五 予知夢
五 予知夢
また男性の殺人事件が起こるかもしれないと、壮志はTVを注意深く見ていた。新聞よりもTVのニュースの方がリアルタイムでわかるはずである。それらしいニュースはないまま、出勤の時間になり、不安に思いながらも壮志は家を出た。
壮志の様子がおかしいのは、誰の目にも明らかだった。目の前で鳴っている電話にも気づかず、いつもやらないような単純なミスが続いた。集中しなくてはと思えば思うほど、壮志は夢のことが気になり、夢の男性のことが気になった。
「壮志、昼だぞ。今日一緒にどうだ?」
昼になってもデスクに座ったままの壮志に、大樹が声をかけてきた。
「ん?あ、ああ。そうだな」
ようやく昼休みに気づいた壮志は、大樹に引っ張られて食事に向かった。
大樹と向い合せに座り、昼食をとる。しばらく黙っていた大樹だったが、ハシを置いて切り出した。
「なあ、壮志。どうしたんだ?最近調子悪いようだし。お前らしくないぞ。心配事があるなら言ってみろよ」
食が進まないのを見て、大樹は心配そうに壮志を見ている。
「俺が?いや、何もないよ」
壮志は、努めて明るく返事をした。
「嘘つくなよ。みんなも気にしてる。何かあるなら話して、すっきりした方がいいぞ」
壮志が答えずにいると、再び大樹が言葉を続けた。
「無理にとは言わないから……とにかく、そう思い込むなよ」
あの悪夢を見てから、みんなに心配をかけているのを、壮志はちゃんとわかっていた。ただ、人に相談できるような悩みではないと思っていたし、何とか自分で解決しなければならないと考えていた。だが、結局周りを心配させ、気を遣わせる結果になってしまっていることを反省し、勇気を出して打ち明けてみることにした。
「心配かけてすまない。最近、おかしいんだ俺」
「おかしいって?」
真剣な顔で、大樹は聞いてくる。
「変な夢を見るんだ。しかも、すごく……恐ろしい夢なんだ」
「恐ろしいって、具体的にどんな夢だよ?」
決心して話し始めたつもりだったが、具体的な夢の内容を伝えるのには躊躇してしまう。
「……血まみれの死体が出てくる夢なんだ」
「死体?夢の中で?」
黙って壮志はうなずいた。夢が原因で落ち込んでると知ったら、いつもの大樹なら笑い飛ばすか、からかっただろう。だがしかし、ここのところの壮志を見ていたら、笑い飛ばすこともからかうこともできなかった。
「ただ死体が出てくるだけなのか?」
「……血まみれの死体が出てくるとき、俺はいつも手にナイフを握ってるんだ」
「人を殺してしまう夢なのか?」
「違う!」
間髪入れずに、壮志は否定した。
「急に死体が現れて、俺は手にナイフを握ってるだけだ。殺す夢じゃない!違う!」
「わかったから、落ち着けよ」
周りのテーブルの人から飛んでくる視線に、大樹は声のトーンを少し下げて壮志をなだめた。
「死体とナイフか……寝る前にホラー系の映画を見たとか、本を読んだからとかじゃないか?よくあるパターンだよ」
「ただ死体が出てくるだけの夢なら、夢だからと思って気にしないこともできた。でも、その夢の死体が現実になったんだ」
壮志は顔を手で覆った。
大樹はうろたえたように、質問を続ける。
「どういうことだよ?現実になったって?」
「夢を見て数日後に、その死体の男が殺されたって、ニュースで見たんだ」
お互いの間に、沈黙の時間が流れた。
言葉をつないだのは大樹であった。
「その人、知り合いなのか?」
「いや、会ったことはない。でも、なぜか初めて見た気がしないんだ」
再び沈黙の時間が流れる。
「たまたま、だよ」
大樹が口を開いた。壮志に言い聞かせながら、自分にも言い聞かせているような感じだった。大樹の言う通りだと言いたかったが、壮志は首を振った。
「夕べ、また見たんだ」
「えっ?」
「死体が出てくる夢」
口をパクパクさせたが、大樹はすぐに言葉が出てこなかった。
「……まさかお前、その人も死体で発見されると思ってるのか?」
「わからない。でも……嫌な予感がするんだ」
大樹は壮志よりも顔色が悪くなっていた。
「よせ、そんなこと考えるの。たまたま悪い夢を見ただけだよ」
「そう、だろうか?」
「そうだよ。最近ずっと忙しかったし、疲れがたまってたんだ」
黙ったままの壮志を見て、大樹は一息おいて、再び話を続けた。
「何なら、一度医者に行ってみたらどうだ?」
「医者に?」
