表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

日記


 暗い部屋に、一つの蝋燭の光が灯された。

 蝋燭の前に居る、一人の老人の横顔に弱々しい光があたる。

 はじめは弱々しかった蝋燭の明かりは、酸素を呑み込み、次第に強くなっていく。それに比例し、部屋を照らす明かりもよりいっそう強くなった。


 老人は白い口髭と白髪を生やしており、その白いそれは揺り椅子の上で、老いた人の雰囲気と同調するようにゆっくりと揺られている。老人の膝には温かそうな膝掛けに、湯気のたっている、これまた温かそうなマグカップが手と共に置かれていた。

 老人は思いふけているのか、懐かしいものを見ているかのような、穏やかな目で遠くを眺めている。

 不意に老人は、周りを見渡した。部屋は薄暗いのを考慮しても目立つものはなく、木製のテーブルと本棚の最小限の家具しかなかった。無機質な木の壁がさらに寂しさを強調している。

 老人は本棚に目を止めると、その本棚に手を伸ばし、一冊の本を取り出した。その本の表紙には『日記』と書いてある。

 老人は温かそうなコーヒーが入ったマグカップをテーブルに置き、『日記』という本を我が膝の上で開いた。

 しかし老人は本を開いた直後、内容を見ることなくまぶたを落としていた。


 寂しい部屋には、老人の小さな寝息だけが響きわたった。



 老人は夢の中の森でさ迷っていた。

 老人は本能に従うかの如く、何も考えずに真っ直ぐに歩いている。


 背の高い、生い茂る木々は、真っ昼間であろうというのにも関わらず、昼の陽の光さえも地に届かせてはいなかった。

 柔らかい土を踏みしめ、時折、枯れ枝が折れる音を耳に入れながら、一歩ずつ、着々と前に進んでいる。その間、それ以外の音は何もない。生き物たちの鳴き声は勿論、風が流れる音すらしないのだ。

 しばらく時間が経つと、そんな無音であった筈の空間にカーン、カーンという、金属と金属がぶつかり合う音が定期的に響いた。

 老人は迷うことなく、音のするであろう方向へ向かう。無意識なのか、自然と老人の足取りは速くなっていた。

 老人が音源に近づくにつれ、定期的な金属を叩く音も大きくなっている。

 老人は次第に小走りになり、駆けた。

 瞬間、延々と続くであろうと思われた深い森は消え去り、ひらけた場所に出た。

 老人の足下には柔らかい腐葉土ではなく、しっかりした足場――石畳があった。よく見渡すと、石畳は全域に敷かれ、まるでそこ一帯は広場のようである。そして、その広場の中央には赤いレンガで造られた、半円球型の〝炉〟があった。

 老人は呆然としていたが、直ぐ様我に返り、炉の前に存在する影に近づいた。後ろ姿からは、その影は少年だということが伺えた。

 老人はこつこつと足音を出しながら近づいたにも関わらず、少年は老人に気付くことなく、金槌を振り下ろす作業を繰り返している。

 老人はどんな少年が、どんな事をしているのか気になり、覗き込もうとする。だが、その必要はなかった。何故なら、屈んでいた少年は慌てたように顔を上げたのだ。

 慌てて顔を上げた少年は、悲鳴めいた声をあげる。

「どっ、うわーっ!! ひっ、ひびが入っどるゎああっ!!」

 そう言いながら炉に駆け寄った。


 少年が慌てて顔を上げたのは老人が視界に入ったからではなかったようだ。

 老人は少年に声をかけようとしていたが、少年の慌てように躊躇ためらわれたのか、老人の前に出ていた右手は虚しく空を握った。

 少年は炉に金挟みを突っ込み、一つの白く、美しい陶器を取り出した。少年は其を「商品にならない」と呟き、金挟みで持ったまま石畳に叩きつけた。無論、陶器は粉々になり、破片は辺りに飛び散った。

