10.カッツェ3
艦橋では、カッツェが誰かと通信している。
シンカが近寄ろうとするのを横からジンロが止めた。
「だめだ」
「?」
なんで、と言おうとしてジンロの背後、隅にシキとミンクが立っているのが見えた。
にっこりして、シンカが歩み寄ろうとした時だった。
[レクト・シンドラは貴艦の艦長だな]
レクト!?
シンカは振り向いた。
中央の大きなスクリーンに太陽帝国の軍服を来た、五十歳くらいのひげの男が映っていた。恰幅のいいどっしりした人で高い階級の軍人だとわかる。
「そうですが、何か?」
カッツェが穏かな表情を崩さずに対応している。
[ある事件の容疑者として、我々が預かっている。よって、貴艦内の捜索を行いたい]
生きていた!
シンカが振り向くと、嬉しそうにミンクが微笑む。そちらに駆け寄ると「よかったね」と声に出さずに話し、両手を握り合った。シキも笑ってシンカの背を叩く。
再びスクリーンのほうに向き直ると、ジンロがこちらを見て目を細めていた。シンカも満面の笑みを返すと親指を立ててみせる。
シンカたちに限らず、グレスデーンの乗組員皆がそこここで嬉しそうなそぶりを見せていた。それもシンカには嬉しかった。
密やかに沸き立つ艦橋で、カッツェだけが緊張を穏やかな笑みで覆い隠し、話し続ける。
「容疑者とは穏かではありませんね。ステーションで誘拐されましてね、心配していたところです。彼は被害者ですよ」
軍人はカッツェの言葉にあからさまに嫌な顔をして見せた。
[ほう。あ奴を誘拐しようなどと、そんな恐ろしいことを誰がたくらむのだ。戯言はやめてもらおう]
「太陽帝国の皇帝陛下程の力があれば、簡単でしょうね」
[おのれ、貴様、陛下を侮辱する気か!]
ひげの軍人は顔を赤くしている。
「いいえ。すでに貴官はシンドラを捕らえているではありませんか。宇宙協定では固有惑星の宙域外で法を犯したものの平等な扱いとして、中立星軍の保護下にすることが決められているはず。たとえ貴官のおっしゃるとおり、レクトが何かしらに関与していたとしても、中立星軍に引き渡す義務がある。捕らえている時点で、すでに誘拐でしょう?」
カッツェの穏かな物言いがさらに相手を怒らせている。
「貴様、太陽帝国に逆らうつもりか?」
「太陽帝国大佐ともあろう方が、力づくで連れ去った人質を使って、我ら民間人を脅すのですか?」
「人質などではない!」
「では、返していただきましょう。私たちは逃げも隠れもしません。逮捕するなら容疑が固まって、証拠がそろってからにしていただけますか」
「そ、それは……」
カッツェは表情を変えない。シキは背後で腕を組んで観察していた。
さすがに宇宙でもっとも大きい銀行のオーナーだけはある。見かけによらず豪胆な男にシキは面白みを感じるのだろう、目を細めて行方を見守っていた。
シンカに出会ったときにも感じた、「面白いかもしれない」という興味がシキを動かす。
「もうよい。下がれ」
スクリーンの向こう、大佐の背後から黒い衣装を身に付けフードを深くかぶった大きな影が動いた。
苛ついた様子だ。その姿を見て、グレスデーンの艦橋の乗務員が互いに目を合わせたり、立ち上がりかけたり。スクリーンの向こうの相手に明らかに動揺した。
「これは、皇帝陛下」
シンカはその真っ黒な姿を見つめた。
太陽帝国皇帝?
この、大男が?
「カッツェ・ダ・シアス。そなた、我を甘く見ると困ったことになるぞ」
影がいう。ガラガラした、重苦しい声だ。
ミンクはぞっとしてシンカの手を握り陰に隠れるように寄り添った。シンカは少女の髪を腕に感じながら抱き寄せる。
とにかく、レクトが生きていることが嬉しかった。
カッツェはあの完ぺきな笑みを消し、皇帝から目をそらさず睨みつけていた。
「どちらにしろ、レクトは重傷だ。今は動かせぬ。我はそこにいるリュード人を、いや、シンカという少年を渡してもらいたいのだ。私の研究所から逃げ出したようなのでな。そちらにも迷惑をかけていよう」
名を呼ばれてシンカはびくりとスクリーンを見上げた。ミンクが寄り添う。
相手から見えているのか?
