9.再会3
そこに、シンカが入ってきた。
三人に向ける笑顔にセイ・リンはホッとする。シキが立ち上がって、二人は拳を合わせる。
「おう、心配かけたな」
「ごめんね、シンカ」
ミンクが駆け寄った。シンカに抱きつく。
「あれ、なんだ、泣くことないだろ。俺も悪かったよ。お前の気持ち、ちゃんと確かめてからにするべきだったんだ。一緒に来てくれるか?」
ミンクはうなずいた。
シンカは微笑んで抱きしめる。
「おいおい、ミンク、さっきまでとずいぶん違うじゃないか」
「うるさいの!」
シキに反論するその声は、本当に涙声だ。
「シキ、俺の前では、ミンクは可愛いんだ」
ウインクするシンカ。
「それって、どういう意味?」
ちらりと非難めいた視線を送る少女にシンカは笑った。
「俺にとって一番可愛いって意味だよ」
「け、やってらんねえ」
シキがふてくされる。
隣でセイ・リンが笑った。その笑顔は、シキを嬉しくさせた。
翌日、シンカは朝から再びメディカルチェックに連れて行かれた。いずれ抜け出すこと思えばここで警戒させてもいけない。そう、心配するミンクに笑いかけシンカは再び真っ白な壁に囲まれた研究室へと向かう。
昨夜の採血の結果、変化したのが瞳の色だけでないことがわかったらしい。シンカの体内で生成されていたユンイラが変質していた。つまり、シンカはすでに地球基準の大気にも、リドラ基準の大気にも順応していた。
その時点で、シンカの小型マスクははずされていたが、さらに研究するためということで、診察台から出してもらえない。
「……あのさ、いつになったら部屋に返してもらえるのかな」
横たわったまま、シンカは傍らで忙しそうにしている研究員の一人に声をかける。
チクチクする小さな針のついた管をあちこちに繋がれ、動けない。そのまま、研究員たちはモニターやコンピューターに向かっている。
話をする人もいなければ、何をどうしているのか説明もない。いい加減、我慢できなくなってくる。
「あ!動かないでくれるかな。正確な数値が出ないだろう。」
眉間にしわを寄せて、睨む若い研究員。名を、セドリック・ラッセウとかいう。眼鏡の奥の細い目で見られると気分は憂鬱になる。
「もう少し、我慢してくれるかな。ごめんね。朝から何も食べてないしね。つらいと思うけど」
女性研究員が取り成すように微笑んだ。
ため息を一つついて、シンカはもう少し、と自分に言い聞かせる。
地球行きをやめて正解だった。こんなの毎日されたらたまらない。
視界の隅に赤いものが動く。セイ・リンが少し離れたところにいるようだ。
何とかしてくれないかな。
せめて、この眩しい光を消して欲しい。
なんだか暑いし、喉が渇く。
「ユウリ所長、彼は体調が戻ったばかりです。そろそろ休ませてあげてはいかがです?」
宇宙ステーションの研究所所長は、まだ若かった。二十六、七歳の、しかも女性だ。
太陽帝国の最も優れた研究都市であるセトアイラスでの実績を買われ、この研究の所長に抜擢されたのだ。
その上、ここでのユンイラ栽培を成功させている。傲慢になっている、とセイ・リンは感じる。
小柄で少しぽっちゃりした体型の彼女はくっきり描き込んだ眉をよせて、ガラス越しに処置室の横から見つめている。
セイ・リンの声など聞こえていないようだ。
もともと軍人のセイ・リンには研究員の考えることや感覚はあまり好きになれない。研究員は研究を成功させるためなら何をやってもいいと思っているふしがある。リュードでの研究メンバーは見守ることに重点を置いていたが。すでに方針は転換されているようだ。正直、シンカをこの処置室の診察台に乗せておくこと自体、不安でならない。
いつ眠らされてしまうか分からない。
だが今の彼女では、何の力もない。
レクトが明日の夜、任務のついでに迎えに来るといった。それまで我慢しなくてはならないのか。
「セドリック、ランク3を試してみるわ。明日、陛下が御着きになる前に結果を残しておかなくては」
[はい。了解しました]
「陛下がいらっしゃるの?」ユウリの言葉にその顔を見つめるセイ・リン。
だが年下の所長はセイの存在自体を認めないかのように振舞う。
「始めて」
[はい]
完全な防護服に全身を包まれたセドリック・ラッセウがさらに分厚いグローブに替え、小さな液体のアンプルを取り出す。慎重に注射器にはめ込むと、シンカの手首の点滴に注入した。
