≪連想リレーエッセイ/思う≫
<連想リレーエッセイ>
もう1年以上前だが、マイページの活動報告コメント欄であるユーザーと連想リレーエッセイというものを行った。形式自体はやるより1年くらい前から考えていたものであるが、今日はそれを1人でやってみようかと思う。
<思う>
思う事は沢山ある。ここ半年間はポーカーに関する事を考える時間が増えており、いつ何処に出すのか未定のポーカーコラムが現在15万文字を超えてしまっている。まだまだ続きそうである。物書きならば人目の付く場所に作品を出さなければ意味はないのだろうが、どうもこればかりは書けば書くだけ表には出したくなくないという支離滅裂な気持ちが高まっていくようである。
<支離滅裂>
支離滅裂に人格が分離するという症状がある。最近、多重人格という分野にハマっており、それ関連のサイトを読み漁り、ユーチューブでアップされている動画なんかも観てるのだが、そこで解離性障害である女と男の動画がアップされていた。主人格はうさちゃんというイイカンジの女性であるが、裏人格はハイドというイケメンの男である。この2人(体は1つ)は解離性障害という病気を治療せずに生きていくという道を選んだ人達である。演技を見抜く俺の目から見ても、あれはとても演技とは思えないくらいに、本当に丸っきりの別人の様に感じてしまう。声のトーンや立ち振る舞いは多少、真似れるにしろ、喋り方や物の考え、捉え方が全く違い、実際、別人なのだろうとも思う。体や脳ミソは1つであっても、その1つの体や脳ミソを使い分ける人格が自分の中に複数人いるという症状は存在するのだろうと思う。その動画で面白かったのが主人格の旦那と裏人格のハイドが一緒にストリップに行った動画で、後日、主人格のうさちゃんがそれについての愚痴コメを残すというものであるが、自分等のチャンネルを持っているユーチューバーなので、気になった人はチェックして貰いたいと思うし、コメント等を交換しても面白い様に思われる。俺も最近、その感じに憧れ、俺の中にも、俺自身が気付いていない、もう1人の俺が眠っているのではないかと疑い、もう1人の俺になったつもりで昨日1日過ごしてみたが、いつも通りの俺だった。解離性障害になる原因は幼少時代に起こった辛い経験や自分が耐えられない程の苦痛を味合ったことによって引き起こされるというものが多いらしいので、小2の時、安達君にネリケシの一部を盗まれた思い出がどうにか生きないものかと、当時の悔しさを思い返してみたが、やはり、いつも通りの俺だった。俺には多重人格の才能はないようである。
<才能>
才能とはどういった類のことを指して言うのだろうか。スポーツ選手ならば、そのスポーツに長けているという事で分かるだろうし、ポーカープレイヤーに置いても実績がそれを証明してくれる。しかし、物書に置いては決定的な定義も存在しない様に思える。単純に文章が上手いという事を指して使われる事もあれば、小説に置けるアイデアの奇抜さを認められて使われる場合いもある。それを考えれば、物書きとはなんとアヤフヤな世界であろうか。
<世界>
世界は狭い。世界は広い。どちらの言葉も使われるが、俺は日本からハミ出した事がないので、まだまだ世界を広いと感じる人間である。しかし、本やテレビや動画等で、およそ、こういう国が有り、こういう状況だというのは今の時代、誰もが知っている事ではあるので、知識という面から見れば、昔に比べ、誰もが世界を狭く感じているのではないだろうとも思えている。
<狭い>
狭い場所と広い場所なら断然、広い方が良い。広い方がノビノビ出来る。ゆっくり出来る。ゴロゴロしながら布団で遊べる。俺が明日、引越しをする場所も1ルーム、10LDKで、1人暮らしをするにはそれなりに広い様に思っている。家賃は3万1千円である。都内の者からすれば非常に安く感じるだろうが、熊本ならば、探せば無い事もない程の物件である。
<物件>
幽霊が出る物件は安いといういうのはわりと知られた話だが、死んだ場所にオバケが出るなら、今頃、地球上はオバケだらけである。人より、オバケの方が多いくらいで、人間が現れた方が驚かれてしまう様な状態となってしまう。そうなれば、逆にオバケが出ない物件を見付ける事の方が難しくなってしまい、何処に住もうが、ことあるごとに部屋を通過するオバケ達に挨拶をしなくてはならなくなくなってしまう。霊界の通り道になっている部屋など最悪である。24時間、オバケに気を使わなくてはならずに、カップルで住んでいても、なかなか性行為に走る事が出来ない。とは言え、オバケは、この世に未練があってこそ、出現権を獲得出来る立場ではあるため、まだまだ、人間の方が地球を制しているのだろうとは思えている。今年もよろしく。
<今年もよろしく>
このサイトにおける俺のをマイページをエンジョイしてくれているユーザーは知っているだろうが、俺は仲の良いユーザーとの会話の端々に「今年もよろしく」という言葉を度々挟む。ご存知、今年もよろしくなので、本来の意味についての説明は他のサイトに任せるが、日本で一般的に使われるのは1月である。海外のある国では、たまたま「便所を洗え」という意味のものにも該当するといったケースまでのリサーチはしないが、少なくとも日本では1月に使われるのが一般的である。そのため、1月以外の月で使うと自然と「ボケ」になるので便利である様には思えている。
<ボケ>
漫才やコントでは『ボケ』と『ツッコミ』という表現が使われる。ボケは変な事をする人で、ツッコミはそれを注意する人だが、俺の文字打ちパートナーは、度々「オレがツッコミでとーよーがボケ」と言っている。そうは言っているが、正直なところ、そう思えた事があまりない。確かに、俺自身、ふざけたものを書いたり、バカみたいなことを言ったりする事はあるが、それを、ツッコミにより、良い具合に処理されたということを感じた事もなければ、彼は彼自身でスットボケタ事を言っている場合も多々ある。どちらかと言えば、俺の方が彼をフォローしている方が多いくらいで、それ以前に会話自体もあまり成立しないので、彼とは会話というより、波長で繋がり合っている意識で文字を交換する事が多い様にも感じている。しかし、だから、そのため、お互い、ボケやツッコミに捉われない形で好き勝手なんでも書けて来たのだろうとも思う。
<思う>
さて、思う事をアレコレ書けたが如何だったろうか?一定の期間を置いては、更新していたこの連載もこれで21本目である。その意味もない数字に、連想リレーエッセイという形式を使う事によって、1つ意味を付けられたのなら俺自身満足である。ご愛読サンキュー。
BY/とーよー