ジンロは、だから俺を止めたのか。
そっとジンロのほうを見ると、彼は大丈夫だと手で合図した。
「いいえ、ここにはそういうものはおりません。第一、リュード星はまだ、調査期間のはずです。太陽帝国皇帝といえども、調査中の惑星の人間を、惑星外に連れ出すことは禁じられているはずですが?」
さらりとカッツェが言ってのけた。
「くく。惑星保護同盟に加盟していればな。我が帝国は今や自由。シンカは我々が作り出し、育てたのだ。返してもらう。ああ、カッツェ・ダ・シアス。君たちのそのミストレイアも、我が帝国に属する法人だな。逆らわないほうが身のためと思うが?」
「もちろん存じ上げております、陛下。私たちはごく一般の民間人として、自分の会社を運営しているに過ぎません。陛下が壊そうとすればそれこそ、たやすいことでしょう。ですが陛下。太陽帝国皇帝が強引な方法を取れば、ますます、他の惑星政府が疑念を抱くでしょう。例の、ユンイラの騒ぎもそうです。ユンイラなるものの研究は太陽帝国が全宇宙を制するために行われている、などという不埒な噂が流れているではありませんか」
「ふん。大義名分を振りかざしおって。まあ、よい。そこにシンカがいないなら、どこにいるのかレクトに尋ねるまでのこと」
黒い影の皇帝はスクリーンから消えた。
「チッ。陛下までそこにいるとは」
カッツェは額に浮き出た汗を感じながら、息をついた。
「カッツェさん。帝国軍、離れていきます。ワープに入るようです」
「警戒態勢を解く。今の通信記録は保護しておいてくれ。何かに役立つかもしれない。他のものは従前の作業に戻ってくれ。お疲れ様」
にっこりといつもの笑顔に戻ると艦橋内の緊張が解けた。
通信士や操縦士など、約十五、六人がざわざわと感想を語り合っている。ちらちらとシンカのほうを見る者もいる。
レクトが生きていたことには皆一様に嬉しそうだったが、帝国軍に拘束されているとは。
シンカはレクトが気になっていた。皇帝は恐ろしげな男だった。
レクトは大丈夫なんだろうか。重傷だとも言っていた。
「シンカくん。来なさい」
カッツェに促されて、三人は乗組員の個室が並ぶ船室の奥の会議室についていった。
会議室には大きな楕円のテーブルがあった。取り囲むように椅子が三十脚程。縦長の部屋は広く、調度品も他の部屋より豪華に見える。もたれるとぐんとしなる気持ちいい椅子に三人は腰掛けた。その隣にカッツェが座る。
少し疲れた様子だ。顔色が悪い。
「あんた、すごいな」
シキが言った。
「あの状況で、よく分けに持っていったよ」
「ありがとう。まあ、あの大佐くらいなら何とかなるんだが。リトード五世陛下は威圧感があっただろう?」
三人は黙って頷いた。
「声は低いし、迫力があるし。すごい、怖かった」
ミンクが素直に言う。
そういえば、ミンクの顔色も良くない。
ミンクが最後にユンイラを使ったのはいつだろう?はなれていた間に使ったかな?大丈夫なんだろうか?
シンカはそっとミンクの手を握り締めた。
「太陽帝国皇帝、リトード五世。太陽帝国は代々血筋で継承していてね。五代目ともなると、血が濃くなるんだろうな、人間離れしているんだよ。地球人なのに百歳を超えているって話だ」
「百歳?」
シキが繰り返す。
「ああ、最近は常にあの姿でね、顔をまともに見た人間はいないんじゃないかな。偽者説が流れることもあるくらいだ。君たちリュード人は宇宙でもかなり短命なほうだから驚くだろうね。今、この宇宙で人科とされる種族のうち最も長生きなのは、この下にあるセダ星でね。
平均は二百歳前後だそうだ」
「ふえーすごい!」
ミンクが変な声を出す。
シンカはあまり興味がなかった。実際、シンカは自分自身が「通常」何歳まで生きるのかなど、知らない。それよりもレクトが気になっていた。
「カッツェさん。レクトは、どこに連れて行かれたと思いますか?」
亜麻色の髪の穏かな男はにっこりといつもの笑顔を見せる。
「おそらく地球だと思う。そこに君を連れて行く予定だったらしいから、おびき寄せるならそこが一番手っ取り早いだろう?」
「おびき寄せるって」
「皇帝も君を救出に向かわせるために、わざとあんな言い方をした。君はそれに、乗るつもりじゃないだろうね?」
シキが横で大きくうなずいている。