 少年はその事など気にせずに、何事もなかったかのように、先程の――鉄の塊を金槌で叩く作業に戻った。


 老人は言葉にできない程に驚いている。無理もない。何故なら目の前に居る少年は、若き頃の老人その人であったのだ。

 老人は幼き頃の自分の肩に手を掛けようとした。だが、老人の手は少年の肩に触れることなくすり抜けた。

 老人は一瞬驚いた顔つきになるが、再度少年の体に触れないことを確認すると、その手で悔しそうに拳をつくった。

 所詮、今の光景は残像のようなものであり、自分に干渉することはかなわないことを、一人老人は思い出す。


 少年はいつのまにか陶器や包丁などの商品をまとめ、黒光りするトランクに押し込んで立ちあがった。その少年の姿を最後に景色が変わった。


 場面は移り、賑やかな場所である。

 何処かの大きな街なのだろうか。先程の森とは打って変わり、足音や話し声、商人の呼び声等の、人が生み出すざわめきが絶えず響いていた。

 木製の家々が建ち並び、その間にある通りには、所狭しと市場が成り立っていた。

 その一部の中に、少年は埋もれるように存在している。

 少年はござをひろげ、その上に売り物の品々を並べている。商品を並べ終えた少年は客寄せもせずに、未だ肌寒い空気に備え、マントを羽織り、絵を描きながら客を待つのであった。


 老人は、深い緑色の、オリーブ色のマントに身を包んだ、絵を描いている少年を眺めていた。スケッチブックの上を、少年に握られた木炭が踊る。踊った木炭の軌跡に黒い線が残され、紙の上に一つの世界が創造されてゆく。

 少年の創造していく世界――絵は、大きな鳥に小兎が捕らえられる瞬間であった。その絵は力強い翼、鋭い爪と嘴の雰囲気が伝わり、飛び散る泥まで描かれることにより、さらに迫力を引き立てていた。一言で言い表せれば、非常に上手いとしか言いようがない。

 少年は描き終えた一作を、懐から取り出した細いナイフでスケッチブックから切り離す。そうして一枚の紙切れを、五シックル銅貨という、パンが二つも買えるのかわからない程の安さで商品の一つとして並べるのだ。

 少年は新たにスケッチブックに木炭を踊らせる。その少年の描く姿は様になり、端から見ても格好良かった。

 少年はあまりにも絵を描く事に集中していたためか、近付いている小さな存在に気付くことができなかった。小さな存在は――少女は少年の前に立ち、明るい、小さな声でこう囁くのだ。

「絵描きのお兄さん、今日も見つけたよ」と。


 ワンピース調の衣服の上に、カーディガンを羽織ったポニーテールの少女。静かに微笑む少女は、正に天使の様であった。


 少年の背後で見ていた老人は、少女が彼女だと一目でわかってしまった。恋い焦がれた、永遠の片想いの相手。今は亡き、幼き頃の彼女だと。

 老人は、このような形であれど、彼女の姿を見れて嬉しいのか、目に涙をため、唇を噛みしめていた。

 少年は彼女――いや、少女に言葉を返す。

「あちゃぁ、今日も見つかっちゃったか。しょうがない。どうぞ僕の隣にお座り」

 少年はそう言って、椅子がわりに座っていた角材に、人一人分座れそうな場所を空ける。

 少女はちょこんと少年の左隣に腰を下ろす。そして、少年の線ばかりでぐちゃぐちゃになったスケッチブックを覗き込み、少年に話しかけた。

「お兄さん。今は何かいてるの?」

「何を描いてるんだろ? 何が描きたいんだろ? 自分でもわからないや」

 そう曖昧に答える少年。

 老人はそんな少年に――過去の自分に嫌気を覚える。


 少年は木炭を踊らせ続ける。

 その間、少女は膝を抱えながら、少年の動作を飽きもせず眺め続ける。

 少女の靴下も履いていない木靴履いた足が、膝を抱えて縮こまった体が、小刻みに震える動作が、目に入る全てが寒そうであった。老人はその小さな訴えに気付けない幼い自分に、さらに苛立ちを覚えるのだ。


