5.この国の現実6
「キナリスにも言われただろう?」
あの、不快な馬車のたびを思い出す。
「あんな奴の言葉を信じるの?」
「キナリスは、お前の話が信じられずに、拷問にかけたって俺に話した」
「……それで?」
足元に視線を落とし、シンカはシキを見ようとしない。シキは、再び酒をあおる。
「俺はそこでぶちきれかけていたしな。耳が変だったかもしれん。あの時、お前は平気だったとキナリスは言ったんだ」
「それは……、痛かったさ。つらかったよ」
シンカは痛みを思い出していた。焼きごてを背中に当てられたときの、あの激痛。自然に険しい表情になる。
「でも、傷が残らない。と。治ってしまうといっていた」
「それはさ、だれだって、自然に治るだろ?時間はかかるけど」
そこで、シキは小さくため息をついた。
「お前は、俺たちが駆けつけたとき、傷ひとつなかったよな」
「……化け物とでも言うのか?あの皇帝はそう言っていたけどな。それで、手に余ってユンイラで殺そうとしたんだ。……残念。それも平気さ」
「シンカ?」
シンカは黙り込んだ。
皮肉に浮かんだ一瞬の笑みも、今は消えている。
「昔からそうなんだよ。どんな傷もすぐ治る。母さんには人に言うなって言われていたから、隠していた。だってさ、ただでさえ姿が皆と違うんだ。それ以上、変な奴だって知られたくなかった」
急に顔を上げ、シンカがこれまでにないくらい真剣な表情で、シキに頼む。
「ミンクには黙っていて欲しいんだ」
「あの子だって、俺と同じで、お前を化け物扱いなんかしないぞ」
「……どうだか」
ゴツッ!
シキの拳がシンカの額にあたる。痛い音だ。
「いてっ!何すんだよ」
「信じろといったろう!」
シキは怒っている。
「何だよ、なんでそんな怒るんだよ」
「俺は、お前を信じて、キナリスを裏切ってここまで来た。お前がどんなだろうと、俺の知っているお前を信じている」
シンカが、見開いた青い瞳でシキを見ている。
「なのに、お前は俺を信じないのか?」
「ごめん。信じてるよ」
「じゃあ、いいじゃないか」
「?」ミンクに言えって?
シンカは頭一つ分背の高いシキを見上げた。
「一杯くらい飲んでも」
シンカはそこで初めて気付いた。シキは、酔っている。
いつから、どこからおかしいのか分からないけれど、多分、信じる信じないあたりから記憶には残らないだろう。
「いやだよ。ばか。もう、匂いで十分酔っているよ」
笑い出すシンカ。
「くくく。」
シキも笑う。
翌日、シンカは、村の集会場の外にある、木のベンチで目がさめた。
背中が痛い。気付くと、ベンチの下、つまりシンカの足元に、シキが眠っている。
あきれるよ。恥ずかしい。
あれから、シキと何を語ったのか覚えていない。とにかく、匂いが強烈で、何も考えられなった。
考えられなくて、よかったのかもな。
ふと笑う。
今まで、自分の中で、隠していたこと、いやだと思っていたこと。
そういうことを、すべて「それでいいんだ」といってもらっている気がする。
だから、シキのそばにいると心地いいのかもしれないな。
涼しい朝の空気を吸って、大きく息を吐く。気持ちのいい朝だ。
鳥の声を聞きながら、部屋に戻るとミンクはまだ眠っていた。
室内はいつかミンクに上げた白花の香水が香り、様々な模様の布の中に包まって眠る少女は幻想的ですらある。
一人残したら、きっと悲しむ。
でも。シキがいてくれれば。
「信じないのか」そう言ったシキの言葉を思い出す。
お前がもたもたしているならもらう、そんな冗談も言っていた。冗談か?
