異文化コミュニケーション
水を買った帰り道、汗を掻いたボトルを抱えた僕がフロントの前を通りがかると、女将に引き止められた。
女将はここの伝統的なダンスや音楽について熱心に語り、それを手軽に堪能できる場所だから是非に。と、ディナーショーで有名らしいレストランを薦めてきた。
「ここに来たんなら、一度は見ておいて損は無いよ?」
いずれにしろ、他に当ても無かった僕は、その言葉に乗せられて夕日が暮れていく浜を店に向かって歩いた。
ちなみに、濡れた服については「そんなものはすぐに乾くさ」と、笑いながら肩の辺りを叩かれた。
店の場所については迷いようが無い。既に建物は既に見えている。
徐々に暗くなり、若干見えにくくはなってきたものの、砂浜に出て左を向けば、150メートルくらい先だろうか? 砂浜から一段高くなった場所に、黒っぽい建物があるのが見える。そして、その入り口の前に篝火のものらしい揺れる炎が二つ見える。
今時篝火だなんて、随分と雰囲気重視の店のようだ。ライトがあるのに、わざわざ危険な火を焚く必要は無い。
しかし、監視者も立てずに屋外で火を焚き続けている事にも驚く。もしスコラティクス・プラネタで、外で許可無く焚き火でもしようものなら、消防から委託の監視員が取り締まりにやってくる。
過去、ある科学者が野外で派手な燃焼実験をしでかして、周囲を延焼、その上有毒ガスまで発生させた事例があり、そこから規制が厳しくなった。あの星には、他にも屋外での規制がかなり存在する。その原因は大抵が個人的な実験の失敗に因るものだ。
そんな事を考えながら、砂に足を捕られながらも店に向かって歩いている途中、走る一人の少女に追い抜かれた。
波の音しか聞こえなかった事と、薄暗く僅かの時間の事でもあり、はっきり顔までは見えなかったが、あどけなさの残る若い女の子だったのは間違いない。後ろ姿からはそう見える。
白地に青い大きな花の描かれたワンピースに、後ろで纏めた長い髪を跳ねさせて、すらりと伸びた手足を懸命に動かしている。僕は驚くと共に思わず目を奪われて、少し強めの花のような残り香の中、彼女の後姿を眺めた。
すると彼女は、これから向かう店の裏手に回って見えなくなった。
派手な花が盛り立てられたテーブルに並ぶ料理を前に、正直僕は眉間に寄る皺を隠せそうに無い。もっとしっかり、料理についても調べておくべきだった。
判らないなりに、とりあえずウェイターのお勧め料理を尋ねて頼んでみたのだが、ここの人達のお勧めは、僕にとってはとても過酷だった。強めの香辛料ばかりというのは、かなりきつい。
あまりに辛くて急いで手を伸ばしたドリンクは、逆に甘過ぎて頭が痛くなりそうになった。この食文化の差はあまりにも大きい。
花のエッセンスが混ざった水を片手に、この先の残された日数について頭を悩ませていると、急に辺りが暗くなり威勢のいい掛け声と太鼓の音が響き始めた。女将の言っていたショーが始まったのだろう。
前方に設けられたステージで半裸の男たちが、独特の声を上げて腰に付けた太鼓を叩く。そのリズムの中を、鈴や飾りを身に付けた、露出の高い赤い衣装に身を包んだ女性が一人、中央で激しく踊っていた。
しなやかに手足が動くたびにシャンシャンと鈴が鳴り、飾りが光る。彼女自身が、はっとするほど綺麗な人だったが、それ以上に目に惹かれた。力の強い自信にあふれた目をステージから投げかけ、次の瞬間その目は既に違う方を向いている。奔放で艶かしい踊りと相まって、僕は誘われているような気がして顔が赤くなるのを意識した。
しかし彼女が後ろを向いた時、見覚えがあるような気がして考え込んだ。
……あぁ、なるほど。さっき浜で見かけた少女と同じだ。
その事実に気付いて僕は相当に驚いた。今の踊る姿も、浜を走る姿も、どちらも力強くはあるが、先ほどのあどけない後姿からは、あの妖艶な踊りは想像もつかない。
女は変わる……過去のそう多くもない経験を総合して、そう結論を下した僕は、たぶん遠慮の無い目で彼女を眺めた。
彼女の踊りの他に2曲のショーがあったが、その間にもう少しだけ料理にトライして敗北を喫したのだった。
空になったピッチャーの水のお代わりを求めて、偶然通りがかったウェイトレスを引き止めたのだが、その彼女を見て固まった。
先ほどあのステージで、激しく妖艶に踊っていた彼女だったのだ。
「あ……。」
『水を下さい』と、続くはずの言葉が出て来ずにいると、彼女にいきなり頬を叩かれた。
「なっ!? 何で?」
意味が解らず、彼女を見ると、
「私はあなたの目が嫌。」
はっきりとそう言って、あの力強い目を真正面から向けられた。誘惑でも挑発でもなく、軽蔑の目だ。あの位置から僕の不の感情を見透かされたとでも言うのだろうか?
僕は呆然として何も言えずにいると、年配の男性が寄ってきて色々と謝罪の言葉が投げかけられた。
「シャファン、またお前は……ほら、きちんと謝れ!」
オーナーらしき人物の言葉で、シャファンという少女は不承不承頭を下げたが、僕に向ける目は変わらなかった。
それがとても居心地が悪くて、僕は謝罪を断った。
「いえ、いいんです、すみません。たぶん僕が悪いんです。その子の事も叱らないでやって下さい。」
あのステージ上から、あれだけ激しく踊りながら、客をしっかり見ている事に驚きを越えて感心した。だが、僕があまり良い目で見ていなかったのは紛れも無い事実である。
僕は飲食代をタダにするという申し出を断って、代金を払って店を出た。
この一件で店内が慌しくなり、落ち着かないという事もあるが、正直料理をどうするかに困っていた僕には、ある意味千載一遇のチャンスでもあったのだ。
水でいっぱいになった腹を抱え、見知らぬ星空の下をコテージに向けて歩く。
絶対に帰ったら食べられる料理を探そう。そう心に誓って砂に捕られる足を懸命に動かした。それにしても……よくこんな所を走れたものだ。と、歩くのが精一杯の僕は、もう一度彼女に感心した。
コテージに戻るとすぐ端末を起動させた。もちろんこの星の食文化を調べるためだ。
認証画面でブレスをかざして自分のストレージにアクセスすると、未読メールがある事を知らせるマークが付いていた。
仕事関係のメールだと思い、目を通すため受信箱を開いてみると、20通ほどのダイレクトメールで脱力した。しかも全ての差出人が『イーストヘブン観光事業部』となっている。このメールのタイトルからは、この島のエリアガイドや、お勧め情報であるらしい事が推測される。
これは、ホテルで利用されるチェックインシステムに連動させて……いるんだろうな、たぶん。
まったく、この星の人達は仕事熱心だな。と、呆れながらも更に感心させられた。