8.レクト8
レクトの低い声がトラムで捕まったときの痛みと恐怖をよみがえらせる。シンカが悔しそうに目を伏せる。かなわないことが証明されている。
レクトがシンカの腕をとった。少し震えていた。二の腕の傷口があったはずのところを見る。
「痛いのか?」
シンカは、こわばった表情のままうなずく。
レクトはそっと手を離した。
「傷がない分、どう手当てしていいのか分からないな。そうやって、痛みに耐えるしかないのか?」
「ああ」
「すまんな。同盟はもう少し、ましなのをよこすと思った」
「!」
シンカはレクトを見つめる。金色の瞳が、不思議な雰囲気をかもし出している。
「なんじゃと!きさま、ならず者のくせに、何を偉そうに!」
老人がわめいた。
ジンロがすでに老人の背後にいて両肩に手をかけた。
「やめだ。お前を同盟に預けるのは危険だ。研究所のほうがまだましだった」
レクトがシンカの表情を覗き込みながら、言った。
「ジンロ、お帰り願え。」
「了解」
ジンロは老人を引きずって出て行く。
「いいのか!レクト!きさま、同盟からも追われるぞ!」
捨て台詞が小さくなっていく。
「なあ、シンカ」
レクトはベッドに腰掛けた。
まだ、壁にくっついているシンカを見る。
「お前が逆らうから、抵抗するから殴らなきゃいけなくなる。だから、逆らうな。俺だって、お前を傷つけたくはない」
「……」
「大佐、シンカを帝国に、私たちに返してくれませんか?」
セイ・リンが言ってみた。同盟に渡すつもりが変更になったのだ。帝国に、もともとの研究者たちの見守る研究所に返してはくれないか?
セイ・リンの提案にレクトは眉をピクリとさせる。黒い切れ長の瞳が、険しくなる。
「俺は反対だ。君たち研究所の皆がどうのというつもりはない。ただ、皇帝は本気でシンカを利用しようとしている。ダンが戻されたのもそのためだ。ダンははじめから、シンカを帝国の首都星、地球に送るつもりだった。地球で皇帝が待っているからな。あの男にシンカを渡すわけには行かない。まあ、君が我々と行動をともにするというのなら、歓迎するがな」
と穏やかに語り「シンカ、お前は一緒に来るんだ」と付け加える。
「なんで?」
シンカの声が少しかすれる。
なんでレクトは俺を連れて行きたがる。いったい、どこへ?
レクトがシンカの肩に手を置いた。温かい。
「俺たちは自由だ。お前にも自由を保障しよう。それが、ロスタネスの最期の望みだった」
「でも、レクトは俺を同盟に売ろうとしてたじゃないか!」
「誰が売るなどと言った?保護してもらおうと思っていただけだ。残念だが、惑星保護同盟では無理だ。レベルが低すぎる」
その様子を観察していた赤毛の女性が、あっ!と小さく声をあげた。
「大佐、もしかしてそれは・・シンカを仲間にしたいってことですか?」
「仲間?」
シンカが目を丸くする。
レクトが、むっとした表情で立ち上がった。
「最初からそのつもりだが。ミストレイア・コーポレーションの一員として、迎えるつもりだ」
シンカも、セイ・リンも驚いて顔を見合わせる。二人とも声が出ない。だったら、最初からそう言えばいいのに。あんな強引な言い方されれば、誰だって誤解する。
シンカはレクトの表情を見あげた。変わらない、長いまつげの奥の黒い瞳が、シンカを見ている。無表情だ。
母さんが死の前に、レクトに望んだ。俺に自由を与えてくれって。母さんはレクトを信用していた。そしてレクトも、その約束を果たそうとしている。
俺に憎まれても人殺しって言われても。
俺もレクトを信じていいのかもしれない。
シンカは、うれしいのか哀しいのかよく分からなくなっていた。
「もっと、分かるように言えよ。勘違いしたじゃないか」
「それくらい気付け」
男は視線を逸らし煙草を取り出す。少年のその笑顔は、ロスタネスのやさしい表情にひどく似ていた。
あなたを愛することはできない、だから、一緒に行くことはできない。そう言った彼女の悲しげな笑顔だ。
セイ・リンはほっとしていた。レクトの組織にいれば確かにシンカも安全かもしれない。
そして、もし本当に親子であれば、一緒にいて当然なのだ。
そこでセイ・リンは口元を緩めた。
レクトの強引さはまるで不器用な父親のようだ。そう思いつくと近寄りがたい男が以前と違う印象に感じられる。
ロスタネスはなぜ、この男を愛せなかったのだろうか。そんな疑問が心によぎり、今は亡き女性にセイ・リンは問いかけていた。
「分かったよ。俺、一緒に行くよ」
シンカは笑顔だ。
「当然だ。それにしてもお前、白兵戦の基礎がなってないぞ。情けない」
「あんたが強すぎなんだよ」
「ほら」レクトが拳を作って突き出せば、シンカは受け止めようと腕を差し出す。
不意打ちに受身は失敗し先ほどの二の腕にとんと当たる。
「痛いって!」
「バカだな、そこはそうじゃないぜ」
「どうせ教わるならセイがいいよ、どうせならさ!」
「贅沢抜かすな。ガキの癖に」
じゃれあう二人を見ながらセイ・リンも微笑む。
シンカの笑顔を久しぶりに見た。珍しく、大佐も笑っている。うれしくなっている自分に気
付く。
セイ・リンは心を決めた。
「大佐、私もご一緒してよろしいですか?」
リドラ人であるセイ・リンは、心から太陽帝国に忠誠を尽くすわけではない。リドラは惑星政府がないために、太陽帝国の人間として扱われているだけなのだ。
研究所の皆もそうだ。
孤児として育ち、十八で帝国軍に入り、すぐに惑星リュードに赴任した。もう、十五年近くリュードにいた。生まれた星には何も残してきていない。ここで帝国軍を辞めたからといって、失うものなどない。
「ああ。かまわん。君は優秀だし、部下たちも喜ぶ」
シンカは、何か考えレクトを見上げた。
「あの、俺、仲間がいるんだ」
「仲間?リュードにか?」
「いえ、大佐、ステーションの帝国の研究所に」
セイ・リンが説明する。
「そいつらも連れて行けって?」
「だめなら、俺もいけない」
レクトの顔に今までになく真摯な表情がのぞく。見かけたあのデイラの少女を思い出す。
「大切なのか?親友か?」
「ああ」
真剣に見つめあう二人。
「いいだろう。俺も一仕事あるんだ。研究所にはな」