「ああ。そういう精神的な不安が続くようなら、専門家に相談してスッキリさせた方が楽になれるんじゃないか」
大樹は壮志を元気づけるように、笑顔をつくって見せた。
「……そうだな。考えとくよ」
数日が経過したが、それらしい事件は起こらなかった。それでも、壮志は注意深くニュースを見ていた。
朝食をとりながら、コーヒーを飲んでいたときである。アナウンサーがニュースを読み上げた。
「続いてのニュースです。本日未明、さいたま市のビルで、刺殺された男性の遺体が発見されました」
壮志の動きが止まった。口に運びかけたコーヒーを、静かにテーブルに置く。
「被害者の男性の身元はいまだわかっておりませんが、先日の刺殺事件と相似点が多く、同一犯の犯行として、警察では捜査を進めています。続いては……」
アナウンサーが次のニュースを読み始めると、壮志はTVを消した。夢で見た男性とニュースで言っていた被害者は、おそらく同じ人物だろう。
会社でも、壮志は朝のニュースを気にし、ネットを開いて情報を探した。昼過ぎ、ネットの最新ニュースが更新されたときに、被害者の男性を確認できた。やはり、夢の中の男性だった。しばらく目をつぶったまま、壮志は首を垂れて動けずにいた。
仕事を終えると、壮志はいつもと違う方向にルートをとった。到着した所は、心療内科のある病院である。待っている間、周りを見るが、どの人も疲れた顔をしていて、さらに壮志の心を暗くした。自分もこの人たちと同じような顔をしているんだろうと思うと憂うつだったし、きっとこの人たちより自分の状態の方が深刻だと思ったからだ。名前を呼ばれ、診察室に入る。医者は壮志に背を向け、机に向かって書類に何か書き込んでいる。やっと壮志の方に向き直ると、医者が声をかけた。
「で、どうされましたか?」
「その……変な夢を見るんです」
「どういった夢ですか?」
せかすでもなく、間を取るでもなく、淡々と医者は聞いてくる。
「血まみれの死体が出てくる、白黒の夢です」
ためらいはあったが、大樹に一度話してしまっているので、それほど言葉はつまらなかった。
「ほう。血まみれの死体。どういう状態だったか、詳しく覚えていますか?」
「はい。2回見ているんですが、どちらも山小屋の中で、子どもの頃の自分が出てきます。私は血がついたナイフを持っていて、足元に死体が転がっているんです。そして、驚いて叫ぶと同時に目覚めるパターンです」
壮志は一気に話した。医者は壮志の話をうなずきながら聞いていたが、手元にあったボールペンを握ると、コツコツと机をこづき始めた。この医者のくせなのだろう。
「なるほど。私はそちらの専門家ではありませんが、ユングが提唱した夢診断では、死体の持つ意味は、希望や期待が失われることを意味します。また、死体を見ているという場合、状況が新しい局面を迎える前ぶれを表すと言われています」
医者の話を聞きながら、恐る恐る壮志は質問した。
「先生、夢で見た死体が現実になった場合はどうですか?」
「えっ?」
「夢で見た血まみれの死体の男性が、2人とも夢と同じ死に方をしているんです」
医者は眉間にしわを寄せ、ペンで机をこづくスピードが速まる。
「うーむ……そのお2人は知り合いなんですか?」
「いえ、知りません。でも、どこかで見たような気もするんです」
医者は椅子に座り直すと、壮志を見据えてこう告げた。
「ちょっと今のお話だけで判断するのは難しいですね。『予知夢』のようなものでしょうか」
「予知夢?」
「ええ。未来に起こることを夢で見るということです」
壮志は頭の中で『予知夢』という言葉を繰り返し、医者に疑問をぶつけた。
「まったく知らない相手の予知夢なんて見るものでしょうか?」
「さっきも言いましたが、私はそちらの専門ではないので、絶対というわけではありませんが、そういう事例もあるかもしれませんね。それに、あなたはどこかで見た気もするとおっしゃっているわけですから、覚えていないだけで、過去に会ったことがある人なのかもしれませんよ」
確かにそうである。壮志は、夢の男性たちに見覚えがあるような気がしてならないのだ。
「以前、どこかで?」
壮志がつぶやいた言葉は医者に聞こえなかったようで
「眠れないということなら薬を出しますが、どうしますか?」
と、壮志に背を向け、書類に何かを書きこみ始めた。
「いえ、けっこうです。ありがとうございました」
壮志は医者の背中に向かって小さく答えた。