タマヒカリグサ
サニエさんの料理は美味しい。申し訳ないと思いつつも、ついつい彼女に甘えて、昼食を頂く事が増えている。
天井の高い、風通しの良い家の風景も見慣れ、昼間は居ない父親の席を借りる事にも慣れてしまった。
さすがにそろそろ遠慮した方が良いのだろうか? と、迷う所なのだが、
「遠慮しないで。フレッドはもう、家族みたいな気がするのよね。」
などと、サニエさんに言われてしまうと、ついつい誘いに乗ってしまう。
ただシャファンの視線は相変わらず冷たく、一切遠慮の無い声で、
「あなた暇なの?」
そう、何度か問われた。
「確かにそうだね、たぶん僕は暇なんだよ。」
とその度に、僕は情けなくも手早く答える。
すると彼女は、いつもフンと鼻を鳴らして行ってしまうのだが、特に話も無いのに、これほど突っかかってくるのは何故なんだろう?
……女の子はよく解らない。
いずれにせよ、この親子のおかげで僕は、サマーグリーンでの生活を満喫する事が出来るようになった。楽しく美味しい食事の重要さを実感したものの、残念ながら夕飯については相変わらず変化が無い。
そんなある日の夜遅く、コテージの扉がノックされた。使用している端末の隅には『23:41』表示されている。こんな時間に誰だろうと、不思議に思いつつドアを開けると、笑顔のヤハクと仏頂面のシャファンが立っていて驚いた。
「……どうしたの、こんな時間に?」
当然の疑問を投げかけると、ヤハクは興奮気味に声を弾ませる。
「見せたいものがあるんだ。ちょっと付いて来てよ。」
「そう、それは楽しみだな。……で、君は?」
もう一人、予想外の人物に視線を移すと、シャファンは急に目を伏せた。
「……弟に夜遊びさせる訳にいかないもの。」
日頃見せない弟思いで健気な発言をする、彼女の様子がおかしくて、思わず笑いそうになったのだが、睨まれている事に気付いた僕は、慌ててそれを誤魔化した。
二人に連れて行かれたのは、すぐ目の前の海だった。
僕の知る夜の海は、コテージ付近の灯かりだけでは足らず、怖いくらいの闇の中で波の音だけが響いているのだが、今日の海はまるで様子が違っていた。
影にしか見えないはずの、海から生えている3メートルほどの木……のような植物は、タマヒカリグサという名で、実は海草に分類されるらしい。その海草の海の外へと伸びた部分から、ぼんやりと白く光る物がたくさんふわふわと飛んでいた。やがて海水にそれが落ちると、光は更に強くなる。既にたくさんの光の玉が海を漂い、闇を僅かに払拭していた。
「この季節にここに来たんなら、やっぱりこれは見ておかないとね。この時期しかチャンスは無いんだよ?」
ヤハクが得意げに僕を窺う。
「これはあのタマヒカリグサの種子なんだ。人魂みたいだって気持ち悪がる人もいるけど、俺は幻想的でキレイだって思うんだ。」
確かに。この幻想的な光景が見れなかった事を帰ってから知れば、僕は相当悔しく思った事だろう。
暗い中を漂う光の一つを捕まえてみると、それはまるで羽のように重さを感じない。形状としてはタンポポの綿毛のようだが、種子自体はタンポポのようにぶら下がるのではなく、綿毛の中央に存在している。直径は10cmほどあり、綿毛の部分がぼんやりと発光している。これはどうやって光っているのだろう? 蛍光色より淡いこれは、何の物質が光を発しているのか? そしてこれが海水に触れる事で、何らかの化学変化を起こし、更に光度を増す……と、いった辺りだろうが、不思議なものだ。
海中の白い光は時間と共に数を増し、暗闇は徐々に退けられてゆく。ぼんやりとしか見えなかった姉弟の姿も、今ではかなりはっきり見える程に明るくなってきた。光る海の範囲も、最初に比べれば確実に広がっている。波による作用だろう。
まるで絵本の中の世界のような不思議な光景に見とれていると、不意に視線を感じた。その出所であるシャファンを見やると、やはり彼女は見事にそっぽを向いた。
……僕は随分と嫌われているらしい。だからどうしたという訳でも無いのだが、ただ非常に理不尽な気はしている。
彼女には二度打たれ、その事を謝ってくれる訳でもなく、おまけに最近よく睨まれる。彼女は19と聞いているが、残念ながら僕には、あのくらいの女の子の扱いは分からない。つつけばきっと藪蛇だろう。触らぬ神に祟り無し……昔の人は上手い事を言ったものだ。
それでも何となくやりきれない部分を、僕は溜息と一緒に吐き出した。
その晩は、朝方まで種子が波に漂う様を眺めていた。
朝日が顔を出す少し前に、タマヒカリグサの種子が飛ぶのは止んだ。海面に落ちたそれは波によって、徐々に沖へと流れて行ったが、明るくなってきた浜を見ると、打ち上げられているものもたくさんあった。自然界の生存競争はなかなかに厳しい。
それでも運良くどこかに流れ着いた種子は、いずれ芽を出しどこかの浅瀬から顔を出す。そして成長した暁には、この夜のような光景をまた繰り返すのだろう……まったくこの世界は途方も無い。
結局僕達は、空が明るくなりきってから別れた。
夜遊びどころか、完全に朝帰りになってしまった。家に戻った二人が、親に怒られない事を祈りつつコテージに戻り、そのままベッドに倒れ込む。
体の疲労や眠気をよそに、興奮状態の頭はしばらく眠る事を拒否していたが、いつの間にか意識は途切れた。
ちなみに、起きて眺めた空の色は、既に茜の色をしていた。眠っている途中に二度ばかりミリアさんの声を聞いたような気がするが、ゴミ箱が空になっている事と、洗濯物の袋が置いてある所を見ると、朝の掃除と、たぶん朝食の誘いだったのかもしれない。
いずれにせよ既に今更だ。今日はもう見事に消えてしまった。
……それにしても、お腹がすいた。さて、夕飯はどうしたものだろうか?