違うかも。
ミンクは、やっぱり可愛い。
じっと見つめていたシンカはポツリとつぶやいた。
「…やっぱり、やめた」
ミンクを誰かに取られるなんて許せない。たとえ、シキでも。
「止めちゃうの?」
「そう、やめ……ミンク、起きてたのか!?」
シンカはいつのまにかミンクの頬を手で包んでいたことに気付いて慌てる。
「止めちゃうの?」
同じ質問を繰り返す少女は瞳の色に映える朱色の布を肩にかけたまま、起き上がる。
不安げな様子にシンカは笑った。
「ああ、止める。ミンクを安全なところにおいていこうかと、思ってたけど。止めた。悪いけど、一緒に連れて行くから」
「あ、止めるってそういうこと?」
「え?なんだと思ったんだ?」
ミンクは頬を赤くして拗ねたように視線をそらす。
「なんだよ?なんだと思ったんだよ?なぁ!」
「なんでもないもん!もう、いいから向こうにいってよ!」
口調とは裏腹に布に顔を隠そうとする。真っ赤になって、何を想像したんだ?
「なんでもないって言われると気になるだろ?」
「やだやだ、言わない!」
「言えってば」
「やだ!ずるいよ、言わないもん!」
「…キスしていい?」
「!!!!!」
まん丸に見開いた目に半分涙を浮かべているミンクに、シンカは笑い出した。
くく、あはははは!
「男のそういう想像力は逞しいんだからさ。わかんない分けないだろ?」
「い、意地悪!!」
「それとも眠ってる間が良かった?」
「シンカ!」
だめだ、やっぱり手放すなんて出来ない。
しっかりミンクの唇はいただくことにして、シンカは覚悟を決める。
そばにいるからには護らなければ。
シキは、村長と話をし、鍋をひとつもらって戻ってきた。
一夜の仮宿を出ようとしたところに、ガガンがグラン・スーを連れてやってきた。
ミンクはなんと言っていいか、わからない顔をしていた。
「お別れを言いにきたの。あたし、ミンクにあえてすごいうれしかったよ。一緒に旅して、いろんな町を見てみたいって思った。でも、あたしにはグラン・スーがいるし。お父さんもいるし」
「うん」
ミンクがうなずいた。やさしい笑顔だ。
「また、いつでも来てね」
ガガンとミンクはそっと抱き合う。
「その」
今まで黙っていたグラン・スーが口を開いた。
「すまなかった。わしは、どうも、その、どうかしていたんじゃ」
「いいえ、こちらこそすみませんでした。事情もわからないのに、ひどいこと言ってしまって」
ミンクが笑って手を差し出した。
老婆は恐る恐るミンクの手を握った。痩せたしわのある手は弱々しく冷えていた。彼女の生きてきた時間がそこに見て取れるように思い、ミンクはぎゅと握り返した。娘を思い出しているのだろうか、グラン・スーの濁りかけた小さな黒い瞳には涙が浮かんでいた。
「また、いつでも来るがよい。歓迎するよ。あの子が生き返ったようじゃ」
「はい。ありがとうございます」
シキにはミンクが少し大人びたように見えた。
ガガンの村から半日ほど山を登ったところで、シキが休憩を要求する愚痴を始める。なだめているうちにシンカがユンイラを見つけた。
ユンイラは、薄い緑の色の葉で、根から伸びるまっすぐな太めな茎に四枚が対に生える。
茎には細かい毛が生え、その先から粘液を出すため、人によっては皮膚がかぶれる。
茎には触らないように、器用に葉だけを切り落とし、沸かした湯にさっと浸す。
色が薄紫に変わったところを水で冷やし、細かく刻む。
粗い布にくるみ、ぎゅっと絞る。青い滴がいくつか落ちる。
これを繰り返し、以前もらったユンイラの小ビンに一杯になるまでためた。
「この沸かした湯に、青い輝石が必要なんだ。この首飾りにはね、青い輝石と、金、銀、水晶とがちょうどいいバランスで使われているんだ。ミンクのお守りになると思ってさ」
シンカはミンクにあげた首飾りをそのまま鍋に入れている。
無理をしなくても女を幸せにできる性格、シキはそう評してシンカをからかう。
常に相手のことを思い遣っているから、その行動が後になって生きてくる。運がいいというのは、こういう事なのかもしれない。