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王女様は王子様に婚約破棄を叩きつける

 解放しよう。


 とは思ったものの、辛いものは辛い。

 その後、やっぱり涙はとめどなくこぼれ、アルテッサはわんわんと泣いた。

 ジリアスはその隣でずっと手を握っていてくれた。

 再び二人で並んでベンチに座る。

 夜の空気はひんやりと冷たい。

 ジリアスが、中庭に現れた時と同じように上着を差し出した。今度はアルテッサもそれを受け取る。


 肩にかけられた上着から、慣れたジリアスの匂いが仄かに香った。

 落ち着く匂い。ずっと一緒にいた匂い。

 でもこれからは無くなってしまう匂い。


 思った途端、また涙が溢れ出す。


 どのくらいそうしていただろう。

 身体中の水分全てを使ってしまったんじゃないだろうかと、疑ってしまうくらいたくさん泣いて、喉がからからになった頃、アルテッサは上着をジリアスに返した。


「先に会場に戻って。私はもう少しここにいるわ」

「大丈夫?」

「ええ、大丈夫」


 大丈夫だ、自分はもう大丈夫。


 遠のくジリアスの背を見送る。

 いつの間にか凪いだ夜風。

 残り香だけだ未練たらしくアルテッサの身体を包んでいた。

 それを思いっきり吸い込んで、吐き出す。

 もう、泣くのは終わり。


 ずっとこの場にいたい気持ちに叱咤して、アルテッサも立ち上がった。

 とにかく歩き出さなくては。

 重い足で中庭を後にした。

 


 舞踏会の会場に入る前に、アルテッサは一度自室へ戻った。

 宝石箱や香水の並んだ鏡台の上に置かれたそれを手に取る。

 朱塗りの笛。

 これはもう必要のない。

 笛を握りしめ、明かりが抑えられた暗がりの廊下を歩く。

 会場へと向かう足取りは未だに鉛のように重いが、前には進んでいる。


 大丈夫、大丈夫。

 

 会場の扉が近づく。

 警護の兵士がアルテッサに気がつき扉を開けようとしてくれた。


「いえ、いいわ。私が自分で開けます」


 深呼吸を一つ。

 指を目元に持っていき、濡れていないことを確認する。

 瞼が少し腫れぼったくなっていた。部屋に戻った時、少し冷やしたのだけれど戻らなかったようだ。


 気付かれるかな。でも、仕方ない。


 何かあったのかと勘繰る人間は多いだろう。

 それでも、その疑問を寄せ付ける隙を与えることなく堂々としていよう。

 背筋を伸ばす。

 扉に手をかける。

 わずかに開いた扉から零れる会場の煌びやかな光に、一瞬怯む。

 唇を噛み、瞼をぎゅっと閉じる。

 扉を押し開く。

 

 薄暗い廊下にいたので、あふれる光に目がくらんだ。

 でも慣れなければいけない。

 ここが、アルテッサのいる場所なのだから。

 

 王女様と王子様はこの王宮で出会い、婚約した。

 二人はこの会場で何回もダンスを踊り、喝采を浴びた。

 王女様は自分の思い通りに毎日を過ごし、王子様は心を犠牲にして笑顔ですべてを受け入れた。

 それはこれからも続くはずのことだった。

 でも無理だった。

 王子様の心が弱かったから?

 王女様が我儘すぎたから?

 どちらもそうだったかもしれないし、他に理由があったのかもしれない。

 婚約は国の責務であったはずなのに王女様は婚約を破棄すること選んだ。

 それはもう、王子様と一緒に心からの笑顔でダンスをすることは出来ないと分かってしまったから。

 結びつくことのない思いを抱えて、王子様の隣を歩いていくことが無理だと思ってしまったから。

 そして何よりも、自分と居ることで苦悩する王子様を見ていたくなかったから。


 婚約破棄の理由はフィリックが作ってくれた。

 『王女様が婚約者である王子様に飽きて、他の男を選ばれた』

 ジリアスの噂が先だろうと、王女であるアルテッサの最近の行動がより信憑性があることは示せたはずだ。

 王女が捨てた男という目では見られるだろうが、一方的に悪いと言われることはなくなる。

 アルテッサ自身には身勝手な我儘王女と陰口がつきまとうかもしれないが、アルテッサの未来の君主としての行動次第で挽回だってできるはずだ。

 

 そう、これはアルテッサの最後の我儘だ。


 隣国の人質王子から。

 王女の婚約者から。

 そしてアルテッサから離れることでジリアスが思いつめることがなくなるなら。

 彼の幸福に繋がるのなら。

 この煌びやかで騒々しくて、光もあれば影もあるこの舞踏会に一人でだって立っていこう。


 アルテッサは口を開いた。


「皆々様、お話がございます」



 この日、大陸一大きな国の王女様が婚約破棄をした。

 

 大勢の貴族の前で、淡々と響くまだ年若い王女の声は、震えることなく威厳すら感じるほどだったという。

 婚約破棄の宣言の後、王女は手に持っていた朱塗りの笛を掲げた。

 その場にいた人々すべての目が、王女の左手に集中した。

 王女は一点を見つめた。

 その先にはこの一件の当事者である王子がいた。

 二人は終始見つめあったままで、言葉を交わさない。

 誰もが見つめる中、王女の左手が振り下ろされる。

 異国情緒あふれた、その場では異質な朱塗りの笛が勢いよく大理石の床に叩きつけられる。

 あたりが静まりかえる中、澄んだ音が、もの悲しくも綺麗に響いた。

 王女は疲れたような寂しい顔をしたあと、それを拭い去るように微笑んだ。

 笑みを向けられた王子もまた、小首を傾げて微笑む。


 舞踏会の会場に再び喧騒が戻った。

 人々が動き出す。

 王女が婚約破棄をしたことは次の日には国中に知れ渡った。


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