8.レクト3
セイ・リンは迷っていた。
逃げ出して帝国のコロニーにさえ入れば研究所の皆と合流できる。それにシンカを医者が診てどうこうできるとは思えない。
それよりはこのステーションのユンイラ研究所で、デイラから退避してきているはずの彼らに診てもらったほうがいいのではないか?
設備もある。そして、それが私の任務でもある。
だが。
太陽帝国は本格的にシンカを研究するつもりだ。シンカは太陽帝国の中枢の研究機関に送られるだろう。
地球か、セトアイラス星か。それがシンカにとって幸せとは思えない。
シンカの母親、ロスタネスの顔が浮かぶ。
セイ・リンは深くため息をついた。
どちらにしろ、この状態のシンカを担いでこの同盟のリドラコロニーから脱出するのは困難に思える。
せめてシンカが意識を取り戻し、自分で歩いてくれさえすれば。
セイ・リンはシンカの額に手を当てた。まだ熱があるようだ。
あれだけのエネルギーを吸い取ったのだ。
熱くもなる。そう勝手に理論付ける。
……この子は、この不安定な生き物はどうなってしまうんだろう。ロスタネスはこの子の幸せをどう考えていたんだろう。
ふわりと窓から風が入る。
あの研究所の爆破から六十時間たっている。
熱い。まぶたの裏を白い光が焼いているようだ。
シンカは思った。
何があったんだろう。
ふと動かした自分の手が、何かにあたって、感覚を思い出す。指を少し動かしてみる。
ぎゅっと、握られる。
だれ?……ミンク?母さん?
だれ?
あったかい……。
「……セイ・リン」
窓の外に視線が行っていたセイ・リンは慌てて少年を見た。
少年は目をこすって起き上がろうとする。
「あ、まだ無理よ」
それを制して寝かせた。
「ここ、どこ?」
シンカが見回す。
「……ごめんなさいね。私も気付いたときここにいたの。たぶん、リドラコロニーの中の居住区だと思うわ」
「ころにー?研究所は?」
あの時確か、セイ・リンが俺のこと話して、それから……覚えてない。
「研究所は爆破したのよ。私たちは偶然レクトに助けられたの。ここは惑星リュードの上空にあるリュード宇宙ステーションというの。宇宙に作られた小さな町とでも言うのかしらね」
「レクトに!?」
少年が起き上がる。
ふらつくのか額を押さえる。
「大丈夫?あなたはずっと眠っていたの」
「つかまっているの?」
シンカが顔を上げる。
「ん。まあ、そうね。逃げ出すにしてもシンカ。あなたがもう少し回復してくれないと」
「ごめん」
シンカは乱れた金髪をなでつける。ぼんやりする頭で考える。
レクトに会える。セイ・リンについていっても帝国に連れて行かれる。そういえば、レクトはあの時、俺をどこに連れて行こうとしたんだろう。
でも、セイ・リンについていけばシキたちに会える。
考えがまとまらない……考えるんだ。
俺は、どうしたい?
ぐう
「!」
シンカのお腹が鳴った。
「そうね。ずっと食べてないものね!」
笑いながらセイ・リンにいわれ、シンカは顔を赤くする。
セイ・リンがベッドサイドのボタンを押して人を呼んだ。
ボタンの機械音にシンカはじわりと研究所での出来事を思い出した。からだの奥が重く疼く。
俺はレクトに会って、父さんなのか確かめたかった。けど。
ぼんやりする頭を一振りする。
今さらそんなこと、聞く必要もない。俺には親なんかいなかった。母さんですら俺のことをデイラのために作ったんだ。
俺が生きてきたことに、何の変わりもないのに。
どうしたらいいのか、分からなくなっていた。
食事はおいしかった。
すべて見たことのないものだったが、味を想像してから食べると想像が当たっていたり外れたり、面白い。
白いぷるんとした丸い粒が、房になっている果物が甘くておいしい。
すっかり平らげると、窓の外を見る。歩いてみることにする。
今は室内にはシンカ一人だ。
テーブルを回転させて押しやると、もぞもぞと足を動かしてみる。床に足を下ろす。
普通だ。裸足に床がひんやりして気持ちいい。立ち上がる。
「わっ」
体が重い。歩こうとすると少しもつれる。その時、部屋の扉が開いた。
「シンカ!」
セイ・リンが声をかける。隣にいる、レクトが笑った。
「情けないな」
シンカは壁に両手をついてやっと立っている。
「レクト!」
片手を離し振り向いてレクトを睨むと、バランスを崩して座り込む。
「っいて」
「いきなりは無理よ。ばかね、ここはリドラ星基準なのよ。重力があなたの惑星より少し強いの」
セイ・リンが駆け寄る。
「ほら」
手を差し出したのはレクトだ。
シンカは躊躇するが、男はごく自然な動作で手を引いて立たせるとシンカの肩を抱いて歩かせる。
シンカの中にどんな感情が渦巻いているのか、それを疑いもしない様子で。
レクトはデイラを滅ぼした、張本人だ。
シンカの鼓動が早まる。
見上げる。
鍛え上げられた腕は、シキと同じくらいたくましい。身長はシンカより頭ひとつ高い。
切れ長の目に通った鼻筋。少し大きめの口。シキのようなたくましさと、セイ・リンに似た繊細さが同居している不思議な雰囲気だ。
ベッドに腰掛け、改めてシンカは男を見上げた。
この人が、俺が子供の頃、遊んでくれたのは確かなんだ。