9.再会4
部屋に戻ると、すでに食事が届いていた。
シキが待っていた。心配していたのだろう。苛ついたようすだ。ミンクは中庭で、もらった子犬が気に入って遊んでいた。
まだ、シンカが戻ったことに気付いていない。部屋の窓から、遊んでいる姿が見える。
「あの果物はないの?白くて、ぷるんとした。」
セイ・リンに問い掛ける。
「ああ、レンエの実ね。夕食に出すように言っておくわ。」そのくらいなら、してやれる。
「ありがとう!」
うれしそうにほお張る少年を見つめる。
いつの間に近寄ったのか、シキがセイ・リンの横に立って、小声で言った。
「何されたんだ?」
「いろいろ。」
赤毛の女性はうつむく。悔しさが顔に出る。
「いろいろって」
セイ・リンを不満そうに見つめるシキ。
「シキ、もうくどいているのか?まだ、昼だよ。」
サラダで、頬を膨らませながら、少年が笑う。
「そんなんじゃねえって!」
「大人なんだから見せつけんなよ!」
にんまり笑うシンカ。
シキはばつが悪そうに、セイ・リンのそばを離れる。
「シンカ、午後は自由にできるようにするから。」
そう言って、赤毛の美しい女性兵士は部屋を出て行った。
「おまえ、俺のことなんだと思っているんだよ。」
シキはむっとしながら、シンカの横に座って、デザートのチョコレートをつまむ。
「俺が、自分で話すからさ。セイ・リンに聞かなくたっていいだろ。」
「聞こえてたか。」
拍子抜けしているシキ。
「でも、お前、自分のことちゃんと言わねえだろーが。いつも、我慢してよ。」
「分かったよ。でも、結果として俺は今、ぜんぜん平気なんだからさ。いいだろ。あいつらは、俺がどんな病気にかかるか試しただけだよ。」
「病気?」
「地球のが多かったな。多分、地球に連れて行くつもりだからだろう。あわただしくいくつか試したみたいだ。俺に注射した薬に、病気の名前があったから。」
「本当に、平気だったのか?また、前みたいに、傷が治ってるから隠しているわけじゃないだろうな?」
「大丈夫だよ。セイ・リンだってここでは立場弱いんだ、あんまり無茶言うなよ。」
シキは、少年の金髪をくしゃりとなでた。
自分の至らなさに、恥じ入る。
「悪かったよ。」
「彼女に直接言ってみたら。少しは進展するかも。」
「お前、女なら何でもいいって訳じゃないぞ!」
「つまんねー。」
そこに、ミンクが戻ってきた。
「シンカ!戻ったの?大丈夫だった?」
「もちろん。」
にっこり笑う。
(そうだ。三時間後だってあの女所長が言ってたな。今のうちに研究所内を見て回っておこうかな。脱出するときに役立つかもしれない。うまくいけば検査を無しですむかも)
シンカはそう思いつくと、わくわくしてくる。基本的に、冒険は大好きだ。
「俺、ここにあるっていうユンイラの畑を見たいな。」
「ここにあるのか?」
シキは知らなかったらしい。
「そう聞いた。言ってみようぜ!」
三人は部屋から出る。廊下や中庭には、警備のカメラがある。かわりに、変な見張りとかがいなくて、気持ち的には楽だった。
研究所側で不都合を感じれば何かしら手を打ってくる。そうなるまで、何してもいいわけだ。
「シンカって、本当にこういう時、すごく生き生きしてるね。」
「え?そうかな。」
研究所の建物は、四角いビルが二棟で構成されている。敷地は半円の形をしており、ちょうど正門が円周の真中にあたる。
その敷地に、ニ棟のビルが斜めに平行して立っていた。
シンカたちは、門から見ると奥になるビルにいた。二棟のビルは地下で繋がっていて、その地下にユンイラの栽培所があった。
栽培所の入り口には、兵士が立っていたが、見学したいというと、通してくれた。
そこは、蒸し暑い空気で満たされ、低い天井から明るい照明が照らされている。確かに、デイラの栽培所にも似ている。
ただ、デイラより、栄養を与えられているのかユンイラ一つ一つが大きい。
「すごいね。デイラと同じくらいは、あるかも。」
ミンクの感嘆の声に、シンカもうなずく。
「ああ、広いな。ほら、ちゃんと花がついてる。実もなるなこれは。」
「野生のとはだいぶ違うな。」
シキが、首をひねる。
「野生のは、栄養が足りないから、まともに実なんてならないんだ。だから、減っているわけだしね。ここでなら、きっと、かなりの量の成分がとれるな。」
眺めるだけで、実際に植物そのものには触れられないようになっていた。植物のある部屋は、透明なガラスに覆われ、さらにその表面には薄く水のまくが張られている。
常に滴り落ちているその水には何か意味があるんだろう。
「ミンク、お前、体は大丈夫なのか?」
「今のところ、しずくが残っているから。」
「そうか。」
シンカたちがいる場所のちょうど右手側。栽培室の壁面に窓らしきものがある。
畑に向かってガラス張りになっている小部屋で、中に、青い液体の入った細長いビンが、たくさん保存されているのが見える。
こちらからでは入ることができない。ここで手に入れようと考えていたシンカは、当てが外れた。
・・・いずれ、ミンクを連れて、レクトたちと旅立てば、方法は、一つしかない。
