王女様、選ぶ
振り切ったと思ったはずなのに、揺れてしまった。
アルテッサは笛を見つめた。
あの日から色褪せることのない朱色が、薄暗がりの倉庫でも見てとれ、胸をきゅっと締め付ける。
この笛が欲しくて、ジリアスから奪い取る同然に手に入れた。
だけど結局、笛を差し出した時のあのジリアスの悲しげな表情が心に突き刺さり、すぐにこの倉庫に仕舞い込んでしまった。
見たくなくて、思い出したくなくて。
アルテッサは笛を一撫でして、あたりを見回した。
暗い棚には星の瞬きのような宝石や雲のように軽く羽のように柔らかな布が乱雑に詰め込まれている。
天窓からの光を受けてキラキラ、舞い上がった埃が金粉のように輝いて見える。
この倉庫には今までアルテッサに献上された品、自ら作らせて必要としなくなった品、そのうち使うかも愛でるかもと思いながら仕舞って忘れてしまった品が保管されていた。
アルテッサは物を捨てたことがない。
捨てる必要がなかったからだ。
いらなくなったら、飽きてしまったら、もう見たくないものだったら……この倉庫にしまって忘れてしまえばいい。
ほとぼりが冷めて、また愛でたくなったら手に取ればいい。
ジリアスだってそうすればいいのかもしれない。
誰にも目に触れることのない、逃げることのできない場所に閉じ込めてしまえばいいのかもしれない。
アルテッサだけがジリアスに好きな時に会いに行く。
そうすれば今回のようにはならない。
そういえば、自分の妾妃を嫉妬に狂って両脚を切り落とし鎖に繋いで幽閉した王様が何代か前にいたなぁ。
アルテッサはぼんやりとそんなことを考えた。
知らず、笛を握った手に力が入る。
でも、それはアルテッサが本当に望んでいることではない気がする。
ジリアスを幽閉したいと思っているのなら、この笛を見てこんなに苦々しい気持ちにはならないはずだ。
ジリアスはたぶん、王女の婚約者という立場から解放されたいんじゃないかしら。
好きな人がいるか聞いた時、ジリアスは自分の立場と感情を切り離して考えていた。
二人の間にある対等でない婚約という関係は、心を縛る鎖だ。
アルテッサの意向一つでジリアスの心身ともに引き裂くことができる。
鎖の中。正しい答えを導きださなければ明日をも知れぬ状況。現況は横暴にも甘い言葉を、脅しながら要求する。
そんな状況で恋愛ができるのか。
他に救いを求めて文句が言えるのか。
笛の朱が冴え冴えと目に映る。
この笛を手に入れた時、本当は違う態度で接していれば良かった。
ジリアスを跪かせるのではなく、もっと違った形。
一緒に吹こう。一緒に楽しもう。
そう言えていれば。
でも、もう遅い。
時が経ち、築かれてしまった関係は侍女や家臣も巻き込んでも戻すことはできない。
何よりアルテッサの中にも今度のことで疑惑の種は撒かれ、信頼を肥やしにひっそりと芽吹いている。
できることはただ一つ。
アルテッサは顔を上げ、どこかにいるであろう虎の精霊に声をかけた。
「リリーテ、私、ドレスをどちらにするか決めたわ」