 少年は五分程経って、はじめて少女が震えている事に気が付いた。少年はマントで自身と少女の二人を包んだ。少女は「有り難う。あたたかいね」と言って距離を詰めてくれた。


 その時、どうしようにも無いほどに少女を抱きしめたいという衝動にかられたことを老人は覚えている。

 別に最初から好意を持っていた訳ではない。あの時はただ単に、純粋に嬉しかったのだ。

 呪いを受けて不死となった体。今まで慣れ親しんだ村人たちは、少年を魔物と称して迫害した。そして何ものにも近付かれることもなくなり、孤独になった。

 そんな時に現れた少女は、魔法を使う少年を警戒することなく近寄り、話し、聞き、人の心の温かさを再三教えてくれた。

 子供だから、全てを理解しきれているとは断言できない。だが、それでも少年は確かに少女に温かさを感じていたのだ。


 そして、今目の前では、密着さえしているのだ。今まで誰にも近寄られもしなかった分、少年は心の中で泣いて喜んでいたに違いないのだろう。


 飽きたのか、しばらくして少年はスケッチブックを片付けた。

 少女はそれを見て、少年のマントごと腕にしがみつき、甘えるような、すがるような幼い声あげるのだ。

「お兄ちゃん、もう帰っちゃうの?」と。

 少年は乾いた笑い声を漏らし、「まだ帰んないよ」と、揶揄するような口調で返した。

 少女は少年に帰られることが不安なのか、「本当に? 本当に?」と、握る力を強くさせながら幾度も訊ねるのである。


 その光景を見て、少年の存在を求めるかのような少女の潤んだ瞳に、いとおしさを無意識に感じたのではないかと、老人は今更ながら思い、恥じた感情を込めて自分自身に対して苦笑いした。


 少年は右手だけでトランクの中をあさりながら少女に言った。

「好きな動物はなんだい?」

 少女は手を少年の腕に巻つけたまま、少し考えてから答えた。

「う~んと。……猫ちゃん」

「む。猫ちゃんときたか。少し待ってて」

 相づちを打つ少年は、未だにトランクをあさっている。片手だと不便なのだろうが、少年は少女の体温感じ続けていたいのだろうか、「僕の手を放して」とは決して言わなかった。


 少年がやっとの事で探り当てた物は、立体の長方形の木材だった。少年の手におさまる程の小さな木材を左手に持ち直すと、絵を切り離したナイフとは別のナイフを、懐から取り出した。

