新しい友達
朝食はヴィラ内の食堂で食べる事が出来る。バイキング形式でパンケーキに、スクランブルエッグ、サラダと、見慣れないフルーツを皿に取り、ようやくまともな食事を口にする事が出来た。
昨夜調べてみた結果としては、別にこの島の料理が全部辛い訳ではなかった。相談した相手が悪かったという事になるのだろう。
好意的に取れば、彼が辛党であったのかもしれない。邪推すれば、からかわれたのかもしれない。
いずれにしても、もうあの店に足を運ぶ事は無いだろう。
朝食の後、再び雑貨屋に出かけた。持ち歩くのに適度な小さめの水のボトルと、携帯食を買うためだ。
「おはようございます。」
「おう、昨日のやつだな。今日は何の用だ?」
電子ペーパーの新聞から顔を上げた店主は、昨日同様にラジオの流れる軒下のベンチに腰掛けていた。
「水と食料を買いに。」
「水は蛇口を捻れば出るんだがな。まぁいい、入んな。」
そう微妙な笑みを浮かべる店主に促され、薄暗く感じる店内に入ると、昨日確認しておいた栄養機能食品の置いてある棚に向かった。
僕の暮らす街に比べれば数や種類は格段に少ないものの、お菓子に紛れて置かれているソフトクッキータイプの『セット・バランス7』の、フルーツ、ココア、チーズの味を2つずつ取った。と言っても、これだけしか種類は無いのだが。
それから、冷蔵ケースから500ミリリットルのボトルを取り出して、レジに持って行くと、店主が呆れた顔を僕に向けた。
「これは美味いのか?」
商品のコードをスキャンした後、袋に入れる手を止めて『セット・バランス7』のチーズ味をマジマジと眺めている。
「時々お前さんみたいな旅行者が買っていくから置いてるが、ここの者はまず買わんからな。」
「僕も美味しいとは思いませんが、とりあえずこれで栄養は取れるので便利ですよ。」
そう答えると、更に言いようのない表情を見せた。
「わしは、食事は美味い方が良いがな。」
店主がそう言いながら全てを袋に収めたので、僕は曖昧な笑みを浮かべて支払いを済まし、店を後にした。
コテージに戻った僕は、送っておいた大きなカバンの一つを開けた。もう一つには着替えや日用品を詰めていたが、こちらには調査に使う機材が詰めてある。
ハンディタイプの成分スキャナに、モバイル端末、カメラ、持ち出し持ち込みに抵触しない検査用の薬品など色々と持参した。もちろん別に社の命令という訳でもなく、完全に僕が勝手にやってる事だ。現状を打破する何かを見つけたい……それも今回の目的なのだ。
カーキ色のボディバックに水と食料とタオル、それから成分スキャナを入れてチャックを閉めて背負う。カメラはズボンのポケットに入れ、モバイル端末でこの島の地図を映すと、現在地に赤いマークが点る。これで迷う事は無い。
コテージのすぐ傍の、とりあえず手近な場所からジャングルに踏み込む。白く細い道を外れても、すぐさま進むのに困るような密林にはならない。
この星の植生は独特で、薬学を叩き込まれた人間としてはとても興味深い。
惑星コードTT-0007。最初から地球によく似たこの惑星は、青く広がる海を持ち、青く広がる空を持っていた。多くの惑星が何も無い状態からテラフォーミングをされる中、この惑星だけは元から緑が豊富だった。
しかし、僅かに違う大気の組成をいじったテラフォーミングの影響で、環境が激変し元の植物はかなりの数が絶滅した。何とか生き残った種の中には毒性を持つものがあり、また後で持ち込まれた地球原産の植物と結びつき、新たな種が数多く生まれた。
明確な証拠は無いのだが、何らかの生命体がいたのではないかという話もある。
しかしテラフォーミングを行った企業は、その辺りの情報開示を一切しなかった。結局グレーな話はグレーのままで、だから『所詮はまだ人のいない惑星での出来事だ』という穿った見方をする人もいる。
