもマキ達を捉える。
距離にして100m、だがその幅が果てしなく遠く感じる。速度の乗っていたジャンプは半分を少し通過した辺りで失速し始める。高めに飛んだマキ達を重力が奈落にも見える渓谷へと叩き落とすべく、高度が下がっていく。
「辰風!」
辰風の剣圧で、少し浮く事ができたがそれでも気休めにしかならない。後40m……マキ達を渓谷の闇が引きずり込もうとしている。
そんなマキ達の飛んだ岸から、けたたましい爆音が響き、振り返るとそこには食い意地の張った魔神グラトニースライムの姿が見えた。
「どんだけしつこいんだよ、この野郎!」
もはや執念にしか感じられないその狂気がマキ達を捕らえるべく、その身を渓谷へと投げ出した。
限界まで伸びたその身はマキ達がいるところまで触手を伸びてきており、そのままでは捕まってしまう。
「にぃがぁすぅかっぁぁっぁぁぁぁ!!!」
「黙って谷底に落ちていけよ化け物!」
迫る触手を弾き返すべく、マキは辰風で触手を吹き飛ばす。弾き出された触手は推進力を失いそのまま渓谷へと自由落下していく。狂気に満ちた叫び声は渓谷に叩きつけられるまで響き続けた。
触手を弾き返した衝撃でマキの身を弾き飛ばされて兵士達がいる岸のほうに近づく。
残り20m……推進力は先ほどグラトニースライムを弾き返した衝撃分上乗せされているが、落下しているせいでもはや岸に着地する事は不可能となっている。渓谷の崖にしがみ付いても崖を登るなんて経験もないマキには登りきれる確証もない。
残り18m……いよいよ推進力もなくなり、自由落下していく事しか出来ない状態へとなってしまった。失敗した、ここで死んだらみんなどうなってしまうのか。きっと、ラースゴブリンに抵抗する事も出来ずに鏖殺されてしまうだろう。
「ラム、ごめんな。しっぱ……」
「まき! ひだりうでをうえにあげて!!!」
ラムの言葉に驚きながらも言われたとおりに左腕を岸に向けてのばす。届くはずもない手を上げる意味もわからないけど、ラムの言葉にマキはまだ諦めていない意思を感じた。その意思に賭けるべく上げた腕には先ほどまで必死に掴まっていたラムがおり、岸を見つめその身を奮わせている。
「とどけぇぇぇぇ!!!」
ラムはその身を引き伸ばし岸へと伸ばす、残り18m……この距離はラムがぎりぎり伸ばせる距離よりも短い距離。落下し始めているとはいえ、届くかもしれない距離、マキはラムに全てを賭けるべく限界までその腕を上へとさしだす。
――マキは「立体軌道Lv3」に上がった
――ラムは「立体軌道Lv6」に上がった
「と、とどいた! まき、ちゃくちよろしく!」
限界まで引き伸ばされたラムの体が岸を掴み、マキ達はそのまま崖に向かって突っ込んでいく。
このままじゃ崖に激突する。そう思ったマキは足を前に出し。ターザンよろしく吊り縄の振り子の如く崖に接近する。
崖に足を着いた衝撃で痺れるもなんとか渓谷に落ちずに一安心する。
ラムがいなければ落ちていた……改めてラムにはお礼を言わないとな。ラムはその身を元に戻すように岸へと引き上げて行く中、のんびりと考えていた。