 少女は尚、巻つけた手を離さずにいる。

 それどころか少女は興味津々であり、近くで見ようと、体を先程より密着させた。


 老人はそれを見て、もやもやした気分になる。


 少年は少女の表情をチラリと確認すると、一気に木を削りだす。

 おそらく、少女の驚いた表情と喜んだ表情が見たくての行動なのだろう。


 削りだされた彫刻は、やはり猫であった。

 少年は出来上がった猫の彫刻を手渡した。少女は手渡された彫刻を、珍しげにあらゆる角度から眺めている。

「良かったら差し上げますよ、お嬢様」

 ふざけた口調で声を出したのは、勿論少年である。しかし少女は、ふざけた少年の物言いなど気にせずに、「本当に?」と、目を輝かせるばかりだった。

 少年が構わないと答えると、少女は本当に嬉しそうに「有り難う。絵描きのお兄さん」と呟くのだ。

 それに対して少年は、

「おう。どうせなら、『芸術家のお兄さん』と呼びたまえ」

 という始末。呆れたものだ。


 老人の体がプルプル震えているのは気にしてはいけない。


 少女はというと、にっこりと笑い、「うん。有り難う、芸術家のお兄さん」と、しっかり言い直している。

 律儀な性格である。


 途端に老人は嗚咽とともに膝をついた。

「うっ、あああぁぁああああっ!!」

 膝をついた瞬間、嗚咽は絶叫へと変わる。

 しかし、老人の叫びなど二人に聞こえるわけがなく、二人は楽し気に話し続けるのだ。

 二人からは、

「描きたいもの、見つかった」

「何を描くの? なになに?」

 という会話が聞こえる。

 その最中にも老人はうなり、叫び続けた。

「うぅっ、私は、私はあぁぁ――」

 老人は目を覆い、頭を抱える。

「――私は、人間に戻れなくても良かったんだ。……私は平和さえ――幸福さえあれば、化け物と蔑まされ続けたとしても……良かったんだ。この事に、今更気付くなんて」

 老人は涙をこぼし、泣いた。泣きわめいた。大人とは思えない程に、幼い子供のように声を出して泣いた。


 いつしか記憶の断片の景色は終わり、老人の周りは闇が覆っていた。


 老人は泣き止むも、しゃくりあげながら自身の両手を暫く眺める。

 そして、また顔を覆い、情けなく呟いた。

「あの頃に帰りたい」と。



 老人は目を覚ました。

 老人の頬には、涙が流れた跡が筋となって光っている。


 老人は以前と変わらぬ、寂しく暗い部屋を見渡した。今しがた火を灯した蝋燭や未だに湯気が出ているマグカップを見て、然程さほど時間が経っていないことがわかる。

 老人はコーヒーをすすり、ゆっくりと息をはく。少しばかり余韻に浸り、マグカップをテーブルに置き直した。

 マグカップを置くと、直ぐに老人は日記を手に取る。すると、再び老人の目から涙が溢れた。

 老人は流れる涙を拭おうともせず、次のページをめくった。


 老人は再びまぶたを落とした。

 だが、眠るような雰囲気は出ておらず、目をつぶっただけのような姿だ。

 徐々に意識を失った。




 老人は自身の小屋の前にいる。勿論、夢の中で、だ。

 老人は扉を開ける。扉を開けて、すぐ目に入ったのが少年の後ろ姿。背もたれのない椅子に座って机に向かい、何かの作業をしている。前のめりになって机の上の何かと対峙していることから、なんとなく細かい作業ということがわかる。


 それにしても部屋が暗い。完全な夜の雰囲気ではないものの、黄昏時くらいだ。その中で何かをしている少年は、端から見れば滑稽な姿だ。


 老人は少し反省した後、少年の真正面に回り込む。少年が影で見えていなかったのだが、机の上には金や白金、宝石類等の貴金属があった。貴金属たち――特に宝石類は、黄昏時という、光が少ない時間にもかかわらず、極めて少ない光を屈折させ、各々が鮮やかに輝いていた。机の上だけは、まるで幻想世界だ。

 老人が少年の手元を見ると、指輪がある。

 沢山の宝石類等に埋もれて気付かなかったが、他にも腕輪やネックレスや耳飾りがあった。どうやら商品作りのようだ。

 いや、少年は指輪に――商品に少年らしからぬ事をしている。指輪の内側にイニシャルを彫っているのだ。


 老人はそれを見て納得した。しかし、それと同時に酷く悲しみの表情が見てとれた。

 彫られたのは彼女のイニシャル。当時のあわせ持つ技術、高価な宝石の全てを――そして、愛と感謝と償いの意を込めて作り上げたそれは、最後に彼女に手渡すに相応しい〝傑作〟であった。


 場面は移り変わる。


 場所はいつかの街の市場。少年は商品を並べている、蓙の上であぐらをかいていた。ただ、いつもと違って何もしていなかった。おそらく、今日を最後にすると決めていたのだろう。多分、緊張の類いの表れだ。


 彼女は現れる。彼女の風貌は以前の〝記憶の断片の景色〟の彼女とは違い、少年の腰あたりしか無かった筈の身長がぐんと伸びていた。さらに幼さを感じさせない、ませた服装が彼女の成長を感じさせる。歳は十四といったところだ。

 それに反して、老いも成長もない少年は何も変わっていなかった。

 彼女は身長も変わらない相手に、当時の最後まで「~のお兄さん」と呼び、慕っていてくれていた。

 そして、最後のこの日も「絵描きのお兄さん、おはよう」と言って、横に並んでくれるのだ。

 座った彼女は「今日はどんなお話をしてくれるのですか?」と、わくわくした表情で横から少年の顔を覗きこむ。


 昔、絵にも彫刻にも飽きてきた少女に聞かせた話のことを老人は懐かしんでいた。最初は民話や童話をきかせ、それが尽きたら文字や数学を教えた。そしてそれも尽きたら、昔に旅をしていた話もした。当時、百年も生きていた少年に、話のネタが尽きる事はなかった。

「嗚呼。なんとあの頃は楽しかったのだろうか……」

 自身の思いが言葉となって出る。だが、老人の嘆きに近い言葉は空気に溶けた。老人の思いは過去の二人に届かない。


「うん。今日はいつものとジャンルの違う、哲学っぽい話をしましょう――」と少年。

 彼女の「哲学なんてつまんないよ」という発言を尻目に、少年が一方的に語りだす。

 あの最後に語った話しを老人は今も微かに覚えていたが、幼き自分から――少年の口から無性に聞きたくなった。


 少年は遠くを見るような目で空を眺めながら語りだす。

「実は僕、生きる意味がわかりません。今もわかっていません」

 少年はそう言って、少女が話を聞いているのを確認するように横目で見る。それを確認した後、再び言葉を続ける。


 老人は見据えるような視線を向けて、少年の話を聞いている。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