しかし今のここは、リゾート観光の惑星であると声高に宣言し、実際にそれで名を馳せている。
いずれにせよ、僕にとってはどちらでもいい問題だ。興味があるのは植物で、失われた植物に多少の未練はあるが、新しい種も派生した。どちらが良いかなんて一概には言えない。それに200年も昔の事を、あれこれ言った所でどうにもならない。
むせ返るような濃い緑の中に、淡い橙色のかぼちゃみたいな形をした小さな実がたくさんぶら下がっているのを見つけた。写真を撮った後、もっとよく調べてみようと、手を伸ばしかけた所で制止の声がかかった。
「それは食べない方がいいよ?」
変声期真っ只中のような不思議な声で、確かにそのくらいの時期の背格好をした少年が笑みを浮かべて僕の事を見ていた。
「外から来た人だよね? 食べたいなら食べてもいいけど、お腹壊すのは覚悟してよ?」
「いや、僕は別に食べる気はないけど。この星の植物に興味があるだけだよ。」
「何で?」
ガサガサと下生えの葉を揺らして傍に来た少年は、人懐っこそうな目で遠慮無く僕を見上げて首を傾げた。
長めの髪を後ろで束ねた、14、5歳といった辺りだろうか。どことなく見覚えのある顔立ちをしているのが、妙に気になる。
「僕は薬を作る仕事をしてるんだけど、その材料になる物は無いかって調べに来たんだ。」
簡単な説明に、内心で「個人的にだけど」と付け加える。その部分を口にするのは、何となく抵抗があった。見栄という訳でもないが、言い訳がましい理由を説明する気も無い。
しかし、そんな事情を知らない少年は目を輝かせ、熱心な売込みをかけてきた。
「じゃぁ、俺をガイドに雇わない? 俺は植物に詳しいよ。あの実の成る木はね、この辺ではロウクワモドキって呼んでるんだ。実は甘いんだけどそのまま食べるとおなか壊すんだ。中には小さな種がいっぱいあって、汁はかぶれるよ。」
少年のその最後の言葉に冷やりとし、もぎ取る前に止めてくれた事に感謝した。
ここに来る前に、この星の植物のリストにざっと目を通しはしたものの、一目で判別出来るほど記憶はしていない。というか無理だろう。
確かに現地のガイドがいた方が、効率がいい。
「結構危ないのもあってね、かぶれるくらいじゃ済まない物もあるんだよ? 似たような形の果物だってちゃんと判別出来るし、ちょっと秘密の場所も知ってるんだ。」
少年は身を乗り出して、更に売り込んでくる。
「あのね、俺は将来植物学者になりたいんだ。だから本当に詳しいよ?」
「分かった。」
実際彼がどれほど頼りになるのかは分からないけれど、何も知らない僕より詳しく、頼りになるのは間違いない。それに、ここにいる間の良い友達になれそうな気がする。植物学者になりたいと言った彼の顔は本物で、僕はその彼の熱意を懐かしく感じた。将来は薬の開発をするんだと意気込んでいた頃の自分と、何となく重なるものがあったからだ。
「俺を雇って損は無いと思うよ……って、本当?」
「ああ、けど未成年を勝手に雇うわけにはいかないから、まずは親御さんの許可を貰っていいかな?」
「やった、おじさん話が判るね!」
無邪気に喜ぶ少年の一言に、僕は表情が固まる。
「……おじさんはまだ勘弁してくれないかな? 僕まだ26なんだ。」
「そうなの? もう少し上……ごめんなさい。じゃぁお兄さん?」
その窺う目が余計にショックだ。そんなに老けて見られるとは思ってもみなかった。
「僕はフレッド・デュリス、フレッドって呼んでくれないかな?」
「解った。俺はヤハク・レイル。ヤハクでいいよ。」
「よろしくヤハク。」
「うん、よろしくねフレッド。」
そして僕は、心に多大なダメージを負いつつも、ヤハクと笑顔で握手を交わした。