《指名手配》
ついにオウム心理教、最後の1人が捕まってしまった。
1人くらいはどうにか逃げ切って欲しかった。残念には想っている。
漫画喫茶で捕まったらしい。なにをやっているんだ―と思った。デカ目のミスだなーと思った。
俺の家に遊びに来ていれば、2~3週間くらいは自宅に泊め、話を聞くくらいの事はしよーかと考えていたが、マンキでくつろいでしまったが為に、ドンマイな結果になってしまったのである。
ミスッタ感は否めない。
まあ、まあ、ミスがなくとも、嘘か本当かも分からない様な不確かな情報によってコントロールされる程度の馬鹿ばかりが集まる狭い日本国内で、あれだけガチガチの報道をされ続けたのだから、そりゃー捕まってはしまうのは時間の問題だったとも言えよう。
「地下鉄サリン事件」
―と、言われたところで、俺はそんな事件は知らない。
まあ、まあ、知らないとまで書けばおかしくなってしまう。
無論、知識としては「95年に、日本の地下鉄に大量のサリンを撒き散らし、大量の人間を殺した」という報道をされたという事は知っているし、それを見たという記憶はある。
ニュースの記憶はあるが、実際にその現場を見たわけではない。
従って嘘か本当かは分からない。
従って、俺は「地下鉄サリン事件」など知らない。
そして、どーでもいい。
仮にそれが本当だとしたところで、俺の家族や知人が何をされたというわけでもないので、俺自身が何を思う事もなければ、何かをしてやろう等とは考えもしない。
そんなものは捕まえたいヤツが捕まえればいいだけの話である。
少なくとも、テレビで少し警察に頼まれた程度で「あそこにいましたよー」「見付けましたよー」と、教えてやるほど優しい人間でもない。
そもそも、もしかした、地下鉄で殺された人間の方が全員悪いヤツだったのではないか?
本当は地下鉄で殺された人間達の方が、地球を滅ぼそうと企む悪の組織で、オウム心理教はそれを倒した正義の集団だったという可能性もなくはないのではないか?
―とまで思考を飛躍させる必要はないが、分からないのは分からないで「分からない」という部分だけが正真正銘の真実であるということに間違いはない。
「警察」という組織の中では「コイツはこうで、コレをしたので悪いヤツです」という理屈や証拠はあるのだろうが、俺等は全員「眉毛が濃ゆい」だの「ヒゲが濃ゆい」だの、カミソリ1本で、幾らでも修正可能な馬鹿なビジュアルプロフしか書き記されていないマヌケなポスター程度で見ることくらいしか出来ていない。
そして、そんな説明不足をそのままに「この顔の人は悪いヤツですよー。危険ですので捕まえて下さーい」―と、宣伝され、それを当たり前の様に「おまわりさんが悪いヤツだと紹介しているので悪いヤツだ」と決め付るヤツを一概に馬鹿だと思う。
そして、こんな俺の考え自体が馬鹿と言われるならば、俺は死ぬまで馬鹿で居続けようかと思う。
人なんてなんとでも言う。そして言いいたい様にしか言わない。
ニュースや政治とデカイ話を引っ張り出すまでもなく、こんな話は身近にも沢山あるのだ。
1人が『コイツはこうで間違っている』と言えば、それに釣られ『そーだ、間違ってる』という奴が現れる。
そして、それを聞き、『そう言えばコイツはこんな事もあったよな。間違ってたんだ』と、過去のことまで悪くされ出す。
そして、さらに、それを聞き、元々良く思っていなかった人間が、ここぞとばかりに「こんな事もあったよ。こんな事もあったよ。こんな事もあったんだよ」と、ひたすらに追い討ちを掛ける。
そして、それを受けた人間は1人になる。
悲観的になる。
こーなってしまえば面白いくらいに味方はいなくなる。
むしろ、味方になる事自体が全員を敵に回すという風潮にまでなり、良いのか悪いのか分かりもしない奴まで「悪い」と言い出す。
『人間は1人じゃない』
―というセリフはよく聞くが、俺は生まれ付き逆の思考で有り続けている。
また、それがあるからこそ、誰に嫌われても良いと開き直って物が書けているのも事実である。
もし、これが、「誰かに気に入られたい」「好かれたい」と思ってしまえば、まったく違う書き方をしなくてはならなくなってしまう。
そうなってしまえば面白くなくなり、次第に俺は文章を書かなくなってしまうだろう。
これまでのところ、そんなことはあった事がないので、ネットに繋がる間は場所を定めなくとも、何処其処で文字を打ち続けて来た。
そして、今後もそうしてゆくのだろうとも思う。
『人間は1人だ』
言葉や表面上ではなんとでも言える。
物事に対し理解したフリをすることも出来る。
しかし、人間の意思、思考なんてものは1人のものでしかない。
何もかもに反発するつもりもなければ、世の中が全て間違っているというつもりもない。
しかし、世の中、世間に間違っている事が多々存在しているということもまた事実でしかない。
その間違いを正すのには沢山のエネルギーが居る。
例え、英雄1人が現れ、どーのこーの言ったところで何も変わることのない話でもある。
それは小説や映画の様にキラキラしたストーリーが用意されている話だとも限らない。
小説にもならない様な不条理によって、否定された人間の悔しさを理解出来る人間などいない。
俺自身、大人になり、文章を書き、多少なりとも何かは変わった。
そして、これからも変わり続けてゆく。
しかし、根本的な部分は永久に何も変えないでやろうと俺は思っている。
そして、思い続けてやろうとも思っている。
偽物の優しさを売りにする様な人間にはなりたくない。
少なくとも、指名手配されているからということくらいで、「悪い奴だ」と決め付ける様な人間には成りたくとは思います。
BY/とーよー