10.カッツェ5
シンカの真剣な視線を受けて、また一つカッツェはため息をついた。
「強いんだな。さすがに、受けた教育が違うのか?怖がるってことを知らない。レクトにそっくりだ。少し、いじめてみたくなる」
シキが怪訝な顔をしてシンカとカッツェを見比べた。
「話してください」シンカは強く拳を握り締めている。
「確かに、レクトはミストレイアの任務として依頼を受けた。断りにくい相手だったからね。君のことがなくたって、引き受けたかもしれない。だがレクトはそれを利用したんだ。畑を焼くだけなら、あんな攻撃必要なかった。最初からレクトは計画していたんだよ。リトード五世から君を保護する目的で、カモフラージュのためにデイラを焼き払った。すべて、計算づくだ。レクト・シンドラという男は、そういう奴だ。聞かなかったかな。宇宙でもっとも冷酷な、軍神と呼ばれる男だと」
誰も、口を利かなかった。
「シンカ。君のために、あいつはデイラの住人を皆殺しにしたんだ。ロスタネスすら、含めてね」
シンカの肩が小さく震えていることにシキは気づいた。
視線を机に落とし、鼓動を落ち着かせようとしているように見える。
ガタン。
振り向くと、ミンクが部屋を飛び出していった。
「あ、」
シンカが振り向いて、飛び出しかける。シキはその肩を抑えた。
「やめとけ」
シンカは一瞬振りほどこうとしたが、抑えられて動けず。シキの顔を見上げて、そのまま力なくうなだれた。
「今は、そっとしてやれ」
シンカは黙ってうなずいた。
「お前も、部屋に戻って休めよ。食べたのか?」
シンカが、首を縦に振った。
「じゃあ、また、少し寝ておけよ」
髪をくしゃくしゃとなでられてシンカは大人しく部屋を出て行った。
見送ると、シキは改めて、亜麻色の髪のレクトの親友を見つめた。
「あんたもなかなか」
そういって座りなおした。
「なんだ?」
穏やかに、柔らかい笑顔を崩さないカッツェに、シキは底知れないものを感じる。レクトと、同類なんだなこいつも。
「まあ、うまくごまかしたってとこだな」
「何をかな?」
にやりと笑うシキに、やさしげに微笑み返す。
「どうせ、あんたもレクトを助け出すつもりだろう?シンカが言ったとおり、すでにシンカの所在はばれてる。根回しなんかできない」
「ほう」
「俺は参加させてくれよ。さっき聞いたぜ、この艦、すでに地球に向かってるってな」
カッツェは目を細めた。
「レクトには悪いが。私も知りたいことがあってね。シンカも連れて行くことにしたんだよ」
シキは眉をひそめる。
「何だ?あいつも行かせるつもりなのか?行かせないために、デイラの話をしたんじゃないのか」
くくっとカッツェが笑う。
「そこまで計算高くはないね、私は。やさしくもない。それにだ。レクトは、私にすら話そうとしないことがある。それが、気になっていてね」
「何だよ」
カッツェはシキに顔を近づけた。
シキより少しだけ背の低い彼は穏やかに笑って、シキの耳にはめられた自動翻訳機を軽く引っ張った。
「おい?」
「あいつは、何かたくらんでいる。私にも黙って画策するときにはね、必ず、歴史を動かすようなことをしでかすんだ。過去にいくつも例があるんだ。今回こそは、何をたくらんでいるのか、知りたくてね」
機械を元に戻す。
「なんだ、なんて言ったんだよ!共通語とやらか?おい!」
くすくす笑ったまま、カッツェは立ち上がった。
「地球までは一週間はかかる。それまでに、シンカを立ち直らせておいてくれよ」
「おい、なんて言ったんだよ!」
亜麻色の髪の男は、振り向きもせずに出て行った。
グレスデーンは地球に進路を取り、約ニ億光年先の太陽系を目指していた。到着まで一週間はかかる。
艦内は今ちょうど、深夜の設定のようだ。通路は足元のぼんやりした明かりだけで、ところどころにあるスクリーンから見える宇宙も、暗くただ時折小さな星の瞬きが通り過ぎる。
ワープ航行中はほとんど何も見えない。
それでも、深夜、そのスクリーンの一つにもたれて、じっと宇宙を見つめる少年がいた。
金色の髪が襟についておかしな方向にはねようとしている。くすぐったいのか、先ほどから気にしている。
深夜。
