3.聖帝と呼ばれた男 5
案内されたのは質素だが居心地のいい部屋だった。窓が二つあり、夕暮れの涼しい風が入ってくる。
日よけの麻布が、薄くやわらかい光を投げかける。
「シキどの。まもなく僧正様がいらっしゃいます。その時には、きちんと説明してください
ね。」
先ほどの門番の僧侶とは少し各が違うのだろう、綺麗な発音の丁寧な言葉で案内してくれた僧侶がいった。
横たわるミンクの傍らに、シンカが座る。
その姿は、とらわれた野生動物の子供が、互いをいたわる姿のようだ。
ミンクの言葉がこたえたのか、シンカは元気がない。
ミンクの前で、好きな女の子の前で、めいっぱい意地を張っていたのだろうに。
シキは、つくづく、シンカを面白い奴だと思った。どうやら、単なる子供でもなさそうだ。
興味半分ではあるが、まあ、二人の助けにはなれるだろう。
「シンカ。なあ、どうする。」
案内の僧侶が部屋を出ると、シキが聞いた。
「うん。ミンクに『ユンイラのしずく』をもらいたいんだ。話せるとこまで話す。大丈夫だよ。シキ。心配しないで。」
笑顔を見せる少年が、痛々しい。
「おっさん、何珍しい顔してんだよ。そういうまじめな顔で女をくどけば、もっともてるのに。」
「十分もててるぞ、俺は」
僧正と呼ばれる偉そうな老人が部屋に入ってきた。従者を四人も従えている。腰に僧侶独特の柄の長い刀をもち、疑わしそうな目でシンカたちを睨むが、ミンクの姿を見るなり表情を変えた。畏れというのだろうか、態度も少し変わる。
神だなんてほんとに思っているのか。
「この娘が、デイラからきたというのか」
僧正は、シキにたずねる。
「そうです」
シンカが答える。
僧正は、今はじめて気付いたかのようにシンカを見つめ、改めて向き直ると、今度はシン
カに尋ねる。長い白いひげをなでている。その手に視線を奪われたまま、シンカは話を聞いていた。
「なぜ、デイラからでたのじゃ。聖地であるデイラを出ることは許されぬはず。」
別に聖地なんかじゃない。
「ユンイラの畑が、燃えてしまったので、仕方なく」
僧侶たちがざわめいた。
シンカは、周りの僧侶たちを見回した。
「畑が燃えたじゃと?まさか」
僧正が眉間にしわを寄せ、もう一度確かめるようにシンカを見つめた。
シンカは大き目の青い瞳で、それに答える。
「本当です。それを、聖帝キナリスにお知らせしようと思って。あと、この子に『ユンイラのしずく』をいただきたいのです。もし、こちらにあるのでしたら、分けていただけませんか」
ざわめきがいっそう大きくなる。
「残念じゃが、ユンイラは聖帝自らが授けてくれるもの。この寺院とて、一滴も持ち合わせていないのじゃ」
「そんな」
こんな大きな寺院ならと思った。甘かった。
「僧正、この子は聖地のただ一人の生き残り。このままでは、死んでしまいます。」
シキがうったえる。
「ここから、聖都は半日もかかりません。お願いです。今すぐ、私たちを行かせてください!」
ミンクの手を握っていたシンカも立ち上がる。従者たちが、互いに見合わせ動揺している。
僧正は、シンカの瞳を穏やかに見つめた。
「私が聖帝に使いを出そう。だれか迎えをよこすようにと。『ユンイラのしずく』を持ってな。今、その娘を動かすことは、感心せん。」
「……私も行きますよ。僧正」
シキが前に出る。
「シキ?」
シンカが不安げに、黒髪の男を見上げた。
「聖帝キナリスには面識があります」
「おお、それはまた、ありがたい。貴族のご子息か?」
僧正の表情が緩む。
貴族?強盗もどきのシキが?
シンカの視線に照れるように苦笑いすると、シキは言った。
「いや、貴族ではないが。まあ、寺院の従者殿の助けにはなるでしょう」
シンカは、ここに残されることが少し不安だ。僧侶なんて得たいが知れない。
僧正は、シキの手を取り、お辞儀をした。
「では、頼みます。」
大人たちが、話をしながら部屋を出て行くと、シンカは再びミンクの横に座った。
熱が高いようだ。ユンイラさえあれば。
額にそっと手をあてる。ミンクの熱が手のひらを通してシンカに流れ込むかのようだ。
明日、きっと明日の午後には、シキが戻ってきてくれる。
「もうちょっと、我慢してくれよ。ごめんな、ミンク」
額にキスして、そっと立ち上がる。水でももらいに行こう。
「……母さん」
ミンクがうなされている。かすかな叫びがあのデイラを思い出させた。
あのデイラの崩壊から、五日しかたっていない。無理もない。
シンカはぎゅっと目を閉じた。
俺たち、どうなるんだろう。