シンカは覚悟を決めた。
「俺、ちょっとさ、」
言いかけたところを、ミンクがさえぎった。
「私も行く」
「え?」
「俺たちだって、考えているんだぜ。研究所の女所長さんに、あれをもらいに行くんだろ?」
シキが、小部屋の青いビンを指差す。
「一人で行っちゃだめよ」
にっこり笑う二人。少し、目的は違うのだが。
「まあいいか。じゃ、奥のビルの最上階だ。行こう。」
そこは、警備兵がいた。
胡散臭そうに三人を見、所長のユウリ・ケスネルに取り次いだ。
正直、シンカは自信はなかった。一度自己紹介されただけで、彼女には親しみも何も感じていない。その後の検査にもいたはずだが、口も利いていない。
ミンクと同じくらいの背の、小柄な女性。
「こちらへ。」
案内されて、入った部屋は広く、ふかふかした毛皮を敷き詰め、金色の縁取りがされた絵画が、壁を埋めつくしている。
甘い香の匂いがし、シキはおえっと喉を手で押さえた。
白いふさふさした毛皮のカバーのついた大きな椅子に、不似合いな小柄な女性が座っていた。
その前にある大きな机も、彼女を小さく見せているだけだ。
「用件は何?忙しいの、手短にして頂戴ね。」
こちらの表情も見ない。手元の資料に目を通している。
「あの、俺のユンイラの成分を取り出すにはどうしたらいいのか教えて欲しいんです。」
シキとミンクがこちらを振り返るのが分かる。
「変わったことを聞くのね。」
はじめて、シンカの顔を見つめた。ユウリ所長は、かけていた縁のないめがねを少し動かし、じっと、シンカを見つめる。
「教えても、実行できるのかな?」
子ども扱いした口調。シキがいやな顔をしている。
「はい。多分。」
「・・ユンイラの成分は、君の白血球に含まれているわ。顆粒球にあるのよ。通常の超遠心分離で取り出せるわ。」
「それは、他の人体に使用しても大丈夫な状態ですか?」
「そこは保証できないわ。なんなら、そこの女の子で試してみる?私も興味あるわ。」
シキがミンクを見る。ミンクはいつもの頬を膨らますしぐさで、女所長を睨んでいる。
「それは、させられないです。分かりました。」
にっこり笑うシンカ。
ユウリは少年をじっと見つめる。基本的なことは、知っているようね。
確か、育てた母親が、研究者だったという。リュード人でありながら、短期間で帝国医師免許を取得し、生物学の博士課程を終えた天才だとか。
「・・・ロスタネス。優秀な研究者だったと聞いたわ。さすがね。あなたに教育することも怠らなかったのね。」
ユウリは科学に興味ある優秀な人間は基本的に好きなのだ。つまり、どんな人より、科学者が優れていると考えている。
「いいえ、あなたには及びません。それに、俺は、基礎知識だけです。別に、それが何に役立つのかも知らなかったから。」
「君は、科学者になる気はある?」
シンカは首を振った。
「もう、注射や点滴は見たくもないです。」
「そうかもね。そういえば、そろそろ時間なんだけど、どうなの?」
「今のところ、インフルエンザM3ウイルスも、黄熱病ウィルスも、メスエイナウイルスも平気みたいです。」
にっこり笑うシンカに小柄な所長は目を見張った。
「知っていたの!では、その症状もよく分かっているわね?」
「はい」
シンカはにこやかに嘘をついた。知っていたのは黄熱病だけだ。後は名前が読めただけで、どんな病気か、なんて知らない。
「ですから、午後の検査はなくてもいいかなって」
「仕方ないわね。何か変化があったらちゃんと言うのよ」
ユウリが、初めて笑った。多分、この研究所に来て初めてだ。もちろん、リュードから来た三人は知らないことだが。
「ありがとうございます。」
シンカが、きっちりとお辞儀する。
「いいえ。君が、こんなに面白そうな子だと思わなかったわ。その気があれば、もっといろいろ教えてあげるわ。いつでもいらっしゃい」
丸い白い顔に、パッチリした瞳が笑う。笑うとそんなに悪くない。
シキはそう感じた。
(多分、俺やミンクが口を利いたらとたんに不機嫌になるだろうけどな)
すでに、不機嫌なミンクを見ながらシキは思う。
(シンカは、女に取り入るのはうまいよな。年上に受ける。セイ・リンにも気に入られているし。俺も今度真似してみるか?)
シンカが礼をいい、残る二人もそこそこに頭を下げ、部屋をでた。
背後で扉が閉まると、シンカが大きく息を吐いた。
「シンカは誰にでも、うまくお話するのね。」
ミンクが口を尖らせる。
「まあ、まあ。ミンク。なかなか、才能だと思うぜ俺は。」
「ああいう人には、いい子でいるのが一番なんだ。」
ふーん。冷たく言って、一人先を歩き出す。すねている。
そういうミンクのほうがよっぽど可愛いのに、分かってないよな。
シンカは思う。
「お前、ユンイラ、どうするつもりだ?」
「いつかは、俺の中の成分でってことになると思う。でも、今は、ここのユンイラから取った成分が保管されていただろ。
あれをもらおうと思ってさ。大量になるから、レクトがきたときに、どさくさにまぎれていただく」
「……悪党」
「強盗経験者にいわれたくないな」
金髪の少年は、可愛らしい顔で笑ってみせた。