静かなそこに立ち宇宙を眺めるのがシンカの日課になって、三日が過ぎていた。
昼間はいつもどおりの笑顔でレクトの部下から格闘技の稽古をつけてもらったり、リュードにはなかったさまざまな技術について教えてもらっていたりした。
シキも、「何だ、案外元気だな」と、喜んでいる。
ミンクとは、まだ、あんまり話ができない。
ミンクは資料室にこもって、歴史の本を読んでいるのだそうだ。
セイ・リンが彼女に付き添ってくれているので、会えないのは寂しいが我慢した。
会ったとして、何をどう話していいのか、よく分からなかった。
一度、通路で偶然すれ違った。
「ミンク」
声をかけた。
彼女は悲しげに笑って小さく手を振り、何も言わずに歩いていってしまった。
俺はその後姿を引き止めることが、できなかった。
小さく、息をついた。
その蒼い瞳には、暗く深い宇宙の闇が映っていた。
「眠れないのかい?」
びくりと驚いて、シンカは背後を振り返った。
薄明かりの中でカッツェが笑っていた。
それは、一瞬恐ろしささえ感じさせる笑みだ。
「あ、はい。地球ってどんなところだろうと思って」
「ふうん。なんだ、私は君が落ち込んでいるのかと思ったよ」
「正直、最高な気分なはず、ないです」
再び、宇宙を見つめるシンカの肩にカッツェは手を置いた。
案外、華奢な少年の肩。カッツェは一瞬、眉をひそめた。
大人たちに混じっていつも元気に、怖いものなしの顔して笑う少年もやはり子供なのだと思い知らされた気がした。
十七歳。地球なら、その年齢は間違いなく守られる存在。
「本当に君も地球に降りるつもりか?」
「はい。レクトを助けるんだ」
「あいつを恨まないのか?君のお母さんを、ロスタネスを殺したんだよ?」
シンカは、肩越しに男を振り返った。
「それは、もう決めたんです。自分の気持ちに正直になれば、レクトを嫌いになんかなれない」
シンカは人懐こい笑みを浮かべていた。肩に置かれた手をそっと、引き離して振り返った。
悲しげな微笑み。
以前カッツェに、レクトが語ったことがあった。ロスタネスの悲しげな笑みが、なんともいえないんだと。
それがこれなのかもしれない、と男は目を細める。
いつの間にかカッツェはシンカの手を握っていた。
「あの?」
「あ、ああ」
慌てて手を離して、カッツェは気付いた。
「シンカ、その手首の」
「!」
シンカはびくりと、右手を引っ込める。
「今の、リングだね?」
穏やかに、しかし強く睨むように見つめられて、シンカは右手を差し出した。
その腕にはめられた金属の薄い輪は、どうやっても取れなかった。研究所では様々なことが起こったから、すっかりその存在を忘れていた。
「これ、リングっていうんですか?ステーションの研究所ではめられて。取れないんだ」
鈍く黒く光るそれを、シンカはこつんとつついて見せた。
「何の、説明もなかったのか?」
「痛かったです。麻酔みたいなの打たれて、なんだか知らないうちにはめられて。はめてから、一生取れないとか言われてもさ、困るよね」
悲しげにシンカは笑った。
あのステーションの研究所で、ミンクが飛び出してシキが追っていった、あの後だった。
健康状態をチェックすると言われてついていった。
そのときにはめられたのだ。
何なのか、たずねても誰も答えてくれなかった。
研究材料なのだと、思い知らされる気分だ。
カッツェはリングをしげしげと見つめていた。
「いや、まあ、普通はたいしたものじゃない。地球ではね、これを身分証明代わりにしているんだ」
カッツェが見せた、彼の右腕にも同じような、でも少し違う感じの物がはまっていた。
「私のは簡単に取れる。これに、クレジット機能や、通信機能、さまざまな機能をオプションでつけることができる」
そういって、カッツェはパチンとそれをはずして見せた。
「どうやるの?俺、これ取りたいよ」
カッツェがはずそうと試みるが、首をひねるばかりだ。
「だめ?」
「ああ。ちょっと、私のとは違うな。赤外線に反応するんだ、身分証明らしき機能はあるようだが」
「ふーん。便利かな?」
カッツェは、無言でシンカの腕を引いて歩き出した。
「あの、ちょっと。なんだよ」
「いいから来なさい。何の認証なのか、確認したい」