10.カッツェ7
シンカの部屋、正確にはレクトの部屋だが、そことはぜんぜん違った雰囲気だ。白い、ふ
んわりした床には薄いピンクの花の模様みたいなものが一面にあり、テーブルと椅子は精
緻な彫り物が施され洒落た感じだ。横に長いその部屋は、入り口側にテーブルと椅子、
本棚などがあり衝立をしきりにして、その向こうにベッドがあるらしい。
「ミンク?眠ってる?」
そっと、のぞいてみる。
ミンクがベッドの前にあるソファーに横たわっていた。足元に、歴史の本が転がっていた。
「ミンク!」
駆け寄って、そっと額に手を当ててみる。意識がない。
熱が高い!
抱き上げて、ベッドに運んでやる。
想像以上に軽く、それが不安をかき立てた。痩せたんだ、前より。
「ん…」ミンクの白いまぶたが震えた。
「ミンク?医者を呼ぶか?」
「シンカ。ごめんね」
声に力がない。
「何を言ってるんだよ。今、医者を呼んでくるよ!」
「待って」
ミンクはシンカの袖を握り締めていた。
「だけど、調子悪いんだろう?」
ミンクに引かれるまま、シンカは横たわる少女のそばにかがみこんだ。
「ごめんね…大好き」
小声でささやく。
鼓動が早くなるのを感じながら、シンカはミンクの大きな赤い瞳を見つめた。ミンクから、そういう言葉を聞いたのは、初めてだった。
「ああ、俺も」
笑って見せつつもシンカは内心穏やかではない。
ごめん、ってどういう意味だよ。
どうしちゃったんだよ!
ミンクは、ほっとしたように目を閉じ、シンカの服を離す。
そのまま、何も動かない。青い顔をして、やけにゆっくり細く息をしている。
「ミンク?」
「ごめんね。ユンイラ、もうないの」
「なんでもっと早く言わないんだよ!」
「でも、誰に言っても、ないものはないんだもの……」
シンカはミンクの手を握り締めた。そのとおりだった。
ステーションでユンイラの成分が爆破され、もう、この宇宙にはないのだ。惑星リュードで野生のユンイラを見つければ、いいのだが、それも今は不可能だ。
青い顔をして再び目を閉じるミンクを見ながら、シンカは不意に立ち上がった。
腰にある短剣を取り出し、バスルームの熱湯で洗う。一緒に手も洗った。
「ミンク。目を閉じたままでいいから、これ、飲むんだ」
ミンクは、もう、目を開けるのも、口を開けるのもつらかった。
どうしようもないことと分かっているから、ずっと我慢してきた。
食欲もなく、日に日に力を失っていくような感覚。怖くて、何度も泣いた。
歴史の勉強は、部屋にこもるいい口実になっていた。
「ミンク?」
シンカの手が、やさしく体を起す。温かい手。
そのまま、抱きしめていて欲しい。深く眠れそうな気がした。
ふいに、口元に温かいものが触れる。
唇?ううん、だけど。ミンクは少しだけ口を開いた。
何か、覚えのある苦い味。甘い香り。キスとは、違う。
ユンイラ・・・?
温かい液体をほんの少し口に含んだだけなのに、体が温かくなっていく。
「シ・・ンカ」
もっと。
声にならなかったが、シンカが、また甘い香りの液体を含ませてくれる。少しずつ、何度も何度も。
「ふう……」
小さく息をついて、ミンクは目を開けた。
シンカの耳がアップで見える。抱きしめられているみたいだ。
「よかった」
少し、震えている。
それがシンカなのか、自分なのか、ミンクにはよく分からなかった。
「ごめんな。もっと早く、こうすればよかった」
シンカが、泣いていた。
胸が締め付けられて、ミンクも涙があふれた。シンカの泣き顔。あまり見たことがなかった。
「シンカ……怖かったの」
「うん」
「怖くて、でも、どうしようもないって思ったから……」
「大丈夫。俺が守るって言ったろ?お前は何にも無理なんかしなくていいんだ」
「うん」
ミンクはまた、瞳を閉じる。シンカのぬくもりが、うれしい。
「もう少し、寝てるんだ。医者を呼んでくるよ」
「だめ。もう少しこうしてて」
シンカの腕に、力が入る。
「私、シンカがいてくれれば、ほんとに幸せだな。あのね、たくさん、なくしちゃったけど、シンカだけは、そばにいてくれる」
「うん」
「そばにいてね……」
「うん」
ミンクが眠ったのを確認して、シンカは、部屋の通信装置で、シキにそっと医者を呼んでくれるよう頼んだ。セイ・リンも呼んだ。
グレスデーンのみんなに心配をかけたくない。
程なくして、シキとセイ・リン、船医で女医のガンスさんが入ってきた。
シンカを見るなりシキが叫んだ。
「シンカ、お前も怪我してるじゃないか!」
「自分でやったんだよ」
指先ではすぐに傷がふさがってしまうので、シンカは手首を切ったのだ。それでも、数回切り直さなければならなかった。
気付けば、血まみれになっていた。
それでも、自分の血で、ミンクが助かったことに満足していた。この後、何の問題もなければ、これからもこの方法でミンクを助けることができるのだ。
