ソクラテスの弁明に観る正義感と哲学
ソクラテスの弁明に観る正義感と哲学
ギリシャ哲学の大家、ソクラテスは彼を排斥しようとする権力者たちによって陥れられ、無実の罪で死罪を言い渡される
巨大なギリシャ国家で、賢者として最も誉高く、未来ある若者たちを教育して導いたソクラテスの終焉は、冤罪による死だった
ソクラテスの最後を物語る裁判の模様を、愛弟子プラトンが記した「ソクラテスの弁明」
そこでソクラテスは様々なことを説きながら、敢然と悪に立ち向かい、孤高に正義を貫いてゆく
ソクラテスの弁論には、この時、この裁判こそ、自身の待ち望んだ最期の闘争だと、若き日から覚悟し、準備していたということが、節々に垣間見えている
無知の知、イデア論、哲学の課題として多くの議論を数千年も巻き起こす世紀の裁判の弁論の奥底に、ソクラテスの厚みのある完成された人格、正義の信念を強く感じる
無知の知は、学問を真剣に学ぶ者が悟る一つの確かな真理である
そしてイデア論とは、ソクラテスの考えていた「完全なる人格、人間性」を指すのではあるまいか
人間は自身が望めば、完全な人格を形成することができる
それは全知全能の超常的な幻想では決してなく
たとえば、一つの技術、一つの人格の長所
それを長い年月をかけて努力し、磨いていくこと
そうすることで、他に並び立つものなき自分が誇る最大の長所となり、完全な良所、人格となるのである
つまり、努力次第で人はなんにでも優れた人間にもなり、その一個の優れた長所は、幻想の存在でもある神にも通じるというもの
ニュアンス的な言葉になるが、優れた職人の技術や技を「神業!」と感嘆して評することがある
神にも通じるとは、神業とも言えるほどに、一個のことに集中し、打ち込んで努力したことを指す
ソクラテスの弁論は、後世の若者達への最後の知恵の教授であり、悪との最後の闘争でもあった
ソクラテスは冒頭から終始して、正義の人を苦しめる最も罪深き悪とは何かを問う
それは、正義の人を迫害しようとする悪意のある噂話、つまりデマや嘘である
正義の人を迫害しようとして広められた嘘やデマは、剣よりも恐ろしい破壊力と速度で広まるという
中傷誹謗ほど、正義の人を迫害する力はないのだと冒頭から話し、そこから権力に固執する者たちの醜さ、知恵ある者への嫉妬の愚かさなど、痛烈に悪の本質を暴いていく
結果としてソクラテスは冤罪による死は逃れられず、死刑を言い渡された後、自ら望んで毒杯をあおいで死ぬ
悪を恐れず、未来の若者たちを信じて、正義の信念に生きたソクラテスの最後は潔く、美しい
ソクラテスのその信念と知恵は、プラトンら多くの若者らに受け継がれ、各地に影響をもたらしていく
そしてその流れを汲むアリストテレスから、アレクサンドロスという東西を結ぶ偉大な大王の存在へと繋がっていく
ソクラテスの人生は、学問の分野に生きる者のあるべき姿であり、理想ではないだろうか