「暴れたらいけないから、ちゃんと押さえてよ」
ユウリ所長が命じる。
「暴れるって、何を入れたんですか?」
「ランク3。つまり、空気感染の恐れがあるウィルスよ。地球人はこれにかかると二十パーセントの確立で死にいたる。症状は発熱、嘔吐、リンパ球の腫れ、人によっては神経障害もあるかしら」
「そんな!もし、死んでしまったらどうするんですか!?」
赤毛の女性兵士をこの研究所所長は快く思っていない。ユウリより頭二つ分高い背丈美しい体型、リドラ人特有のしなやかな手足と強さ。地球人の彼女はどれ一つとして持ち合わせていない。勝てるのは頭脳と色の白さだけ。
冷ややかに、セイ・リンを見上げて、言った。
「あら、大丈夫よ。すでに、ランク1とランク2はすんだわ。何の反応も示さなかった。ランク2では黄熱病c5を使ったのよ」
「そんな危険なウイルスを!」
地球でもはるか昔に克服したはずのウィルス性の熱病だった。しかし、それは他の惑星で新種を生み出し、c1から最新のもっとも危険なウィルス、c5まで発展している。それを、使ったのか!ワクチンがないわけではないが、危険な病気だ。ランク3とはいったい何を使ったのか。聞きたくもない。
「あら、セイ・リン少佐、顔色が悪いわよ?お気に召さないようでしたら、ごらんになってなくても結構。どうぞ退室なさってください。あなたが、どうしてもって言うから、入れてあげているのよ」
セイ・リンは拳を強く握る。
[所長、反応ありません。白血球数も変化ありませんが、ウィルス自体は消滅しているようです。ユンイラの坑ウイルス反応はすばらしいものがありますね!]
「ありがとうセドリック。ご苦労様。記録して、シンカを休ませてあげて。私たちも休憩しましょう。三時間後に、経過を見るために診察と採血して」
ほっとするセイ・リン。
時間は昼をとっくに過ぎていた。向かって左側が全面ガラスになっている廊下を歩きながら、明るい日差しにセイ・リンは目を細める。
傍らを歩くシンカは、黙っている。疲れたのだろう。
「俺、もういやだな」
しばらく歩くと、少年がポツリと言った。
「明日、彼が来るまで何とか引き伸ばしたいわね。このままじゃ、参ってしまうわ」
「目が、さ」
「どうかしたの?」
「うん。チクチクするって言うか。あの、金色になる前に感じたみたいな、変な感じなんだ」
それで、先ほどからしきりと擦っていたのか。
「あの場では、言えなかったのね。ごめんね。つらい思いさせて。私は何もできない」
「いいよ。あそこで言ったらまた何されるか。あーあ。腹減った!」
首の後ろを軽くもみながら欠伸するシンカ。
セイ・リンは明日、レクトが来る予定時刻より早く太陽帝国の迎えがきてしまうことをシンカに伝えるのをためらった。
太陽帝国皇帝、リトード五世も来る。レクトに知らせて、時間を早めてもらわないと間に合わない。それくらいは自分がやらなくてはと、生来の生真面目さで覚悟する。
皇帝が自ら辺境へ赴くなど珍しいことだった。地球を出ることすら滅多にないのだ。
だが、所長がああ言ったからには本当なのだろう。
自分が、もう少し立場が上であれば、情報も入るというのに。
「あれ、蒼くなった」
気付くと、シンカはガラスに映った自分の瞳をのぞいている。
「そうね。元に戻ったみたいね」
「やだな、なんか擬態する虫みたいだ」
「どっちも似合ってるからいいわよ。私も変えられるなら赤毛を何とかしたいわ」
「いいじゃん。どこにいてもすぐ見つけられるし」
赤毛のセイ・リンが青い瞳を見開いた。
「ロスタネスと同じこと言うのね」
「そっか。俺も同じこと言われたな。俺、デイラでは目立ってたから、いつでもあなたを見付けられるから、それでいいのよってさ」
「そういう問題じゃないのよね」
「そうそう。母さんその辺はちょっとずれてた」
笑うシンカ。
シンカもちょっと似てるのに、とセイ・リンは少年を見つめる。
「セイは好きな人とかいないの?」
「いないわよ。今は」
少し、遠い目になる。かまわずシンカは続けた。
「シキとかどう?いい奴だよ」
「目の前にいれば好きになるってものでもないでしょ?」
「なあんだ。残念」
もう一度伸びをする少年を、セイ・リンは穏やかに見つめた。