1.隠された街デイラ 5
背中がじわりと疼いた。
赤い夕日だった。「お父さん」は俺の隣にいた。
にかっと男前の笑顔。
俺、変な夢見たよ。父さんがさ、変な男たちと町を焼き払うんだ。
そんなのあるわけない。
な、母さんもそう思うよな。
それともあの変な武器とか空を飛んでいた機械。あれは母さんが教えてくれた、遠い俺の知らない世界のものなのか。
「お父さん」は言った。
「お前を連れて行く。ロスタネスとは話がついているんだ」
母さんと、話…?
「っつ…」
ぴくりと意思とは関係なく腕が震えた。
「痛い」
シンカは目を開いた。
そんなのあるわけない。
視界にはくすぶった白い煙が漂う。ユンイラの匂い。幻覚でも見ているのか。
体を起こし、頭を振ってみる。
背中が痛んだ。
でも、きっと大丈夫。痛いだけだ。だって、ちゃんと手も動くし、息もしている。大丈夫だ。
しばらくそのまま、じっとしていた。
辺りは闇だ。
なんの音もしない。熱くも寒くもない。星が、見えるはずなのに。空は真っ暗だった。
「街は!」
唐突に思い出した。
焼かれた町はどうなったんだ。
街のあるはずの方角を見つめるが、所々にぼんやりと炎の明かりが見えるだけで、灯りも何も見えない。どれくらい時間が経ったのか。どうなっているんだろう。
シンカはゆっくりと歩き出した。
「母さん!母さん?」
橋から一番近いところにあった酒屋さんの家はない。いや、その横も。暗がりにぽっかりと穴が開いたように、なにもない。
瓦礫となった壁と燃えた屋根や崩れた石垣。シンカは、炎が残っている木の切れ端を灯り代わりに、町の中心部に向かった。
領主の家の横、小さいけど新しかった俺の家。白い壁が目印で、オレンジの屋根が太陽に映えて。
その場所には何もなかった。崩れた白い壁と灰にまみれた木材の形をした残骸。
「母さん!母さん?!」
返事はない。
「……か」
かすかに小さな声。隣の領主の家は頑丈な石造りだった。大ぶりの石垣がそのままの形で倒れ、井戸との間に隙間があった。
声はそこからのようだ。
「母さん?」
「……助けて。シンカ」
「ミンク!」
そっと手を入れてみる。暗闇で触れる髪。耳、首。鼓動がある。
このまま引き出していいものだろうか。
「ミンク、どこが痛い?動かせないとこはあるか?」
「シンカ、足が、挟まっていて。動けないよ」
あれから二時間は経過している。意識が今もはっきりしているということは重大な怪我ではないと判断していい。松明を近くの瓦礫に差し、石をどけるため、長い柱を持ってくる。てこの原理で瓦礫を浮き上がらせ、そのすきにミンクの襟首をつかんで引っ張ってみる。何とか、引き出せた。
とにかく、どこか明るいところで手当てしないと。
シンカはミンクを背負い、まだ、火の勢いのあるあたりに移動する。
「ミンク、何があったんだ?母さんは?他のみんなは?」
「わかんない。ロスタネスさんの悲鳴が聞こえたから尋ねようとしたら、何かが頭の上から落ちてきて、後はもうよくわかんない」
ミンクの声はだんだん涙声になる。そのうち、くすんと鼻をすすった。
「…そっか。でもよかった。お前が無事で」
ミンクの足の傷に裂いた服を巻きつけながら、自分の手も少し震えていることに気づく。
「シンカは、大丈夫なの?」
ミンクの問いに、精一杯笑って答える。
「ああ。大丈夫。俺、街の外に行ってたんだ」
「街の外!?だってそれ、禁じられてるのに」
「……ん、まあ」
禁じられているのに、俺は外に出て、レクトたちを案内した。
俺のせいなのか。
シンカは黙り込んだ。
レクトは、「ロスタネスとは話がついている」って言っていた。町を焼き払う前に、母さんに会ったんだ。どういうことなんだ。なんで母さんに会いに行ったんだ。
父さんだから?
小さく首を横に振った。
父さんなら、本当に父さんなら町を焼き払うなんてしない。皆殺し。ジンロと呼ばれた男の声がよみがえる。もしかしたら、俺が畑についた時にはもう、母さんは……。
震える手を強く握り締めた。シンカの肩に乗せた、ミンクの手も震えていた。
横に座り、肩を抱いた。
取り乱す気力もなく、二人はそこで夜を明かした。
背にした瓦礫をつたう朝露のしんみりした冷たさで目がさめる。傍らのミンクはまだ眠っていた。
怪我は大丈夫なようだ。医者に診せたいが、それにはまず隣町まで行かなくてはならない。
「こんな大惨事が起こったのに、国の軍隊は何しているんだ」
小さくつぶやくと、シンカは立ち上がって周囲を見渡した。
朝もやに包まれた瓦礫は日に蒼い影を作り、形容し難い無残な形をしている。まだどこかに生存者がいるかもしれない。
じっと耳を澄ましてみる。目を凝らしてみる。
静かだった。何の、物音もしない。朝は、駆け回る子供たちの声、犬のほえる声、工場の動き出す蒸気の音、母さんが、起こしてくれる。
母さんのやさしい声。
何もない。何もかもなくなっている。
頬をぬぐった。
二度と、会えない。
隣のおじさんやおばさん、仲間たち。ふざけあってよく遊んだ。喧嘩した。友達だった。
いつの間に起きたのか、ミンクの細い手が、ぎゅっとシンカの手をつかむ。
「泣かないで」
ミンクも泣いていた。
「…俺たち、だけかも」
ミンクの大きな目から涙が伝う。シンカはぎゅっと抱きしめた。
陽が高く昇る頃、シンカたちは泥だらけになって立ち尽くしていた。
母、ロスタネスの遺体を埋葬し、となりにミンクの両親の墓も作った。その作業の間中、ミンクは泣いていた。
街はひどい状態だった。壊されたというより、ものすごい熱さの何かに溶かされたようにあちこちに深い穴が開いていて、どの遺体も無残だった。
とても、他の人たちの分も埋葬する気力はなかった。
街の中心を流れていた川は黒くにごり、どの井戸も使えなかった。
ここにはいられない。
シンカはそう判断した。
「な、ミンク。俺、聖都に行こうと思うんだ」
両親の墓の前で座り込んでいるミンクに、シンカは声をかける。
「どうして?」
泣きじゃくった後の、鼻にかかった声がシンカの涙をさそう。
「ここにいても水も食料もないし。それにこの事件のこと、聖帝に知らせるべきだと思うんだ。聖帝に訴えて犯人を捕まえてもらうんだ」
「でも、遠いよ。行ったことないし」
シンカが肩に手を置くとミンクは大きな赤い目で見上げた。
「ここに、一人で残るか?」
また、ミンクの頬に涙がこぼれる。
「やだ」
「じゃ、行こう。大丈夫。俺がついてる。護るからさ」