「それより、ミンクを診てやって欲しいんだ。ユンイラが切れてずいぶん経っていたんだ。俺、気付いてやれなくて。俺の血で、何とか良くなったと思うんだけど、でも、まだ油断はできないから」
「シンカ君、君も、少し診察が必要ね」
「え?」
すでにミンクの様子を見ていたガンスさんが、こちらを振り向いて言った。
「かなり、出血してるじゃない。シキ、医務室に連れて行って。服を着替えさせてね。それじゃ、目立っちゃうから。後から行くから、待ってて。ミンクは動かさないほうがいいから、ここで診るわ。セイ。手を貸して」
「ええ。ほら、シンカ。あなたも顔色悪いわよ」
セイ・リンが二人をせかして部屋から追い出す。
「ガンス、どう?」
セイ・リンが、ミンクの口元の血をそっとふき取りながらたずねる。
「そうね。この子、もともとかなり内臓をいためていたからね。しばらくは、起きられないわ」
「そんなに悪いの?」
「内臓は、治る性質のものではないわ。生まれつき、ユンイラの副作用だって言ってたわね。ある意味、この子だって十分突然変異なのよ。健康という概念からすれば、シンカのほうがずっと健康ね」
「そう。私、この子にきついことを言ってしまったわ」
セイ・リンの言葉には溜息が混じる。
「何を?」
ガンスはミンクの腕に、点滴をつけながらさりげなく尋ねる。
「ずっと、シンカに甘えていたから、つい。もっと大人になってって」
「別に悪いことじゃないじゃない?」
「そうね。でも、私には、この子の生きてきた道はわからないわ。シンカが何であんなに甘やかすのか分からなかった」
ガンスが少し笑った。
「あら、私ならあれくらい、やさしくしてくれる男がいいわ。セイ、あなたいい男に恵まれなかったんじゃない?」
「俺みたいな、ね」
黒髪の男が、戸口に立っている。
シキは白いシャツに白い合成繊維のブルゾン、織り柄の入ったグレーのパンツをはいている。このグレスデーンの乗員服だ。
すっかり地球人らしい感じだ。背が高く体格がいいので、様になっている。長く伸びた黒髪はそのままだが、返って野性味を増して色っぽい。
「シキ!驚かせないでよ、シンカは?」
ガンスが、口元に人差し指をあてる。
思わず声が大きくなって異湖とに気付いて、セイ・リンはあわてて黙った。
その様子を、にこやかに見つめながら、シキが答えた。
「医務室で眠っちまった」
「そう」
シキは気を使ってか、ベッドの見えない位置で壁に寄りかかったまま、話し出した。
「あいつはさ、親も故郷もなくして、ぼろぼろだったけどさ。ミンクを守ろうとする責任感で、あいつ自身を普通に保っていたんだと思う。俺が出あった時、ひどく気を張ってた」
「まだ、十七歳だって言うのにね。なんだか、つらいわね」
ガンスがぽつりと言った。
「さて、この子は当分、安静よ。シンカのユンイラがどのくらい持つのか分からないから、目が離せないわね」
「ありがとう。ガンス」
シキが、深く頭を下げた。
「やあねえ。シキ。これが私の仕事なんだから。次は可愛い坊やね。むさくるしい男たちばかりだったから嬉しいわよ。私は」
五十歳は過ぎていると思われる恰幅のいい女医は、にっこりと笑った。
セイ・リンは二人を見送って、ベッドの横のソファーに座る。
シキたちは地球に向かうと言う。セイ・リンも、カッツェに同行を命じられていた。
シキの言葉から、自分が始めてシンカとであった時を思い起こしていた。研究者ほど幼い頃のシンカを知っているわけではない。だから、予想していたより逞しく生意気に感じた。
スクリーンや映像でしか知らないシンカは、自分がそれと知って泪した。
怒って、悲しんだ。
やはり、普通の子供ではなかった。
シンカがどんな生き方をするのか、見てみたくなった。手助けしたくなった。だから、帝国軍を抜けたのだ。
カッツェが、要求することは、実行できそうもない。
「もし、シンカが皇帝の手に落ちたら、シンカを殺してほしい」
カッツェ・ダシアス。あの顔であの笑顔で。よく、そんなことがいえる。
セイ・リンはため息をついた。
ミンクの状態は、徐々に良くなっていった。シンカの血液を口から摂取したことが返って良かったとガンスは言った。
輸血のような方法は、やはりまだ危険なのだ。
シンカは女性乗務員がうらやむくらい、毎日ミンクのところに通った。
「お前はほんとに尽くすタイプだな」
「シキにも尽くしてるだろ?」
「足りない」
「ほんとにわがままだな!」
笑うシンカ。
その笑顔が以前よりずっと優しげになったことに、シキは気付いていた。
ミンクを失うかもしれないと言うショックが、変えたのかもしれない。以前に増して、シキにも、ミンクにもみんなに気を使うようになっている。
最後の最後で、自分だけで何とかしようなんて。全部自分で背負おうなんて考えるなよな。
シキは、一抹の不安を覚える。




